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デビューの頃

2019.06.04 更新

私が作家になった瞬間橘玲

どんな作家にもデビュー作がある。
それが華々しいときもあれば、静かな船出であることもある。
いずれにせよ、みな、書き出し、書き終え、世に問いたい、と願ったのだ――。

<今回の執筆者>
橘玲(たちばな・あきら)
1959年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。06年、小説『永遠の旅行者』が第十九回山本周五郎賞の候補作となる。他の著者に『タックスへイヴン』『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』『新版お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』『言ってはいけない』等がある。

誰も知りえない情報を伝えるために

自分が「作家」になった瞬間ははっきりと覚えている。それは2000年の春、香港から成田へと向かうフライト中の出来事だった。

私はそのとき中堅出版社の編集者で、「フリー、フェア、グローバル」を掲げた橋本龍太郎政権の大規模な金融制度改革「金融ビッグバン」に触発され、海外の金融機関に個人で口座を開設し、日本国内では販売されていない株式や債券、ファンド、デリバティブなどの金融商品に投資するノウハウ本をつくっていた。

 

 

いまでは海外投資は当たり前になったが、当時はこんなことをやっている人間はほかにいなかったので、国際金融業界のひとたちがさまざまな目的でコンタクトをとってきた。

ジャージー島はドーバー海峡にあるチャネルアイランズのひとつで、ヨーロッパの代表的なタックスヘイヴンでもある。そこで営業する銀行が海外から郵送での口座開設を受け付けていたので紹介したところ、日本人の申し込みが殺到し、驚いた銀行の幹部から連絡が来た。

その銀行は香港に支店を持っていて、香港を訪れた際にイギリス人の支店長に挨拶に行った。香港にはイギリス流の社交クラブがあり、どこも上流階級の会員しか利用できないが、支店長は私を中環(セントラル)にあるチャイナクラブに招待し、北京ダックやガルーパの姿蒸しなど高級中華をふるまってくれた。

香港では米系金融機関のプライベートバンカーたちとも親しくなった。その部門のトップの女性は大の日本びいきで、年に何回か日本を旅行し高級旅館に泊まり、銀座で買い物をしていた――いまから20年前の1990年代末のことだ。彼女は顧客でもない私を、大富豪だけを集めた特別のパーティに招待してくれた。

そのプライベートバンカーたちが次々と他の金融機関に転職していったことで、UBSやクレディスイスなど、香港にあるほとんどの大手プライベートバンクを訪れる機会を得た。私はどのプライベートバンクにも口座を持っていないが、こんな経験をした日本人はあまりいないだろう。

私の本を知って、怒鳴り込んできたひともいた。タックスヘイヴンに口座開設する方法を、彼は顧客から100万円以上の手数料をとって案内していた。それと同じ情報がわずか1400円の本に書いてあるのだ。ブランドものの三つ揃いのスーツを着たその男性は、「自分と組んで富裕層の顧客を囲い込み、海外のヘッジファンドや保険商品を販売すれば、キックバックだけで年に1億円稼げる」と私を誘った。――面白そうではなかったので丁重にお断りしたが。

そんなやりとりのなかで、国際金融の現場で使われているさまざまなグレーゾーンの手法を教えてもらった。それらは道徳的には問題はあるものの違法とはいえず、税金を払わずに株式などの金融商品に投資したり、巨額の相続税・贈与税を魔法のように消してしまうとてつもないパワーを持っていた。

彼らの話を聞くうちに、私はこれを本で紹介したいと思ったが、その方法が思いつかなかった。裏情報をそのまま書けば「脱税マニュアル」の類になってしまい、きびしい批判を浴びるのは間違いないからだ。

そんなあるとき、香港で一人の日本人と出会った。私と同世代の30代後半で、フリーランスのフィナンシャル・アドバーザーとして、日本人の富裕層の顧客を中心にさまざまな金融上のアドバイスをしているのだという。彼の話を聞いて、「こんな仕事があるのか」と驚いた。

そして、日本に戻る機上でひとつのアイデアを思いついた。

毒薬のつくり方など人殺しのやり方を本にすれば批判されるが、ミステリー小説で、どのように殺人が行なわれたかを微に入り細を穿って描写するのは許容されるばかりか、しばしば上質のエンタテインメントとして高く評価される。だとしたら、香港のフィナンシャル・アドバーザーを主人公にした小説で、さまざまな脱税テクニックを詳細に描いても同じではないだろうか。

こうして私は、国際金融ミステリー小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビューすることになる。それまで自分が「作家」になることなど考えたこともなかったから、まさにあの瞬間に「橘玲」は誕生したのだ。

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コメント

もーりー  RT @ak_tch: 「私が作家になった瞬間」 https://t.co/nMReeZ9HRH 幻冬舎Plusの連載企画「デビューの頃」に寄稿しました。イノベーションや起業でも同じでしょうが、慎重に計画してそれが実現するのではなく、最初はふとした思いつきです。 5日前 replyretweetfavorite

夢与おじさん  面白い。 私が作家になった瞬間|デビューの頃|橘玲 - 幻冬舎plus https://t.co/dDS34xSksD 6日前 replyretweetfavorite

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橘玲 作家

1959年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。06年、小説『永遠の旅行者』が第十九回山本周五郎賞の候補作となる。他の著者に『タックスへイヴン』『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』『新版お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』『言ってはいけない』等がある。

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