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昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃

2020.11.20 更新 ツイート

#6

俳優 池部良は大阪で事件を知った——彼が自決する意図は「二つぐらいしか」わからない 中川右介

今年は三島由紀夫没後50年。中川右介著『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)から、一部を抜粋してお届けします。

 

第二章 真昼の衝撃

大阪

俳優池部良(いけべりょう)は大阪で事件を知った。三十年以上後の、二〇〇三年から二〇〇六年にかけてのインタビューで、彼は当時をこう回想している。

《彼がテレビに映っているのを、初めは三島だと思わないから、ただ呆気に取られながら見ていた。そしたら途中で三島君だとわかったんだよね。そのとき、どう考えても二つぐらいしか彼が自決する意図がわからなかった。》

その二つとは、三島が非常にナルシストだということと、本当に国を憂いたということだと、池部は言う。

《日本はこうこうじゃなくちゃいけない、自衛隊はこうこうじゃなくちゃいけない、ということを考えている自分に興奮してくるんだよね。自分の姿形がどうだっていうナルシストであると同時に、そういうものを考えている自分に対するナルシスト。》

池部には、三島のナルシストと国を憂いたことのどちらに比重がかかっていたかは、分からない。しかし、初対面の頃から、三島のナルシスティックな面を感じていた。

池部良はこの年、五十二歳。一九四一年に東宝に監督志望として入社するが、俳優に転向する。戦争中は出征しており、中国大陸や南方に行き、九死に一生を得たこともあった。

三島とは敗戦直後に、偶然、知り合った。池部がシナリオを書くための部屋を探していると、ある金持ちの家を紹介された。その家を借りて何日か経った後、中庭の向こうに蔵があり、そこはいつも明りがついていた。主人に誰かいるのかと訊くと、「三島さんという方で、小説を書いている」との答えで、さらにその数日後に、風呂で一緒になったのだ。

すでに三島が小説家としてデビューした後だった。こうして知り合った二人は、以後も交流を続けていた。三島が俳優をやりたいと言いだした時は、「そんな骸骨みたいな身体では務まらないよ」と池部は言った。やめたほうがいいという意味だったのだが、三島はボディビルをして身体を鍛え、映画に出演した。最初の映画である大映の『からっ風野郎』は一九六〇年の作品で、監督は三島の東大法学部で同期だった増村保造である。

池部はこの映画での三島の演技についても、「芝居にならないよ」と厳しい。

三島のやくざ映画好きはよく知られるところで、鶴田浩二を絶賛しているが、池部が脇役として出た高倉健主演の『昭和残侠伝』シリーズにも三島は賛辞を贈っている。

このシリーズの最高傑作とされる一九七〇年九月公開の『昭和残侠伝 死んで貰います』(マキノ雅弘監督)では、ラスト近くの池部の台詞「ご一緒ねがいます」があまりにもかっこいいので、流行語にもなった。映画はこんなストーリーだ。

時は大正から昭和の初め、高倉健扮(ふん)する花田秀次郎は深川の料亭の跡とりだが、ふとしたことでやくざ渡世に身を沈め服役した。出所してみると、実家の料亭は衰退していた。秀次郎は身分を隠して板前となり、藤純子扮する芸者の幾太郎と恋仲になるが、新興やくざの駒井組に実家の料亭を狙われる。知り合いの深川の親分が単身で駒井組に乗り込み、料亭の権利書は戻るが、親分は斬(き)られて亡くなる。そこで秀次郎は駒井組に殴り込みをかけることになるが、その時、池部扮する板前の風間重吉がご恩返しに一緒に行こうとする。そこで──

 

秀次郎「重さん、このケリは俺に付けさせておくんなさい。堅気のオメェさんを行かせるわけにゃいかねエ」

風間「秀次郎さん あれから十五年。見ておくんなさい。ご恩返しの花道なんです」

そして、間をおいて、

風間「ご一緒ねがいます」

 

この映画は、三島が観た最後の映画だと思われる。公開は九月二十二日で、その一カ月後の十月二十一日に「映画芸術」誌での石堂淑朗(いしどうとしろう)との対談(司会は小川徹)で三島はこの映画についてこう語っている。まず、

「何よりも、池部(良)がよかった。このごろの池部はすごくよくなってきていますね」と主演の高倉健ではなく、あくまで彼にとっては池部の映画であると言う。そして、

「最後に池部と高倉が目と目を見交わして、何の言葉もなく、行くところなどみると、胸がしめつけられてくる、キューとなってくるんだ。日本文化の伝統をつたえるのは、今ややくざ映画しかない」と言い切る。

さらに、ラストの高倉健と池部が並んで歩くシーンを、

「ヤクザ映画ってのは、あのラストの前の道行きだけあればいいんだよ。あとはいらない」と断言してしまう。

この発言もあって、あの事件は、三島と森田必勝との男と男の「道行き」だとする解釈が生まれるのだった。

池部はかなり後になってから、三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地に向かう時、車中で『昭和残侠伝』シリーズの主題歌「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」を歌ったことを知る。

三島が好んだ様式美溢れる東映ヤクザ映画は、しかし、やがて藤純子の引退の前後から衰退し、一九七三年一月公開の『仁義なき戦い』の成功により、実録路線へと転化していく。この『仁義なき戦い』の監督である深作欣二(ふかさくきんじ)は、三島原作の『黒蜥蜴(とかげ)』の監督でもあった。一九六八年の作品で、主役は丸山(美輪)明宏が演じた。

関連書籍

中川右介『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』

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昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃

一人の作家がクーデターに失敗し自決したにすぎないあの日、何故あれほど日本全体が動揺し、以後多くの人が事件を饒舌に語り記したか。そして今なお真相と意味が静かに問われている。文壇、演劇・映画界、政界、マスコミの百数十人の事件当日の記録を丹念に追い、時系列で再構築し、日本人の無意識なる変化を炙り出した新しいノンフィクション。

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中川右介

1960年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部文芸科卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長。映画、歌舞伎、クラシック音楽、歌謡曲、漫画についての本を多数執筆。最新刊に『アニメ大国建国紀1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち』(イースト・プレス)。その他の主な著書に、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)等。

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