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世にも美しき数学者たちの日常

2020.04.10 公開 ツイート

「フェルマー予想」は解けるまでに約三百六十年かかった! 生きているうちに解けない問題に取り組むという恍惚。【再掲】 二宮敦人

京都大学・望月新一教授による「ABC予想」証明のニュースが話題です。何年もひとつの問題に取り組む数学者とはどういう人たちなのでしょうか――。過去記事よりご紹介します。

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手の届かない頭脳を持った、美しき天才たちの日常を知りたい――! 
その思いで、小説家・二宮敦人氏が数学者のもとを訪れ、謎多き彼らのヴェールを一枚ずつ剥がしていくノンフィクション『世にも美しき数学者たちの日常』
この度、この本を書くきっかけとなった、数学者・黒川信重先生と、黒川先生が注目する数学者・「ブンゲン先生」こと加藤文元先生との鼎談が、現在発売中の「小説幻冬」にて実現しました。
3人が何を話したのか!? ヒジョーに興味深いすべてを公開しちゃいます! 

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『世にも美しき数学者たちの日常』刊行記念鼎談(前半)

「数学と文学は似ている」二宮敦人さんはそう言った。
では、小説家と数学者が語り合うとどんな共通項が見えてくるのか。
『世にも美しき数学者たちの日常』を執筆するために二宮さんが取材した二人の数学者を改めて訪ねた。
穏やかな雰囲気なれど、知的好奇心が刺激される鼎談のはじまり、はじまり。

左から、加藤文元先生、二宮敦人氏、黒川信重先生

数学の未来は明るい

――お二方とも数学者としてメディアの取材を受けることは多々あると思うのですが、『世にも美しき数学者たちの日常』のように、小説家が話を聞きに来るというのは珍しいのではないかと思います。二宮さんに取材を受けられたときのことからうかがってもいいですか。

黒川 退官する前だったので、大学まで来ていただきましたね。「研究室を見せてください」と言われてちょっと躊躇しました。中に入れる状態ではなかったから。

二宮 のぞかせていただいたんですが、すごかったです。部屋が紙で埋まっていて。

黒川 あれが数学の山なんです。

二宮 机の上にも下にも紙が積まれていて、机の意味がまったくない(笑)。

(くろかわ・のぶしげ)
1952年栃木県生まれ。1975年東京工業大学理学部数学科卒業。現在、東京工業大学名誉教授。理学博士。専門は数論、特に解析的整数論、多重三角関数論、ゼータ関数論、保型形式。

黒川 地震のあとに、学校に来るとその山の崩れ具合で「ああ、こんな感じか」とわかるんです。乱雑にしていましたが、必要な書類がなくなることはなかったですね。部屋に持ち込んだ書類は持ち出さないようにしていたので。数学で言うと存在定理。この箱の中に何かが存在するということは証明できる。だけどその書類がどこにあるかはまた別の問題なんですが。

二宮 部屋のどの座標軸にあるかですね。

黒川 そうそう。だからそれはまた別の問題。方程式の解で言えば、代数的に方程式の解が存在するとは言えるけど、その具体的な形とかそれはまた別の問題なんですよね。とはいえ、紙は動かしませんから、何年前のものはここだな、と見当はつきましたが。

二宮 最初に黒川先生にお会いして、「数学者の方で面白い方をご紹介ください」って言ったらすぐに、「文元(ブンゲン)さんがいいよ」っておっしゃったんです。

黒川 それはね、外せないですよ。いまや、スターですから。十個くらい仕事をしてるんじゃないですか。

加藤 そんなにはしてないですよ。ただ、大学の仕事以外に一般向けの講座を持ったり、中高生向けのセミナーや数学サロンをやったりしているので、忙しいことは忙しいですけど。

黒川 最近、加藤さんたちの成果が上がってきたんだと思うんだけど、若い人の数学熱がすごいんですね。

加藤 そうなんですよね。以前から感じてることなんですけど、数学のサロン的な「数理空間『トポス』」にかなりレベルの高い人たちが集まってきています。中高生でもインターネットで情報に直接アクセスできるから、日本人の数学の研究者が書いたブログとか、あるいは論文とかを直接読めるわけですよね。下手すると英語で書かれた欧米の文献を読んでる人もいる。「えっ、そんなことまで知ってるの」っていう、天才的な人がたくさんいるんですよ。

