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おとなの手習い

2019.08.31 更新 ツイート

56歳からの教習所通い香山リカ

(写真:iStock.com/damedeeso)

苦労して取った自動車免許を初めての更新で失効させていた香山リカさん。「そんなトラウマがあるのに、もう一度、免許を取ろうと思うとは、私もおとなになったものだ」。そんな、おとなカヤマが出向いた先は……。

*   *   *

他人に話しても笑われるだけだと思うが、そんな感慨を抱きながら、私は2016年の秋、自動車学校を探すことにした。今度は自分で料金を出すので、「親に申し訳ない」といった引け目を感じることもない。「なるべく通いやすいところでいいや」と思い、目黒区の日の丸自動車学校に問い合わせてみた。

 

電話をかけて「あのー、私、いま56歳なんですが、これからでも入校できるでしょうか」と言うと、男性が「はい。手続きに必要なのは住民票と保険証と……」とあっさり返事をし、事務的な話を始めた。「え、ゴジュウロク! その年で免許……いやいやこれは参ったな」などと仰天されることも覚悟したのだが、あたりまえかもしれないがそんなことはなく、ちょっと拍子抜けした。

それからすぐに、教えられた通りのものをそろえて教習所に出向いた。ちょうど教習のあいだの休み時間で、入り口付近には番号がついた教習車がたくさん停まっていた。それを見た瞬間、「あー、これこれ。これに乗るとコワい指導員が“あ、キミか”と舌打ちをして……」と35年も前の情景がよみがえってきた。しかし、もうやると決めたのだ。私はなにも考えないようにして受付に向かった。

日の丸自動車学校はさすが東京の中心にある教習所で、常に入校希望者がいるようだった。私が行ったときも「入校受付」の窓口には数人が列を作っており、担当者はにこやかにかつサクサクと対応していた。だから、私の番が来て「あのー、私ゴジュウロクで」など例の口上を述べても、それにはノー・レスポンスで「保険証はお持ちですか? コピー取らせていただきますね」などと手続きが進んでいった。

手続きはあっという間に完了したが、ひとつ問題が生じた。これで明日から教習を始められるというわけではなく、「入校式」というのに出て、適性テストなどを受けなければならないという。その曜日や時間が決まっているのだが、いずれも平日の日中で、授業や診療という仕事がある私が出られるのはちょっと先になるのだ。

「なんとか仕事を休めそうなのは……2週間後のここだけですね」と言うと、担当者は「それでけっこうですよ」とにこやかに答えた。おそらく「先まで時間があかない」というのは私だけではないのだろう。

そう、その後の教習でも、私は「こういう人って私だけじゃないんだ」と何度も気づくことになった。

自分の中では、こんなに運動神経がニブくて運転に向いていないのも、一度、取得した免許を捨てて再び取ろうなどというのも、しかも50代も後半になってから教習所に通おうなどというのも、この広い世界で私だけなのではないか、という空想というか妄想にとらわれがちだ。

しかし、日本だけでも1億3000万人もの人間がおり、自分を相手してくれているのは“自動車教習のプロ”たちなのだ。彼らにとっては、私のような人間は「まあまあよくあるケースのひとつ」にすぎないに違いない。「こんなの私だけ」というのは、ある意味、私の思い込みなのだ。

ちょっと自分に意地悪な言い方をすれば、「私って(良い意味だけじゃなく悪い意味でも)特別」という気持ちの中には、若干の自己愛が混じっているかもしれない。「私は特殊なケースであってほしい」という気持ちだ。ところが、自分なんてしょせんは「平凡な50代」なのである。そう思うとちょっとガッカリもするが、逆に肩の力が抜ける感じもした。

とはいえ、それに気づいたのはしばらく教習所に通ってからのことであり、入校式が終わって、いよいよ技能教習が始まって何回かは、指導員にいちいち「私、昔、免許取ったのですが、あまりに適性がなくて運転やめたんですが、最後のチャンスと思って来たんです」とか「こんな年齢で免許取ろうだなんて、ホントにすみませんねえ」などと言い訳をしていた。

何度も繰り返すが、それに対して「ええっ! そんな人ははじめてです」などと反応する指導員は皆無で、みな「そうですか……では始めましょう」と顔色ひとつ変えずにその日の教習を始めた。また中にはホスピタリティあふれる指導員もいて、「いいじゃないですか! がんばりましょうね」などと励ましてくれさえした。

私ってふつう。

その感覚はとても新鮮で、驚くことに、そう思うとあんなに苦手だと思った自動車の運転まで、なんだかふつうにできそうな気がしてくるのだった。

香山リカ『ノンママという生き方~子のない女はダメですか』

ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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おとなの手習い

60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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