中川右介は2020年秋、91歳の母を引き取り、介護生活を始めた。介護殺人事件が珍しくない昨今、自分もいつか母を殺してしまうのではないかと不安になった中川は介護日記を書くことにし、ストレスの発散とともに、友人・知人たちに現況を知らせることでアドバイスや励ましをもらいながら、介護生活を送っている。
11月6日 金曜日
<介護11日>
もう、朝の「ここはどこ」はない。
一方、10日前まで暮らしていたひばりが丘の記憶がない。
相変わらず、デイサービスから帰って、「昼は何を食べたの」と聞いても、思い出せない。
「食べたのかしら。死ぬほど美味しいものではなかった」
とか、担当者が聞いたら、嘆くようなことを言う。
家でも同じで、食べている時は「おいしい」と喜んでいるが、すぐに忘れる。
だから、極端に言えば、毎日3食同じでも、多分、文句は言わない。
楽と言えば、楽。
介護は手抜きしないと、長続きせず、はては殺人事件になる。
今週で、公的手続きもほぼ終わった。
介護関係は、区役所に転入の手続きをするだけで、あとはケアマネージャーが全部やってくれる。指示された書類に捺印するだけ。
西東京市のケアマネージャーが、杉並区のケアマネージャーを決めて、引き継いでくれたので、楽だった。
自治体職員は、私の見える範囲では何もしていない。
11月7日 土曜日
<介護12日>
デイサービスへ。
午後、私は椎名町のトキワ荘大学のゼミナールの仕事。
帰りは18時過ぎそうなので、デイサービスから帰った後、数時間は妻と2人だけになる。
彼女を私の妻とは認識しているが、名前は覚えられない。
帰宅すると、出迎えてくれたのはいいが、「あなたは私の息子なの?」が最初のひとこと。
どうも、私が実年齢より若く見えるので、混乱しているようだ。
母が言うには、「私は91、あなたは40代に見える。そんな若い息子がいるはずがない。だから子どもではなく、孫ではないのか」
それなりに筋が通っている。
「あなたの息子で、60歳です」というと、驚いていたが、「そうだったの。あんな小さかったのに、もう60なの」と、感心していた。
11月8日 日曜日
<介護13日>
8日、デイサービスのない、日曜日。
朝食後は、自分の部屋にいてくれた。
昼、「買い物に行きたい」と言うので、ファミマに行ってもらった。
特大のペヤングとか、91歳女性とは思えないものばかり買ってきた。何を考えているのか。
でっかいペヤング、どうしたらいいのか。
パンとサラダだけ食べ、あとは忘れている。
デイサービス、どうも行きたくないようで、「ない日」を楽しんでいた。
11月9日 月曜日
<介護14日>
昨晩は7時ごろ寝てくれたが、11時頃に起きて、
リビングへ来るなり、「Sちゃんはどこにいるの」と問う。
Sさんは妹(私の叔母)で、20年ほど前に亡くなっている。
「もう、死んだ」と言うと混乱しそうなので、「向こうの部屋で寝てるよ、起こさないようにしようね」とごまかす。
納得したようで、また寝る。
朝になってもSさんの話題は出ず。
帰宅後、今日が火曜日と思い込んでいて、「明日はデイサービスへ行かないでいい」と楽しそう。
月曜日だと教えると、「いつから月曜日になったの」と哲学的な質問。
さらに、11月9日だと新聞を見せると、「11月になったなんて聞いていない」と、驚く。
「わたし、バカになったみたいで怖いから寝る」と、自分の部屋へ。
たしかに、「分からなくなる恐怖」があるのだろう。それがあるうちは、まだいい。
11月10日 火曜日
<介護15日>
今日はデイサービスで入浴の日。
火曜日と金曜日、週2回。
ひばりが丘でひとり暮らしをしていた時は、デイサービスでは入浴はなく、週2回のヘルパーさんが、お湯をはるなどの補助をしていた。
それ以外の日に自分で入っていたのかどうかは、いまや分からない。
2月にある施設を見学した際も、「入浴は週2回」と言われたので、介護の世界では「入浴は週2回」が標準なのだろう。
高齢になり、自分で入れなくなったら、風呂は週2回。覚悟せねば。
今のところ母はひとりで入れるので、デイサービスで入浴しない日は、うちで入っている。そのほうがすぐ寝てくれるからでもある。
今日はデイサービスで入浴したはずなのだが、「入った覚えがない」と言う。
今日は美容師が出張してカットしてくれる日で、2000円持たせ、領収証をもらってきて、確かにカットされているが、覚えていない様子。
帰るなり、「明日は、あそこへ行かなくていいわね」と、嬉しそう。
デイサービスの施設名を覚えない。デイサービスとも言わない。「学校みたいなところ」とか「あそこ」と言う。
というわけで、明日はデイサービスなし。
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※連載は終了しましたが、著者への感想、コメントはしばらくの期間、こちらのフォームで受け付けています(非公開)。これまでも様々なご感想をお寄せいただき、誠にありがとうございました。
時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。











