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生まれたくなんかなかったのに

2026.06.19 公開 ポスト

「猫は先に死ぬ。それでも一緒に生きたい」大学で震えていたトラちゃんとの出会いと別れ小島和男(哲学者)

生まれたくなかった。でも、生まれてしまった。その感情から始まる哲学――反出生主義を研究する小島和男氏による新書『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』が5月27日に発売になりました。「生まれたくなかったのに、なぜ生きるのか」を問う本書より、「第4章 猫が先に死ぬのが辛い」の1回目をお届けします。

猫が先に死ぬのは辛いは当たり前

猫を飼っている人なら誰でも知っていることがある。猫は人間より大抵先に死ぬ。

猫の平均寿命は15年程度と言われている。完全室内飼いで健康に気を遣えば20年近く生きることもあるが、それでも人間の寿命には遠く及ばない。つまり、猫を飼うということは、その猫の死を看取るということだ。例外は、飼い主のほうが先に死ぬ場合だけだ(それはそれで大変なので気をつけましょう)。

犬も同じだ。犬の平均寿命は10年から15年程度。大型犬はもっと短い。ハムスターなら2、3年。金魚でも10年程度。ペットを飼うということは、そのペットとの別れを経験するということだ。これは避けられない。

私はこれまで何匹もの猫を看取ってきた。そのたびに、胸が引き裂かれるような思いをしてきた。「もう猫は飼わない」と思ってしまったことも一度や二度ではない。それでも、また猫と暮らしている。「はじめに」で紹介したように、今も2匹の猫と暮らしている。

なぜ、先に死ぬと分かっているのに、猫と暮らすのか。この章では、そのことについて考えてみたい。

キャンパスにいたトラちゃん

私が勤めている大学には、かつて「地域猫」がいた。キャンパス内で暮らしている猫で、桜猫会というサークルの学生たちが世話をしてくれていた。エサをあげたり、寒い日には段ボールで寝床を作ったり。私も手伝っていた。その中に、トラちゃんという猫がいた。トラ猫ではなかったのだが、なぜかトラちゃんと呼ばれていた。

桜猫会に入っていない学生たちもトラちゃんを可愛がっていた。しかし、問題があった。一部の無知な学生たちが良かれと思って、自分たちの食べ物をトラちゃんに分け与えていたのだ。から揚げとか、そういうものを。猫に人間の食べ物をあげてはいけない。調味料や油は猫の内臓に負担をかける。塩分も多すぎる。学生たちは知らなかったのだろう。善意でやっていたことが、結果的にトラちゃんの身体を蝕んでいた。

2020年、コロナ禍で大学が閉鎖された。キャンパスに人がいなくなり、桜猫会の学生がトラちゃんの世話をすることが難しくなった。私は、トラちゃんを家に引き取ることにした。獣医さんに連れていくと、内臓疾患があると言われた。長年の食生活のせいだろう。年齢もかなり高齢だった。正確な年齢は分からないが、10歳は確実に超えていた。

それでも、トラちゃんは私のところに来てから、とても幸せそうだった。冬はこたつに入り、私にべったりくっついて過ごした。大学のキャンパスで過ごした冬は、さぞ寒かっただろう。暖かい場所で過ごせることが、本当に嬉しそうだった。

トラちゃんは、私に対してものすごく恩義を感じているようだった。エサを食べるときも、「ありがたい」という感じで食べていた。いつも全力で感謝を伝えに来た。猫がそんなことをするのかと思うかもしれないが、本当にそうだったのだ。

ある日、ふるさと納税の返礼品でもらった高級な鶏のささみをあげたことがある。トラちゃんは一口食べて、びっくりした顔で私を見た。そしてもう一度、エサを見た。二度見である。猫も二度見をするのだということを、そのとき知った。あまりにも美味しかったのだろう。「これ、今まで食べてたのと全然違うんですけど」という顔をしていた。ちなみに、フグをあげたときはそこまでの反応ではなかった。好みの問題だろう。猫にも好き嫌いがある。当たり前のことだが、猫と暮らしていると、そういう当たり前のことに改めて気づかされる。

トラちゃんは、人懐っこい猫だった。大学のキャンパスで学生たちに可愛がられていたから、人間を怖がらない。むしろ、人間が好きだった。私が帰宅すると、出迎えてくれた。膝の上に乗ってゴロゴロ喉のどを鳴らした。リビングのこたつで一緒にゴロゴロして一緒にご飯を食べて、一緒に寝た。外にいた頃は、そんなことはできなかっただろう。冬の夜、コンクリートの上で丸くなって寒さに耐えていたはずだ。

雨の日は、濡れないように建物の軒下で過ごしていたはずだ。そんな生活から解放されて、トラちゃんは本当に嬉しそうだった。私も嬉しかった。トラちゃんが幸せそうにしている姿を見ることが、私の幸せだった。猫と暮らす喜びは、こういうところにある。猫が幸せそうにしていると、自分も幸せになれる。単純だが、それは本当のことだ。

しかし、トラちゃんとの生活は1年しか続かなかった。内臓疾患が進行し、トラちゃんは弱っていった。

死ぬとき、そばにいたかった。しかし、私がそばにいると、トラちゃんは頑張ってしまうようだった。苦しそうなのに、なかなか逝いかない。私の顔を見て、まだ生きようとしているように見えた。それが辛かった。獣医さんに相談して、安楽死させることも考えた。苦しんでいるのを見ているのは、本当に辛かった。しかし、決断できないまま時間が過ぎた。そして、私がちょっと離れた隙に、トラちゃんは逝ってしまった。

