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世にも美しき数学者たちの日常

2021.05.13 公開 ポスト

僕は初めて「数学はつまらない」と言ってくれる数学者に出会った――高瀬正仁先生との衝撃的な出会い!二宮敦人(小説家・ノンフィクション作家)

天才的頭脳をもつ彼らの日常は、凡人と以下に違うのか?

知的で、深くて、愉快で、面白い!と話題になった世にも美しき数学者たちの日常の文庫化を記念して、本文を公開!

第七回目は、数学者であり、数学史の専門家でもある高瀬正仁先生。日本の数学史を代表する数学者・岡潔先生のお話も興味深かったです!

*   *   *

頑張っても、そこには何もなかった
高瀬正仁先生(数学者・数学史家)

たくさんの数学者にお会いして、ずいぶん数学への誤解が解けたように思う。自分の身の回りにも数学があり、恩恵を受けていることもわかってきた。

だが、忘れてはならないことがある。

それでもやはり、数学はつまらないんじゃないか?

「お話を聞いたところで、今日からすぐに数学が楽しめるわけではありませんしね」

「私も、なんかすごく魅力的、楽しそうで羨ましい! というところまでは行くんですが、やっぱりわからないものはわからないです」

僕と編集の袖山さんは互いに頷き合う。

そうなのだ。

個人的に数学書をいろいろと買って読んでみたのだが、これがなかなかのめり込めない。

確かに一つ一つ用語を調べながら読み進めていくと、理解はできる。だが、続きが気になる! とまでならないのが正直なところだ。

これは僕たちに数学の才能がないからなのだろうか。人間として、彼らと何かが決定的に違っているからなのだろうか。いずれにしろ手に入らないのであれば酸っぱい葡萄(ぶどう)になってしまう。数学を手放しで褒められない、何だかもやもやした気持ちが残っていた。

そんな時だった。

僕は初めて「数学はつまらない」と言ってくれる数学者の先生に出会ったのである。

(写真:iStock.com/summerphotos)

数学に「魅力的な何か」はなかった

「今の数学はね、面白くないですよ」

高瀬正仁先生はまるで古くからの友達と世間話でもするかのように、ざっくばらんに語ってくれた。今年六十七歳になる高瀬先生が数学に興味を持ったのは、高校に入る直前の春だったという。

「山奥の中学を出て都会の高校に行くので、楽しみでね。教科書をいろいろと見ていたんですよ。そうしたら数学の教科書だけは、何だか変な感じがした。それが初めの衝撃でした」

確かに数学の教科書は異質だ。二次関数。不等式。三角比。順列・組み合わせ。一つ一つの単元が唐突に現われて、どこから来たのかどこへ向かうのか、さっぱりわからない。

歴史なら、縄文時代から始まってやがて江戸時代、明治時代、そして現在に繋がるのだとわかる。生物なら、私たちの周りには植物がいて動物がいて、実は彼らの仕組みはこうなっているのですと続いていく。自分と地続きの感覚がある。

「数学というのは何なんだ、一体何を研究する学問なんだろう、と思ったんです。それでね、高校一年生の時に数学者のエッセイを読んでみたんです。岡潔先生のエッセイでしたね。そこに数学とは人の心、すなわち情緒を数学という形式で表現する学問である、というように書かれていたんですね」

「まるで芸術のような物言いじゃないですか!」

ええ、と頷いて高瀬先生は続ける。

「大変衝撃を受けました。数学は○○だ、ということは他のどこにも書かれていなくてね、岡先生だけが書いていたんです。しかも意味がわからなかった」

「意味はわからなかったんですね」

「けれど、この言葉には何か魅力がありますね。そこからです、数学に関心を持ち始めました。もっとよく知りたいと。でも受験の数学の勉強なんかやりますよね。いくらやったってそこには情緒が表現されていないように感じるんですよ」

「確かに、僕も同感です」

「ただ問題を解くだけで、別に面白くもおかしくもない。いや面白くないのは別にいいけど、情緒はどこにあるんだろう、何か変だなと。でもとにかく大学に行けば岡先生のような数学者がいっぱいいて、情緒に溢れた世界が待っているのだろうと思って、それを励みに勉強したんです」

