大阪在住、缶チューハイ片手にフラッと散歩が趣味のライター・スズキナオさんの最新エッセイ『このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。』が発売になりました。歳を重ねるにつれ積もる、やるせない気持ちを綴った本書より、スズキさんの“寂しさ”を味わって下さい。今回は古賀及子さんとの対談でも話題になった「甘えん坊の中年」について。
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甘えられていた時代の終わり
いつもバスケットボールの練習で帰りの遅い中学1年生の次男が、珍しく早い時間に家にいた。体調が悪くて練習を休んだらしい。熱はなく、そこまで具合が悪そうにも見えなかった。「まあ、じゃあご飯だけ食べて早めに寝たら? 何が食べたい?」と聞くと、「あんまり食欲がない……」「うどんは?」「……少しなら」とのこと。
麺つゆを鍋で温めてそこに冷凍うどんを入れて茹で、わかめを少し入れて丼に盛る。次男はテーブルの上に置いたスマホを見ながら、ほんの少しずつ、箸先でつまんで食べている。
30分もかけて麺だけはなんとか食べ終えたようで、「わかめはいらん」と台所に器を下げに行った。その動きを背後に感じながら、私は自分のために作った皿うどんを食べていた。
すると、バシャッと音がして、振り返ると次男が食べたばかりのうどんを廊下に吐いてしまっていた。トイレに行こうとしたのが間に合わなかったらしい。「おお……。えーと、ちょっと、動かないで」と、台所からビニール袋数枚とティッシュの箱を持ってきて、とにかく少しずつ掃除して、次男には風呂場でシャワーを浴びるように伝えた。次男はその場にへたり込んだまま、返事をする元気もないようだ。
なんとかシャワーを浴び終えた次男が新しい服に着替えて寝室へ向かったのを見届け、アルコール消毒スプレーをそこら中に噴きかけまくって掃除を続けた。ようやくそれが終わった後、寝室に次男の様子を見に行く。眠っているようだった。
その日、夜中まで仕事をした後、自分の布団の上に寝転がりながら、へたり込んでいた次男の姿を思い出した。あんなに弱った姿を見たのはいつぶりだろうか。長男も次男もバスケットボールに打ち込んで、そのおかげか、二人とも背が伸びた。高校1年生になる長男に私はすっかり身長を超されてしまったし、次男もいつの間にか私とほぼ同じ高さに並んでいる。もうじき超えていくだろう。
長男も次男も家にいる間はスマホに向かっているばかりで、私と会話をすることはほとんどない。寂しくも思うが、自分が同じ年ごろの時も親と仲良く喋っていた記憶はないし、自分一人の世界がすっかり確立したということなのだろう。そんな息子の様子を見ていると、もはや自分が何か手助けする必要もないように思え、それはそれで気が楽でいいなと思う。経済的な部分ではまだまだ親の助けが必要だろうけど、それ以外のところではもう、それぞれ勝手にやっていくはず。
日頃からそんな風に感じていることもあって、弱った次男の姿に私は驚いたのだった。
そして同時に、「中学生の頃なんか、まだ何もわかっていなかったな」と、自分の過去を思い出す。成長して変わっていく自分の体のバランスや、思うようにならない学校生活のこと、「これはなんなのか?」「こういう時どうしたらいいのか?」と、わからないことばかりが自分の周りに限りなくあった。不安で誰かに頼りたい時がたくさんあった。
まだそんな時期にいるはずの子どもを、私はすでに自立した存在として捉えようとしていた気がする。「もうほとんど大人なのだから本人に任せておけばいい」「親からとやかく言われるのが一番嫌な時期なんだから、放っておいた方がお互いのため」などと考えていた……と書けばそれはそれで理由めいたものに見えそうだが、結局私は親という立場から逃れようとしているだけなのかもしれない。
考えてみれば、自分はいつも手助けしてくれる他人に頼り、甘えてばかりいた。何かあれば父や母に救ってもらえると心のどこかで思っていたし、実際に力を借りてきた。山形の親戚たちも、いざとなったら多少は優しくしてくれるだろう。もしどこにも行き場がなくなったとしても山形に行けばなんとかなるかもしれないと思っていた。そういう、「誰かがなんとかしてくれる」という思いが人生の根底にあったのだ。
