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生まれたくなんかなかったのに

2026.06.12 公開 ポスト

「親孝行」は義務ではない…嫌いな親に効く戦略的感謝のすすめ小島和男(哲学者)

生まれたくなかった。でも、生まれてしまった。その感情から始まる哲学――反出生主義を研究する小島和男氏による新書『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』が5月27日に発売になりました。「生まれたくなかったのに、なぜ生きるのか」を問う本書より、「第3章 親が嫌いだ」の2回目をお届けします(第1回)。

子から親への義務はない

「親孝行」という言葉がある。親に孝行する、つまり親に尽くすことが子どもの義務であるかのように語られることが多い。しかし、本当にそうだろうか。

民法八七七条一項は「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定めている。子どもには親を扶養する義務がある、というわけだ。しかし、この規定には疑問がある。

親から子への扶養義務は「生活保持義務」と呼ばれ、自分と同程度の生活水準を子にも保持させる義務がある。一方、子から親への扶養義務は「生活扶助義務」と呼ばれ、自分の生活を削ってまで親を養う義務はないとされている。法律上は、子の義務のほうが軽い。しかし、現実には「親孝行」という言葉があるように、子から親への奉仕が当然視される傾向がある。法律と社会通念の間にズレがあるのだ。

考えてみてほしい。子どもは親を選んで生まれてきたわけではない。親の一方的な都合で存在させられた。それなのに、なぜ子どもが親を養う義務を負わなければならないのか。親から子への扶養義務は理解できる。親が子どもを存在させた以上、その子どもを養育する責任があるのは当然だ。しかし、子から親への扶養義務は、論理的な根拠が薄い(※法的な義務はあるので注意。いわゆる「悪法」というやつです)。

年を取った親を支えるのは、子どもではなく、社会や国であるべきだ。年金制度や介護保険制度は、そのためにある。「家族で面倒を見るべきだ」という考え方は、社会保障の貧弱さを家族に押しつけているに過ぎない。北欧諸国では、高齢者の介護は社会が担うものという考え方が定着している。日本でも、そのような方向に進むべきだ。

「でも、親に良くしてもらったから、恩返しをしたい」という人もいるだろう。それは自由だ。良くしてもらったことに感謝の気持ちを持ち、それを行動で示したいと思うのは、自然な感情だ。しかし、それは「義務」ではなく「任意」であるべきだ。良くしてもらったから返すのであって、親だから返すのではない。親から借りた1万円と、他人から借りた1万円。返すとき、親に返すほうにより多く色をつけなければならないだろうか。そんなことはないはずだ。借りたものは借りた分だけ返せばいい。親だからといって、特別に多く返す義務はない。同様に、親だからといって、特別に尽くす義務もない。

逆に言えば、親に良くしてもらっていない場合、恩返しをする必要はまったくない。虐待されて育った子どもに、老いた親の介護をする義務があるだろうか。ネグレクトされて育った子どもに、親の面倒を見る義務があるだろうか。私はないと思う。親としての義務を果たさなかった人間に、子どもに対して「親孝行」を期待する資格などない。

「戦略的感謝」のすすめ

とはいえ、現実問題として、親との関係を完全に断ち切ることが難しい場合も多い。特に、まだ学生で、親に経済的に依存している場合はそうだ。

そこで私が学生たちに勧めているのが、「戦略的感謝」だ。

日本では、大学の学費を親が負担することが多い。国立大学でも年間約53万6000円、私立大学なら100万円を超えることも珍しくない。4年間で数百万円になる。これは大きな金額だ。しかし、法的には、一般に、親に大学の学費を出す義務はない(※「未成熟子」という概念から成年でも就学中の扶養義務を認めた例もあります。大学在学中に親が「もう学費払わん」って言い出したら裁判すればワンチャンなんとかなるかもしれません)。基本的には、民法上の扶養義務は、子どもが自立できるまでの養育を想定しており、高等教育機関への進学は含まれないと解釈されている。つまり、親が大学の学費を出してくれているのは、法的義務ではなく、親の厚意なのだ。

厚意には感謝を示すのが賢明だ。心からの感謝でなくてもいい。戦略的に、言葉の上で感謝を示す。「学費を出してくれてありがとう」「おかげで勉強に集中できる」。そう言っておけば、親も悪い気はしない。学費を出し続けてくれる可能性が高まる。

これは打算的だと思うかもしれない。しかし、打算的で何が悪いのか。自分の利益を守るために、相手の機嫌を取る。それは社会で生きていく上で必要なスキルだ。嫌いな上司にもニコニコする。気に入らない取引先にも丁寧に対応する。それと同じことを、親に対してもやればいい。

「面従腹背(めんじゅうふくはい)」という私の大好きな言葉がある。「心の中指を立てておけ」と言い換えたりもしている。表向きは従うふりをしながら、心の中では反発している状態を指す。ネガティブな意味で使われることが多いが、処世術として、心の健康を守る手段としてとても大事だと思う。親の言うことに表向きは従っておく。「はい、分かりました」「ありがとうございます」。しかし、心の中では自分の考えを持っている。親でも誰でも他者の価値観を内面化する必要はない。表面上だけ合わせておけばいい。卒業して経済的に自立したら、自分の道を行けばいい。

ついでに言うと、私は、大人になったら、親には敬語で話すことを勧めている。子どもの頃はタメ口で話していたかもしれないが、成人したら少し距離を置いた言葉遣いに変える。敬語を使うことで、適切な距離感が生まれる。友達のようになれなれしく話すよりも、少し距離を置いた関係のほうが、お互いに楽だったりする。敬語は、相手を尊重しているように見せながら、実は自分を守る盾にもなる。

「戦略的感謝」は、偽善ではない。自分を守るための合理的な行動だ。本当の感情を押し殺して苦しむ必要もない。表面上は従いながら、心の中では自分を保つ。そして、自立できる日が来たら、自分の人生を自分で決める。それまでの辛抱だ。

関連書籍

小島和男『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』

生まれたくなかった。でも、生まれてしまった。 その感情から始まる哲学がある――反出生主義だ。 苦しみは、生まれたことに伴って生じる。 食べていくための労働、結婚しないことへの不安、孤独の居心地の悪さ、そして避けられない老いと病。生きづらさは、甘えや怠けのせいではない。望んでもいないのに、不完全な制度と社会のもとに生まれ落ちたからなのだ。 問題は社会であって、個人ではない。その構造を見抜くことで、自らの苦痛を減らす道筋が見えてくる。 反出生主義の哲学者による、自分を守るための人生論。

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生まれたくなんかなかったのに

2026年5月27日発売『生まれたくなんかなかったのに』(小島和男著)について

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小島和男 哲学者

学習院大学文学部哲学科教授。1976年生まれ。博士(哲学)。専門は、古代ギリシア哲学、反出生主義、うどん。日本うどん学会理事を務め、研究対象の貴賤の無さを語る。著書に『プラトンの描いたソクラテス』(晃洋書房、2008年)、『反出生主義入門』(青土社、2024年)、翻訳書に『生まれてこないほうが良かった』(デイヴィッド・ベネター、田村宜義との共訳、すずさわ書店、2017年、新訂版2024年)などがある。

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