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世にも美しき数学者たちの日常

2020.04.04 公開 ツイート

ABC予想ついに証明!35年も未解決の難問に挑む数学者ってどんな人たち?【再掲】 二宮敦人

35年間未解決だった数学の超難問「ABC予想」を、京都大数理解析研究所の望月新一教授(51)が証明したことがニュースに! 世界中の数学者が頭を悩ませていた難問を、望月教授は“7年半”もかけて解いたそうです。
ところで、何十年も解けない数学の難問ってどういうこと? 「予想」って何?
小説家・二宮敦人さんが、日本の名だたる数学者のもとを訪れて取材した、数学者ノンフィクション『世にも美しき数学者たちの日常』より、本文公開。凡人には手の届かない、賢すぎる人…という印象が強いかもしれない「数学者」の魅力を、今あらため知るチャンスです! 

今回は、黒川信重先生。

*   *   *

(写真:iStock.com/alphaspirit)

数学者に初めて出会った日 ――黒川信重先生(東京工業大学名誉教授)

東京工業大学、本館のロビーで、袖山さんが手帳を確認して頷いた。

「十四時に、三階のどこかで待ち合わせです」

よくわからなかったので聞き返す。

「どこか、とはどこでしょう」

「わかりません。三階のどこかにいるそうです」

「…………」

「歩き回って、出くわすのを待ちましょうか」

野生のポケモンを探すような作業が始まった。それにしてもざっくりとした約束である。数学者と言っても、全てが厳密とは限らないようだ。

そして本当に三階のどこか、廊下の中途半端な場所で、僕たちはのんびりと歩いている黒川信重先生を発見した。背が高く大柄で、きちっとスーツを着ているが少しお腹が出ていた。温和な熊のような印象である。

「ああ、どうもどうも、こんにちは。インタビューの方ですね」

日本を代表する数学者の一人である黒川先生はにこやかに笑い、手を振った。

紙で埋め尽くされた研究室

「退官直前ということもありまして。ちょっと今、散らかっているのですが」

黒川先生は照れたように頭をかきながら、研究室を見せてくれた。僕と袖山さんは目を丸くして部屋の中を覗き込む。

「確かに少し、紙が散らかっているようですね……」

散らかっているのは紙だけ。だがその紙があまりにも多いのである。床を埋め尽くしている、どころではない。部屋中を埋め尽くしている。A4サイズのコピー用紙が、床といい棚といい、およそ載せられる場所全てに積み上げられ、いくつかは土砂崩れを起こしている。合計したら数万枚にはなろうか。白い城壁の隙間から、机らしきものがかすかに見えた。

しかしこの紙の山こそが、黒川先生の研究成果だそうである。

「僕は栃木に住んでいまして、片道二時間半かけて東工大まで通っているんですが、その電車の中で研究をするんですよ」

通勤鞄(かばん)の中には鉛筆と紙。必要な道具はそれだけ。

「紙に数式なんかをこう、書いていって……五十枚くらいたまると、論文が一つできるわけです。もうかれこれ四十年くらいですか、そういう生活を続けています。宇都宮線、進行方向寄りの奥のボックス席、窓側。そこが僕の指定席なんです」

「それを通勤の間、ずっとやられているんですか」

「ええ。二時間半は全然長いとは感じませんよ。青春18きっぷを使って、朝から夜までずっと乗って、数学をやっていたこともあります。JRに感謝しないとなりませんねえ」

大学の研究室は単なる紙の倉庫であり、電車の中こそが黒川先生の研究室なのである。

「ちょっとこれ、見せてもらってもいいですか」

紙には丸っこい字で何かが延々と書かれていた。もちろん何が書いてあるのかはわからない。どうやら数式らしいのだが、抽象的な絵のようにも、あるいは知らない言葉で書かれた文学のようにも見えた。一枚一枚、黒川先生が電車の中で紡ぎ続けてきたのだ。

「研究中に詰まってしまうことはないんですか。どうしても問題が解けない、とか」

「うーん、あんまりないですね……」

黒川先生はあっさりと言う。

「一つの論文が一ヶ月くらいで完成するペースですね。もちろんその一ヶ月には研究だけでなく、授業の準備をする時間なども含まれていますが」

そんなにすいすいと研究は進むものなのか。

聞けば黒川先生が数学の楽しさに気づいたのは小学校の時。友達と数学の問題を出し合うのが遊びだったという。そして、高校生からは作った問題を数学雑誌に応募し、何度も採用されていたそうだ。

これは、相当頭の作りが違うらしいぞ。僕はううむと唸(うな)りながら、研究室を出た。

(続く)

関連書籍

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』

百年以上解かれていない難問に人生を捧げる。「写経」のかわりに「写数式」。エレガントな解答が好き。――それはあまりに甘美な世界! 類まれなる頭脳を持った“知の探究者”たちは、数学に対して、芸術家のごとく「美」を求め、時に哲学的、時にヘンテコな名言を繰り出す。深遠かつ未知なる領域に踏み入った、知的ロマン溢れるノンフィクション。

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世にも美しき数学者たちの日常

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。
「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」
「楽しみは、“写経”のかわりに『写数式』」
「数学を知ることは人生を知ること」
「数学は芸術に近いかもしれない」
「数学には情緒がある」
など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。
黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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二宮敦人 小説家・ノンフィクション作家

1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。『正三角形は存在しない 霊能数学者・鳴神佐久のノート』『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫)、『文藝モンスター』(河出文庫)、『裏世界旅行』(小学館)など著書多数。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』ほか「最後の医者」シリーズが大ヒット。初めてのノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』がベストセラーになってから、『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』など、ノンフィクションでも話題作を続出。

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