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2020.11.20 更新 ツイート

イカレポンチの回顧録#22

復職支援プログラム 矢吹透

休職をしても、心は安まらなかった。

 

休んでいる自分を、怠けている人間だと責め、劣等感と罪悪感に苛まれ、人と会うのが恐怖で、家から外に出られなくなった。

人生は暗黒で、出口は見えなかった。

自分がどうしたら、抑鬱から抜け出せるのか、解決策が見えず、抑鬱症状が治癒する見通しが得られなかった。

 

休職の許される期間には、制限がある。会社を永遠に、休み続けていられるわけもない。

抑鬱が治癒せずに、休職の定められた期間が過ぎれば、解雇される運命が待っている。

ぼくには、資産や蓄えがあるわけでもなく、特別な技能があるわけでもなく、会社を解雇されることになったら、もう生きては行けないと感じていた。

この頃、ぼくの勤務先のフジテレビでは、鬱による休職の際、復帰するにあたり、復職支援プログラムを受講し、修了することが条件となった。これは前回に書いたように、鬱による休職者の復職後の再発率が高い、ということへの対策として会社が設けた新しいルールだった。

復職支援プログラムというのは、メンタルクリニックや病院、自治体などが設けるプログラムで、抑鬱で長い期間、職場を休んだ人が再び就労するためのトレーニングを受けるものである。

仕事に再び戻る、という意味で、リワークという呼ばれ方をすることもある。

プログラムは大体、3ヶ月から半年ほどの期間、定められた施設に毎日通い、作業や授業、カウンセリングなどのコースを受講するということになっている。

プログラムへの遅刻や欠席があると、評価が下がり、一定期間内にある程度の評価を得ることができなければ、修了と認められない。

修了の認定を、企業の多くが、復職の条件としている。

 

2012年の年末、休職の許される期間が残り半年余りになった時点で、ぼくはこの復職支援プログラムに通い始めることを決意する。再休職して、一年半ほどが過ぎていた。

鬱の状態は、仕事を休み始めた時より安定して来てはいたが、日によって、一進一退という感じが続いていた。

しかし、休職期間が尽きてしまう前に、復職支援プログラムを修了しなければ、自動的に解雇という将来を迎えることになるので、とりあえずプログラムに通うことをスタートしなければならないとぼくは考えた。

ぼくが選んだのは、都の福祉保健局が提供するプログラムだった。

プログラムは、月曜から金曜まで、毎朝8時過ぎにスタートする。

施設に着くと、タイムカードを押し、所定の用紙に前日の反省と今日の目標を記録する。

朝礼があり、ラジオ体操をする。

それから、曜日毎に決まったカリキュラムをこなして行く。

作業の時間は、木工や刺し子といった手作業、業務用の巨きなアイロン・プレス機を使ったアイロン掛けの作業などを行う。グループ単位で、リーダーを決め、細かく声かけや確認をしながら、作業を進める。

確認や点呼の声が小さかったり、作業にミスがあったりすると、注意を受ける。

作業が終わると後片付けと掃除をし、それぞれの作業の前後に、達成目標と反省を一人ずつ発表しなければならない。

それに対して、教官からの総括がある。

刑務所の受刑者が課せられる作業のようだ、とぼくはいつも感じていた。

当初覚えた屈辱感や抵抗は、決して小さいものではなかった。

授業は、対人関係やコミュニケーション・心理分析などに関する講義、漢字や計算などの脳トレーニング・テスト、体操や運動といった内容のものが用意されている。

昼休みの時間は、施設の食堂で、日替わりのお弁当を食べる。

食堂の掃除や、テーブル・クロスの交換も受講者の与えられる作業の中に含まれている。

午後の時間は、グループ・ディスカッションやグループ・カウンセリング、研究発表などを中心にプログラムが組まれていた。

一日の最後には、今日の振り返りと明日の目標を用紙に記入・提出して、16時過ぎに終了し、タイムカードを押して、施設を出る。

 

長い長い3ヶ月間だった。

ぼくは、一日だけどうしても気持ちを奮い立たすことができず、仮病で欠席してしまったが、それ以外は無遅刻無欠席で、なんとかプログラムを修了することができた。

プログラムで一番大変だったのは、自分自身のプライドや屈辱感と向き合うことだったような気がする。

殺風景な施設で、自分よりも年下の教官やスタッフの方々の指示や注意を受けながら、単調で単純な作業に従事する日々は、とても苦痛だった。

しかし、それは、何者でもない自分、を受け入れるために有用な時間だった。

フジテレビの社員として働いて来たキャリアも、出自や学歴も、何ひとつ評価されない環境に放り込まれ、ぼくは今までの自分には、何ひとつ確かなものなどなく、自分は、裏付けのない自信だけに縋り、生きて来たのだということに気づいた。

人は、長く生きているといつの間にか、社会の中で何らかの肩書きを背負うようになって行く。

肩書や、勤務先で与えられた役職などを背負い、それを自分自身の鎧や楯にして、多くの人は生きているような気がする。

けれど、その鎧や楯はとても重く、人はしばしば、その重みに負ける。

重みに耐えかねながら、人は、自分の前に敷かれたレールの上をそれでも進んで行く。

そのレールがいつ敷かれ、どこまで続いているものなのか、大抵の人は知らない。

誰が敷いたレールなのかも判然とはしていない。

ただひとつ、わかっているのは、そのレールを外れてはいけない、ということだ。

自分の載っているレールを外れた時、自分自身が社会的に死を迎える、と人は本能的に悟っている。

でも、本当にそうなのだろうか。

リワークに通う時間は、ぼくにそんなことを考えさせてくれた。

 

今回添えたピンボケ写真は、休職中に迎えたぼくの46歳の誕生日、パートナーの用意してくれたケーキの蝋燭を吹き消そうとする瞬間のショットである。

<つづく>

 

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 日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。

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矢吹透

東京生まれ。 慶應義塾大学在学中に第47回小説現代新人賞(講談社主催)を受賞。 大学を卒業後、テレビ局に勤務するが、早期退職制度に応募し、退社。 第二の人生を模索する日々。

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