黒川 僕も神保町の書泉グランデで毎週火曜日に数学の話をしているんですが、そこに十歳の男の子が来るんですよ。お母さんが付き添って。ほかにも中高一貫校に通っている子なんかだと、受験の心配がないので、中学三年生ぐらいになると研究論文を書く子も出てくるんです。

二宮 僕もこの本の取材で中学生にお話を聞きました。最初に黒川先生からお話をうかがって、次に文元先生にも取材させていただいて、数学に関わる人々を訪ね歩きましたが、数学の未来は明るいという印象は最後まで変わらなかったですね。

ひらめきというバトン

― 数学も小説もアイデアが重要だと思うのですが、こんなときにひらめいた! っていうエピソードがありますか。  

黒川 僕はもっぱら電車ですね。大学へ通うために毎日往復で五時間ぐらい乗ってたので、その間に数式を書くようになっちゃったんです。ボックス席の窓側に座って、ボヤッと風景を見ながら計算でもしてると、ちょうどいいぐらいの刺激を受けるんですよね。

二宮 わかる気がします。ボーッとしながらちょっと進めて、また見て進めてみたいな。僕も電車の中でアイデアを思いつくことがあります。

黒川 文元さんはそういうのってあります? 

加藤文元
(かとう・ふみはる)
1968年宮城県生まれ。1997年京都大学大学院理学研究科数学・数理解析専攻博士後期課程修了。博士(理学)。現在、東京工業大学理学院数学系教授。専門は代数幾何学、数論幾何学。

加藤三つのB」ってよく言いますね。「Bath(風呂)」「Bed(ベッド)」「Bus(バス)」。リラックスできて、その上で適度の刺激があればなおいい、ということでしょう。私の経験では、もう二つ「B」があるんです。

二宮「B」ですか。何だろう。

加藤 一つは「Bicycle(自転車)」。自転車をこぐのは周期的な運動なので、リズムが生まれるんでしょうね。自転車に乗っているときに、修士論文のアイデアを思いつきました。もう一つは「Bridge(橋)」。ドイツのボンにケネディ橋という橋があるんですけど、ライン川に架かった長い橋で、四百メートルぐらいある。夜、その橋を渡ってるときに思いついたことで、二、三個論文を書いたことがあります。歩くことに加えて、渡るってことが、違う地面に渡るという心理的な刺激を与えるのかなと思うんですけど。

黒川 なるほど。じっとしてないほうがいいんですね。そういえば昔の数学者の写真を見ると、歩き回ってる人がけっこういますよね。研究室も、椅子がなくて指揮者の台みたいな机を使っている。

加藤 立ったままですか。座っているだけだとたしかにちょっとリズムが生まれませんね。

黒川 数学の授業もだいたい立ってやりますね。あれも快感なんです。

二宮 快感なんですか。

黒川 ええ。大きい黒板に数式をびっしり書くのも快感です。自分の定理じゃなくても、たとえばガロアの定理を、さも自分で見つけたような気分で書くのが気持ちいいんですね。

二宮 黒板と言えば、黒川先生はゼータの書き方が美しいそうですね。取材中に、そうおっしゃっていた方がいました。

これが黒川先生の書いたゼータだ!