最期を看取れなかったことが、今でも心残りだ。でも、もしかしたら、トラちゃんは私に最期を見せたくなかったのかもしれない。猫は死ぬ前に姿を隠すと言われている。野良猫が死ぬ前に人目につかない場所に行くのは、敵に襲われないようにするためだという説もあるが、飼い猫でも死ぬ前に隠れようとすることがある。私がいなくなったタイミングで逝ったのは、トラちゃんなりの配慮だったのかもしれない。そう思うことにしている。

トラちゃんが死んでから、しばらくの間、家の中がとても静かに感じられた。猫がいないというだけで、こんなにも寂しいものかと思った。トラちゃんがいつも座っていた場所、いつも寝ていた場所、いつもエサを食べていた場所。そういう場所を見るたびに、トラちゃんのことを思い出した。

泣けなかった

不思議なことに、トラちゃんが死んだとき、私は泣けなかった。お葬式のときも泣けなかった。自分では普通のつもりでいた。悲しいけれど、冷静に対処できていると思っていた。

しかし、家族からは「尋常じゃない」と言われた。何が尋常じゃなかったのか、自分では分からない。でも、いつもとは違う状態だったらしい。顔色が悪かったのか、目が虚ろだったのか、言動がおかしかったのか。今でも分からない。

悲しみが大きすぎると、泣けないことがある。感情を処理しきれなくて、フリーズしてしまうのだろう。泣くという行為すらできないほど、ダメージを受けていたのかもしれない。人間の心には、自分を守るための防衛機制がある。あまりにも辛いことに直面したとき、感情を一時的にシャットダウンしてしまうのかもしれない。

ペットロスという言葉がある。ペットを失ったときに経験する悲嘆のことだ。人によっては、人間の家族を失ったときと同じくらい、あるいはそれ以上の悲しみを感じることがある。「たかがペット」と言う人もいるが、そういう人はペットと暮らしたことがないのだろう。ペットは家族だ。毎日一緒に過ごし、愛情を注いできた存在だ。その存在がいなくなるのは、本当に辛いことなのだ。

今は、トラちゃんのことを思い出すと泣ける。時間が経って、やっと悲しみを感じられるようになったのだろう。思い出すたびに涙が出る。でも、それは悪いことではないと思う。悲しみを感じられるということは、それだけトラちゃんとの時間が大切だったということだから。

涙は、愛情の証と言う人もいるだろう。泣けるということは、それだけ愛していたということか。泣けないほど辛いときもあるが、いずれ泣けるようにはなった。で、泣くことで、少しずつ悲しみを消化していくことができるのかな。今でも時折泣いてしまうけれど、消化できているかは分からない。

動物も同じ苦境にある

哲学者デイヴィッド・ベネターは『人間の苦境(The Human Predicament)』という本の中でこう書いている。「我々は生まれ、生き、途中で苦しみ、そして死ぬ。永遠の時間の中で消滅する」。

これは人間についての記述だが、動物にも当てはまる。猫も生まれ、生き、苦しみ、死ぬ。犬も、鳥も、魚も、すべての動物がそうだ。生きとし生けるものはすべて、この苦境の中にいる。

むしろ、動物のほうが人間よりも苦境は深刻かもしれない。人間には、苦しみを和らげる手段がある。医療がある。社会保障がある。言葉で助けを求めることができる。しかし、動物にはそれがない。野良猫は、怪我をしても病院に行けない。寒くても暖房のある部屋に入れない。お腹が空いても、食べ物がなければ飢えるしかない。

反出生主義は、人間だけの話ではない。存在することに伴う苦痛は、人間に限ったことではない。トラちゃんも、大学のキャンパスで寒さに震え、空腹に耐え、内臓の病気に苦しんだ。生まれてこなければ、そのような苦痛を味わう必要はなかった。

ベネターは、人間の苦境について論じているが、その議論は動物にも適用できる。いや、適用すべきだ。動物の苦しみを無視することは、倫理的に正当化できない。動物も苦痛を感じる。恐怖を感じる。悲しみを感じる。人間と同じように、生まれてきたことによって苦しんでいる。

しかし、人間と動物には決定的な違いがある。人間は、自分の意志で子どもを作らないことを選択できる。避妊という手段がある。しかし、動物にはそれができない。野良猫は、本能のままに繁殖し、仔猫を産む。その仔猫たちの多くは、過酷な環境の中で命を落とす。生まれてすぐに死ぬ仔猫もいる。カラスに襲われる仔猫もいる。車に轢ひかれる仔猫もいる。飢えて死ぬ仔猫もいる。

これは悲劇だ。そして、この悲劇を人間は止めることができる
 

関連書籍

小島和男『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』

生まれたくなかった。でも、生まれてしまった。 その感情から始まる哲学がある――反出生主義だ。 苦しみは、生まれたことに伴って生じる。 食べていくための労働、結婚しないことへの不安、孤独の居心地の悪さ、そして避けられない老いと病。生きづらさは、甘えや怠けのせいではない。望んでもいないのに、不完全な制度と社会のもとに生まれ落ちたからなのだ。 問題は社会であって、個人ではない。その構造を見抜くことで、自らの苦痛を減らす道筋が見えてくる。 反出生主義の哲学者による、自分を守るための人生論。

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生まれたくなんかなかったのに

2026年5月27日発売『生まれたくなんかなかったのに』(小島和男著)について

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小島和男 哲学者

学習院大学文学部哲学科教授。1976年生まれ。博士(哲学)。専門は、古代ギリシア哲学、反出生主義、うどん。日本うどん学会理事を務め、研究対象の貴賤の無さを語る。著書に『プラトンの描いたソクラテス』(晃洋書房、2008年)、『反出生主義入門』(青土社、2024年)、翻訳書に『生まれてこないほうが良かった』(デイヴィッド・ベネター、田村宜義との共訳、すずさわ書店、2017年、新訂版2024年)などがある。

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