1979年1月、東京生まれ同士の古賀及子さんとスズキナオさん。「デイリーポータルZ」で共に働いたお二人が、スズキさんの『このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。』刊行を記念して、“中年と寂しさ”について(?)語り合います。
2回目は褒められもしない、叱られもしない、甘えられもしない、中年について。
その1から続く
* * *

「こんにちは、甘えん坊の中年です」と胸を張って自己紹介できる人はいないだろうなあ。
スズキ 自分が好きな人が歳を取っていく過程を見なきゃいけないっていうのが自分にとっての中年の重苦しさの大きな部分で。この本に書いた山形の親戚も80歳なんですけど、最近になって大きな病気をしたということがあったりして。
古賀 それは嫌ですね。
スズキ そうなんですよね。自分が歳をとるということは、周りが歳をとるということなんですよ。そこを忘れがちなんですよ。
古賀 確かに親戚付き合いっていうのは、せーので、みんながちっちゃい頃からよいしょって大きくなるね。
スズキ それでも、自分にとってのその親戚はそもそも年上だから、色々な覚悟はしていますけど、歳の近い友達とか、そういう人が病気で亡くなったりすると……結構、ドーンと食らうというか。

古賀 あと、さっきも言いましたけどやっぱり結局、せーので年を取るそれは、みんなで経験するっていうような感じは、頼もしいことかなっていうのは思いました。親戚の皆さんの話とかを読んで、せーので大きくなるっていうのは親戚のバイブスっていうか。そういう意味では、最後の方の、お父さんに話を聞くエッセイ(「中年だった父の写真を見ながら」)も、よかったです。
スズキ そうですね。父は昔の写真をいっぱい出してきて、楽しそうでした。私は今47歳なんですけど、父がその年齢の頃ってすごく仕事も充実して楽しい時期だったらしくて、自分ができることとか人脈とかがグーンと広がっていったみたいな。その頃に会った人たちにその後にもすごく世話になったし、その時代の出会いが大事だったと言っていて。それはちょっと羨ましかったですね。自分は今のところ、そんな風には思えていないかもしれないですね。父にとっての47歳は上向いていった頃で、それに比べて今の自分はもう下り坂っぽい感じで見ているという。
古賀 もちろん色々あったんでしょうけど。
スズキ そうですね。父からしたら、そんな弱々しいこと言ってないで、まだまだ頑張りなさいみたいな意味合いも含まれていたんだろうなと思うんですけどね。
古賀 あと、「甘えられていた時代の終わり」っていうのがあって、これはもうタイトルの通りで。困ったことがあっても腹を割って話すことができる相手が私にはいない、みたいなことをトークイベントで話したって書いてあって。この年を取ってきた人たちは、甘えることがやっぱり絶望的に難しくなってくる段階だっていうのが。
スズキ 本当にそうです。甘えることができないというのは、どうすればいいんだろうかと思います。褒められもしない、叱られもしない、誰かに甘えることもできない。
古賀 そうなんですよ。これは象徴的でもあるなぁと思ったんですよね。
スズキ 甘えたいという時点で気味悪さが漂ってしまうでしょう。「こんにちは、甘えん坊の中年です」と胸を張って自己紹介できる人はいないだろうなあって。
古賀 忘年会とかだったら……。
スズキ ははは。どこだったら許されるか試してみるっていうね。でも、みんなそんなことできないんだから、街を歩いている自分のような年齢の人たちはそれぞれに乗り越えてるんだろうなと思うと……。
甘えのアドバルーンをあげて世界に入っているんですよ。

古賀 甘えたいときどうしてますかって聞きたいですね、おじさんたちは、「そんなことないよ」みたいな感じなのかな。
スズキ 寂しいねって同じ年ごろの人たちと言い合ったり、そういうことが甘えの代わりになり得るのかなと、なんとなく感じてはいるんですけどね。それこそこういう本を書いてみたり。
古賀 よく言う「甘えたこと言ってんじゃないよ」みたいな感じでの甘えではなくて。ナオさんの書いてることは、甘えをぶつけてはいないので、甘えのアドバルーンをあげて世界に入っているんですよ。
スズキ アドバルーンを高く上げて……。
古賀 それこそがなんか本質っていうか。誰か一人の人に好きって言ってもらったらそれで解決するのにそれがままならないっていうのが、世界の真実じゃないですか。だからそれと同じで甘えもアドバルーンはあげられるけど、誰かには言えないっていうのは……。
スズキ 世界に入っていくしかない。
古賀 なんか、個人と対することの難しさ。すごいこれを読んで思いました。誰かに自分の弱みを打ち明けられない。世界に対しては打ち明けられても。
スズキ そうですね。
古賀 特に私たちのような、ものを書いて、何か世界に対してはずっと表明し続けて、それができてるんだからまあ幸いです。本物の幸いですよね。ありがてえありがてえ。
その3に続く
撮影:米玉利朋子
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このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。

なんと平凡な中年だろうか――。
缶チューハイ片手にふらっと散歩が趣味の、中年フリーライター。
歳を重ねるにつれ寂しさが積もる日々を綴る、書き下ろしエッセイ。
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