黒川 そうですか(笑)。最近、黒板がない部屋が多いのはちょっと残念です。プロジェクターとか精密機械が増えたので、チョークの粉が飛ぶのが嫌らしいんですね。でも、相撲で砂かぶり席って言うんでしたっけ。土俵からすぐの席。あれと同じで、チョークかぶり席というのがあってもいいと思うんですけどね。

加藤 最近、また国際研究集会で黒板で書くのを好む人が増えてきましたよ。

黒川 そうですか。嬉しいですね。数学には、身体を使って納得するっていうところがあると思うんです。実際に昔の数学者が書いた数式を写すと納得するっていうか。

加藤 写経みたいなものですね。

黒川 似ていますね。AIの時代になっても、やっぱり数学は人間がやっているところがいいんじゃないかと思いますね。

二宮 人間がやるってことは、アイデアを思いつくときに、自分の価値観のようなものが出たりすることがあるんでしょうか。その人の人生、培ってきたものが出るとか。

加藤 そういうところもあるでしょうね。同じようなトレーニングをしたら誰でもできるかというと、そうではないですからね。それに、おそらく違う時代の人、あるいは違う国の人だったらまた違う考え方をするんでしょうし。

黒川 グローバリゼーションと同時にローカリゼーションも必要なんですよね。違う発想が大事なんです。数学で一番わかりやすい仕事は問題を解くってことなんですが、突き詰めていくとだいたい壁にぶつかるんですね。どうやっても突破できないと。たとえば「フェルマー予想」は解けるまでに約三百六十年かかっているんですが、三百五十年ぐらいまで壁を突破できなかったんです。まったく別の方式をとって、十年ぐらいでアンドリュー・ワイルズさんっていうイギリスの数学者が突破したんですが、解くことだけを考えたら三百五十年は無駄だったってことですよね。

二宮 そうですね。たしかに。

黒川 それまでの数学者は「フェルマー予想の最終解決」と直接関係ないことをやってたことになる。数学はそのあたりが悲惨と言えば悲惨なんですよね。悲惨なことにならないようにするためには、その問題はいま解ける時期じゃないからやらないとか、いつ頃なら解けるかを予想する。たとえば「リーマン予想は二〇五〇年に解ける」と予想する。黒川予想です。二〇五〇年になれば正しいかどうか結果がわかる。

加藤 そういう予想ってあまりないですね。面白いと思います。

二宮 その問題が解ける時期があるってことは、数学の発展とかほかの科学の発展とか、環境の変化に起因してるってことですか。そうすると、ものすごく広い情報を集めれば予想できるような気がしますが。

黒川 それがそうとも言えないんですよ。フェルマー予想の場合だと、ゲルハルト・フライさんっていう、当時はあまり有名じゃなかったドイツの数学者が楕円曲線を対応させるっていうアイデアを出して、それを知ったワイルズさんが直感的に解けると感じたことが出発点なんです。だけどワイルズさん以外はそれでも解けないと思ってたわけですよね。だからいろんな情報を集めたらっていうのは、いま流行りのビッグデータ的な考え方だと思うんだけど、それはちょっと違うような気がするんですよね。

二宮 なるほど。データを集めて予想するというよりも、ひらめきというすごく細いバトンの受け渡しなんですね。

黒川 それに近いと思います。簡単に言ってしまうと思いつきの連続。二〇五〇年にリーマン予想が解けるという僕の予想も直感以外のなにものでもないんだけど、案外それが正しかったりするからあなどれないんです。 
 

構成 タカザワケンジ/撮影 高橋浩

関連書籍

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』

百年以上解かれていない難問に人生を捧げる。「写経」のかわりに「写数式」。エレガントな解答が好き。――それはあまりに甘美な世界! 類まれなる頭脳を持った“知の探究者”たちは、数学に対して、芸術家のごとく「美」を求め、時に哲学的、時にヘンテコな名言を繰り出す。深遠かつ未知なる領域に踏み入った、知的ロマン溢れるノンフィクション。

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世にも美しき数学者たちの日常

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。
「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」
「楽しみは、“写経”のかわりに『写数式』」
「数学を知ることは人生を知ること」
「数学は芸術に近いかもしれない」
「数学には情緒がある」
など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。
黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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二宮敦人 小説家・ノンフィクション作家

1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。『正三角形は存在しない 霊能数学者・鳴神佐久のノート』『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫)、『文藝モンスター』(河出文庫)、『裏世界旅行』(小学館)など著書多数。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』ほか「最後の医者」シリーズが大ヒット。初めてのノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』がベストセラーになってから、『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』など、ノンフィクションでも話題作を続出。

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