それは、とても恵まれたことであると思う。「誰にも助けてもらえないから自分でなんとかやるしかない」と、困難な状況にも一人で向き合う人がいる。誰かの援助を前提にして生きられるのは、経済的に、家族や親戚との関係的に、それが許されたからだろう。頭ではそう思い、ありがたみを感じなくてはと考えるのだが、そうやって言葉にして意識する以前に、体がもう甘えてしまっているのだ。
つまりは、ずっと甘やかされて育ってきたということなのだろうか。自分でそのあたりを客観視するのはなかなか難しいのだが、これまでを振り返ってみれば、他力本願の人生だったなと思う。ダメ社員として雑な仕事をし続け、最終的には行き詰まってしまった会社員時代もそうだし、結婚生活とその後の育児期間もやはり、妻に負担をかけ過ぎていたと思う。「最後は誰かがなんとかしてくれる」と、心の中にいつも逃げの一手が用意されていた。
しかし、そんな風に誰かに甘えられていた時代はもう過ぎ去りつつあるのだと思う。というか、40代後半にもなってそんなことを言っているなんて恥ずかしいことなのか。「人に甘えて許されるのなんて10代までのことだ」と、そんな風に言う人もいるだろうし、「人の親なんだから甘えてどうする!」と、しっかりした誰かが言うのが聞こえてくるようだ。たしかにな、たしかにそうなんだよな。
先日、あるトークイベントにゲストとして呼ばれた際、他の登壇者の方々(私と歳の近い男性二人だった)は、悩み事を気楽に話せる相手がいたり、そういう対話の場を自ら作ったりするのに慣れているようだった。友達と集まってお茶を飲みながら色々話す。そしてそんな会話の中で、仕事に関してだとか、家族に関してだとか、困ったことがあれば、腹を割って話すことができる。「そんな相手が私にはいないんです」と言うと、「そういう友達が周りに多そうですけどね」と、意外に思われたようだった。
たしかに、普段暮らしている大阪にも、生まれ育った東京にも、「飲みに行きましょう」と誘ったら応じてくれそうな友人がいる。それはもちろん大変ありがたいことなのだが、そこで生まれるのはあくまで一緒にお酒を飲んで楽しむ場であって、「実は最近こんなことで困っていて」と打ち明けられる場ではないのだ。そんなことを言っても相手の負担になるだけだし、私には自分の弱みをさらす勇気もない。
悩みを打ち明けて意見を仰ぐことと甘えることは厳密には別かもしれないが、あえて「甘え」という言葉で強引にまとめるとしたら、“中年”と呼ばれる年齢は、甘えることがほとんど絶望的に難しくなってくるタイミングなのかもしれないと思う。そこには少なからず性差もあって、特に中年男性の“甘え”には厳しい目が向けられるだろう。「甘えん坊の中年男性」って、文字にしただけでもう嫌だもんな……。「こんにちは! 甘えん坊の中年男性です!」と胸を張って自己紹介できる人はいないだろう。
だからこそ、先日のトークイベントの私以外の登壇者の方々のように、弱みも含めてさらけ出せる相手とか、あるいは別の乗り越え方を自分で見つける必要があるのだろう。私はそれが見出せず、ぐずぐずとまだ甘え続けている気がする。
思えば私はこれまでの人生で、色々な人に甘えておきつつ、本音の部分を話すことは不得意で、その時のパートナーにしか心を開けないでいたような気がする。だから、その関係性がなんらかの事情で破綻すると、ダメージが非常に大きく、立ち直るのに時間がかかった。また別のパートナーに出会うまで不安定な状況が続いた。「どうしようもない部分も許してくれる相手がまた現れるかもしれない」と、そんな調子のいいことを望めていたのはまだ若くてのん気だったからで、今後の人生にそんな希望は残されていない。
もっと、一人でなんでもできるようにならなくては。あるいはパートナーとは違う関係性で、頼り合える相手を見つけなくてはならない。そうは思うのだけど、何かを具体的に始められるわけでもなく、今日のところは、まだこの世界に甘えている。二日酔いの苦しみの中で目を覚ます時、私はよく「助けてくれー」とひとり言をつぶやくのだが、今もまさにそんな気分。「誰か助けてー」と、自分しかいない部屋の壁に向かって、ため息交じりに小さくつぶやいている。
このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。

なんと平凡な中年だろうか――。
缶チューハイ片手にふらっと散歩が趣味の、中年フリーライター。
歳を重ねるにつれ寂しさが積もる日々を綴る、書き下ろしエッセイ。
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社会学者・岸政彦氏との特別対談「『こうはなりたくない』だけで生きていく」収録。











