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世にも美しき数学者たちの日常

2019.04.11 更新 ツイート

紙の山というより壁…でもそれこそが研究成果。日本を代表する数学者・黒川信重先生の研究室へ二宮敦人

苦手意識を持つ人の多い数学ですが、そこに人生をかける数学者たちがいます。
凡人には手の届かない頭脳を持った、美しき天才たちの日常を知りたい――!
その思いで、小説家・二宮敦人氏が、担当編集者とともに数学者のもとへ訪れ、謎多き彼らのヴェールを一枚ずつ剥がしていくノンフィクション『世にも美しき数学者たちの日常』
一人目の数学者は、世界でも知られる黒川信重先生です。

*   *   *

(写真:iStock.com/alphaspirit)

数学者に初めて出会った日 ――黒川信重先生(東京工業大学名誉教授)

東京工業大学、本館のロビーで、袖山さんが手帳を確認して頷いた。

「十四時に、三階のどこかで待ち合わせです」

よくわからなかったので聞き返す。

「どこか、とはどこでしょう」

「わかりません。三階のどこかにいるそうです」

「…………」

「歩き回って、出くわすのを待ちましょうか」

野生のポケモンを探すような作業が始まった。それにしてもざっくりとした約束である。数学者と言っても、全てが厳密とは限らないようだ。

そして本当に三階のどこか、廊下の中途半端な場所で、僕たちはのんびりと歩いている黒川信重先生を発見した。背が高く大柄で、きちっとスーツを着ているが少しお腹が出ていた。温和な熊のような印象である。

「ああ、どうもどうも、こんにちは。インタビューの方ですね」

日本を代表する数学者の一人である黒川先生はにこやかに笑い、手を振った。

紙で埋め尽くされた研究室

「退官直前ということもありまして。ちょっと今、散らかっているのですが」

黒川先生は照れたように頭をかきながら、研究室を見せてくれた。僕と袖山さんは目を丸くして部屋の中を覗き込む。

「確かに少し、紙が散らかっているようですね……」

散らかっているのは紙だけ。だがその紙があまりにも多いのである。床を埋め尽くしている、どころではない。部屋中を埋め尽くしている。A4サイズのコピー用紙が、床といい棚といい、およそ載せられる場所全てに積み上げられ、いくつかは土砂崩れを起こしている。合計したら数万枚にはなろうか。白い城壁の隙間から、机らしきものがかすかに見えた。

しかしこの紙の山こそが、黒川先生の研究成果だそうである。

「僕は栃木に住んでいまして、片道二時間半かけて東工大まで通っているんですが、その電車の中で研究をするんですよ」

通勤鞄(かばん)の中には鉛筆と紙。必要な道具はそれだけ。

「紙に数式なんかをこう、書いていって……五十枚くらいたまると、論文が一つできるわけです。もうかれこれ四十年くらいですか、そういう生活を続けています。宇都宮線、進行方向寄りの奥のボックス席、窓側。そこが僕の指定席なんです」

「それを通勤の間、ずっとやられているんですか」

「ええ。二時間半は全然長いとは感じませんよ。青春18きっぷを使って、朝から夜までずっと乗って、数学をやっていたこともあります。JRに感謝しないとなりませんねえ」

大学の研究室は単なる紙の倉庫であり、電車の中こそが黒川先生の研究室なのである。

「ちょっとこれ、見せてもらってもいいですか」

紙には丸っこい字で何かが延々と書かれていた。もちろん何が書いてあるのかはわからない。どうやら数式らしいのだが、抽象的な絵のようにも、あるいは知らない言葉で書かれた文学のようにも見えた。一枚一枚、黒川先生が電車の中で紡ぎ続けてきたのだ。

「研究中に詰まってしまうことはないんですか。どうしても問題が解けない、とか」

「うーん、あんまりないですね……」

黒川先生はあっさりと言う。

「一つの論文が一ヶ月くらいで完成するペースですね。もちろんその一ヶ月には研究だけでなく、授業の準備をする時間なども含まれていますが」

そんなにすいすいと研究は進むものなのか。

聞けば黒川先生が数学の楽しさに気づいたのは小学校の時。友達と数学の問題を出し合うのが遊びだったという。そして、高校生からは作った問題を数学雑誌に応募し、何度も採用されていたそうだ。

これは、相当頭の作りが違うらしいぞ。僕はううむと唸(うな)りながら、研究室を出た。

(続く)

*   *   *

18万部のベストセラー『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』の著者・二宮敦人氏による、“知の迷宮を巡るノンフィクション”。絶賛発売中!

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。 「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」 「楽しみは、“写経”のかわりに『写数式』」 「数学を知ることは人生を知ること」 「数学は芸術に近いかもしれない」 「数学には情緒がある」 など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。 黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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世にも美しき数学者たちの日常

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。
「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」
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など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。
黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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二宮敦人 小説家・ノンフィクション作家

1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。その他『郵便配達人 花木瞳子が顧り見る』(TO文庫)、『占い処・陽仙堂の統計科学』(角川文庫)、『廃校の博物館 Dr.片倉の生物学入門』(講談社タイガ)、『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫)、『文藝モンスター』(河出文庫)など著書多数。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』ほか「最後の医者」シリーズが大ヒットする他、人気シリーズを数々持つ。初めてのノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』がベストセラーに。ノンフィクション第二弾『世にも美しき数学者たちの日常』は、「小説幻冬」に連載中から話題に!

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