そして見事東京大学に合格した高瀬先生だったが、入ってみてがっかりしたのだという。

「岡先生のような人はいないんです。一人も。数学もね、面白くないままでしたね。数学の本を読もうとしてもすぐわからなくなる。だらだら書いてあるのを、我慢して読むんです。

数学の概念や技術を覚えて、使いこなせるようにしながら。これにものすごい時間がかかるんですけどね。するといつか最後まで読み終えます。書いてある命題を再現できるようになる。だけど、さて自分は何を学んだのだろう、何がわかったのだろうと自問すると、これが答えられないんです」

そうなのである。僕も数学の本を読んでいて、似たような経験をした。

「だからつまらない。一つ終えてつまらなくても、また次を頑張って学びますよ。しょうがないですよね、これが数学だって言うんだから。その先には岡先生の言うような情緒が、魅力的な何かがあると信じて我慢してきたわけです。でもね、今にして思えば、なかったんです。情緒なんてものは数学にはなかった。ないものねだりでした」

「それでも高瀬先生は、数学の研究者としてやってきたわけですよね」

「やったけど……大学の教員としては失格でしたね。だって面白くないんだもん。つまり岡先生の数学が、僕の求めていた数学なんですよ。そこで僕は岡先生の論文を読むようになり、さらに数学の古典を読むようになり、そうして昔へと遡っていきました。だから数学史家としてやってきたような感じなんです」

(写真:iStock.com/Hachio Nora)

亀がわーっと立ち上がる数学

数学史を調べ始めてからも、高瀬先生の志は常に数学にあったという。

「要するにね、今の数学というのは情緒とか、そういうものがないように作られてしまっているんですよ」

「今の、ということは昔は違ったんでしょうか?」

「一九三〇年代からです。第一次大戦が終わって少し過ぎたあたりから、今のような方向に流れてきてしまった。実は古典の世界を見回すと、岡先生のような人がたくさんいるんですよ。だからここ百年ほど、数学は方向を間違えていると思うんです」

だとしたら、僕たちは生まれた時からずっと、高瀬先生の言うところの間違った数学をやっていたことになる。これまでお話を聞いてきた先生方も、間違った数学の世界で生きている人ということになってしまう。

「昔の数学と今の数学は、何が違うんでしょう?」

僕は聞いてみた。高瀬先生は例として、こんなエピソードを教えてくれた。

「鶴亀算と連立方程式のようなものなんです。鶴亀算から考えてみましょう。鶴と亀が合わせて10

匹いて、足が合計30本見えているとします。それぞれ何匹ずついるか、という問題ですね。じゃあここで亀が全部立ち上がったとしましょう。4本足の亀が2本足で立ち上がる。

すると亀1匹につき2本、足が減るわけです。全部で10匹いるわけだから足の総数は20本になる。ということは減ってしまった10本を、亀1匹あたりの2本で割れば、亀が5匹と導き出せる」

「考えてみれば、面白いアイデアですよね」

「亀がわーっと立ち上がった情景を思い浮かべた瞬間、パッと解けますね。発見の快感や喜びがあります。でも鶴亀算には汎用性がない。他の問題には応用できないわけです」

確かに鶴と亀それぞれの頭と足の数だけわかっていて、亀の数を知りたい時というのは人生の中でそう頻繁に訪れそうもない。

「これを代数の言葉で表現すると、連立方程式になります。鶴をx、亀をyと置いて式を作る。x+y=10、2x+4y=30という、二つの式ができますね。あとは等号が崩れないように、代数の規則に沿って式変形をしていけばxとyが求められるわけです。これはいろいろな問題に応用ができますね。食塩水の濃度でも、自転車の速度でも、二人の人間の年齢でも、

未知数の数だけ式が作れれば解けてしまう。解く力が大変強力なんですよ」

確かに中学校でいろんな文章題を、連立方程式で解いたような覚えがある。

「昔の数学が、鶴亀算。岡先生の数学は亀が立ち上がるんですよ。でも今の数学は、連立方程式。解く力は強いけれど、一般化されてしまっている。これまでの数学は鶴亀算のような世界だったのに、ここ最近だけそうじゃなくなってしまったのです」

「解く力が強いに越したことはないんじゃないですか?

僕は連立方程式を初めて知った時、魔法の道具を手に入れたような気がしましたけれど」

「もちろんそういうテクニカルな快感はありますよ。でもね、こうして抽象化が進むと感動は失われてしまうんです。それが現代数学なんです」

なるほど。

確かに鶴と亀が池の中でわいわいやっていて、突然亀が立ち上がる様には、生き生きとした情景がある。それがxとyというものに置き換えられた瞬間、それは物言わぬ無味乾燥な記号になってしまう。

これがどんどん進んでいくと、迫りくる試験のために数学の参考書をぼーっと眺め、さっぱり意味がわからないなあと思いながらページをめくる、あのなんとも言えない退屈な気持ちに繋がるのだろうか。

 

「一つ象徴的なのが、『岡・カルタンの理論』です。岡先生が作った多変数関数論という数学の分野があります。これはフランスの数学者のアンリ・カルタンと互いに刺激し合うような形で、作り上げられていきました。このカルタンという人は、アンドレ・ヴェイユと共に現代数学を作った人なんですね。ある時フランス数学会の機関誌に、岡先生の連作『多変数解析関数について』の七番目の論文が載ることになります。一九五〇年。巻頭論文でした。で、その次に載っている論文がカルタンの論文なんですけれど、これは岡先生の論文を一年ほどかけて全面的に書き直したものなんです」

「え? 同じ論文なんですか?」

「論理的には同じですね、でもものすごく大きな乖離(かいり)がある。岡先生の論文はさっきのたとえで言う鶴亀算で、カルタンの論文は連立方程式なんです。つまり『岡の言っているのはこういうことである』と、カルタンたちが作っていた新しい数学の形に、抽象化して組み込んだわけです。こうしてできたのが岡・カルタンの理論。ホモロジー代数……層係数コホモロジーという新しい代数です」

つまり昔の数学と、今の数学がすれ違った瞬間の一つということなのか。

「ホモロジー代数は大成功を収めました。多変数関数論だけでなく、様々な分野に応用が利いたんですよ。数学の世界に非常に大きな土台を作りまして、その上に代数幾何学なんかもできた。難問だったフェルマー予想を解くことにも繋がっていったんです。これで岡先生は一挙に有名になった。業績を絶賛された。でもね」

高瀬先生は声のトーンを落とした。

「岡先生はそのカルタンの論文が、非常に嫌いでした。教科書にはカルタンの論文の方が載って、岡先生の論文は読まれなくなって。有名になった岡先生のもとに、学生たちが訪ねてきたりするわけですよ、カルタンの理論を教科書で読んだ学生がね。でも『あんなのは私の理論じゃない』と。怒られた方は何で怒られたのかよくわからない、尊敬しているのにね」

(続きは本書で!)

関連書籍

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』

百年以上解かれていない難問に人生を捧げる。「写経」のかわりに「写数式」。エレガントな解答が好き。――それはあまりに甘美な世界! 類まれなる頭脳を持った“知の探究者”たちは、数学に対して、芸術家のごとく「美」を求め、時に哲学的、時にヘンテコな名言を繰り出す。深遠かつ未知なる領域に踏み入った、知的ロマン溢れるノンフィクション。

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世にも美しき数学者たちの日常

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。
「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」
「楽しみは、“写経”のかわりに『写数式』」
「数学を知ることは人生を知ること」
「数学は芸術に近いかもしれない」
「数学には情緒がある」
など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。
黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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二宮敦人 小説家・ノンフィクション作家

1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。『正三角形は存在しない 霊能数学者・鳴神佐久のノート』『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫)、『文藝モンスター』(河出文庫)、『裏世界旅行』(小学館)など著書多数。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』ほか「最後の医者」シリーズが大ヒット。初めてのノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』がベストセラーになってから、『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』など、ノンフィクションでも話題作を続出。

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