1979年1月、東京生まれ同士の古賀及子さんとスズキナオさん。「デイリーポータルZ」で共に働いたお二人が、スズキさんの『このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。』刊行を記念して、“中年と寂しさ”について(?)語り合います。
あんまり「寂しい」を感じない古賀さんですが、スズキさんの「寂しさ」を読むと共鳴できる。それは、なぜなのか?
* * *

ナオさんは寂しさに目が向いている。一個一個つまんで丁寧に眺めることができる。
古賀「このロボ」読みました。めちゃくちゃ良くて、面白いし、何箇所か泣きました。ナオさんらしい寂しさの形があるのかな。本当に寂しいし、暗いし悲しいけど、ナオさんが危ないようには見えないっていうか。この人大丈夫かな、助けを求めているんではないかな、っていう感じがないのはすごい面白いなと思いました。寄りかかられるような感じが読後にないというか。
スズキ 距離をおいた上で安心して読めるという感じだったでしょうか。そうだとうれしいです。
古賀 意識的に自らのことは自らのことで背負おうとしながらも、でも少し手を伸ばして助けを求めるような。だからそこのバランスがうまいのかなって思いました。
スズキ ありがとうございます。
古賀 いわゆる弱音に近いじゃないですか。でも、そんな風に「弱音を吐いてはいけない」とか「もっと大変な人がいるんだ」みたいなことを言われたくない。だけどそういうことってちょっと言ってしまいがちなことじゃないですか。
スズキ 確かに、自分でもたまに言ってしまいます。
古賀 そういうことを、あまり言われなさそうな書き方で。寂しさの形みたいなものを書いているのが不思議だったんですよ。
スズキ そうですね。私はすぐ自虐に走りがちな性格なんですけど、そういうことにしても、自分をあんまり卑下するのはロボがかわいそうだ、みたいに思えたかもしれないです
古賀 それが良かった。自分でロボを慈しむという書き方ができたから。これってどういうふうに、どういうことを書こうってなってなったんですか。
スズキ 中年と言われる年齢になった自分っていうのを考えたときに、こんな部分でその年代らしいことを感じるとか、今までの自分との違い、変化みたいなものをできるだけ色々な切り口で書こうと思って、まずはテーマをいっぱい出して。体のこととか、心のこととか。それを一個一個、書いていった感じでした。
古賀 じゃあテーマとしては、中年の何か変化とか寂しさみたいなものをベースに。
スズキ そうですね。最近なかなか疲れが取れなくて、みたいなことは同じ世代の人と当たり前のように喋るから、そこら辺の切り口はいくらでもあるというか。
古賀 いくらでもある。そうですね。
スズキ ただ、そういうあるある的なもの以外となると難しくて、あんまり自分は悩んでないのかな。だから引き出しがないのかもしれないけど……。
古賀「寂しい」についていうと、私、本当に元気だし、あんまり寂しくないし、なんなんだろうみたいな。それでも、ナオさんの寂しさを読むと、めちゃめちゃ共鳴できる。だから、誰もが持ってるんですかね。その感情としては「寂しい」は持ってるんだけど、なんだろう、あんまり気にならないっていうか。そういうことを言っても始まらないこともありますから。寂しいって言ったってそれはもう当たり前だからとか。多分ね、寂しいという感情自体に目が向かないような習慣が、慣性の法則があって。でもナオさんはそこに目がちゃんと向いてピックアップできる。一個一個つまんで丁寧に眺めるっていうことができる。
もう年齢的にヨシヨシ的な感じで褒められるというのはないですよね。

スズキ でも、性別による差もあるのかなと感じたのは、中年男性があまり「寂しい」とばかり書いていても、読む人によったら不快に感じそうじゃないですか。このテーマだから、なんとか勇気を出してそこら辺も見つめられたというところあるかもしれないですけど。でも、古賀さんがは普段あまり、そういう寂しさのようなことは書かないけど、共鳴してくれた部分があったんですね。
古賀 それはすごい面白いなって思いました。寂しさは本当に感じてないんですよね。なんでしょうね。でも、これを読んだら共鳴したっていうのは、私の中にもきっと寂しさがあったのだみたいな感じはするし、それが新鮮です。
スズキ 例えば私だと、もう年齢的にヨシヨシ的な感じで褒められるというのはないですよね。「頑張ったね」みたいなことが。
古賀「よくできました」がね。
スズキ「よくできましたって」言われなくなるって、逆に怒られもしないというのもあるんですが、今まであったものがなくなるから寂しい、みたいなことがあると思います。
古賀 かまってもらえなくなりますよね。
スズキ そう、かまわれない存在になっていくんですよね。岸(政彦)さんとの巻末対談でも、「かまっておじさんにだけはならないでおこうね」みたいなことを確認し合いましたから。
古賀 昔から岸さんは、そこはずっと律してますよね。
スズキ そうそう。どう律していくかを教わったという。服装のことについても、おじさんになると着るものがなくなってくるから覚悟しておくべきとか。
古賀 可愛い服とか着るなみたいな。
スズキ 全体的には暗い話なんですけど、喋っている間は楽しいという感じで。
古賀 そういうことなんですよね。だから悩みは抱え込まないで言った方が絶対良くて。でもこの本を読んで、本当にちゃんと寂しさとかをかなり精密に書いているのに、危機一発の感じがしないのは、やっぱり読み物として面白いからなのかなっていうのは一個思いました。やっぱりそこはエッセイの書き手としての腕が鳴るというか。そういうところなのかなっていう。
スズキ ただただ悲壮感が出ているだけのものになったら、読む人も退屈するかなと。
古賀 そこは本当に腕の見せ所だったのかなと思います。それも腕を見せるっていうところで、ちょけるとかそういうことじゃなくて、己の描きたさとか、自分の寂しさを毀損しない形で作品にしたんですよね。だから、何かを犠牲にせずにそのまま読める、読ませるものにしたっていうのはかなりあるなって思いました。
スズキ ありがとうございます。
子供が離れていくことを寂しいっていうのは贅沢かなと。

古賀 子供の成長の寂しさについても、そうですよね。
スズキ はい。子どもが成長して離れていく感じって、それこそ寂しさを感じることでした。それは自分の中ではもう結構前のことなんですけど。
古賀 ナオさんの、そのお子さんに遠さを感じるのは、純粋に体つきの大きさみたいなものに宿り込んでいるのは、ああ、いいなって思いました。精神的な関わりとかじゃなくって、「こいつでかくなったな」っていうところに何か寂しさの手がかりがあるみたいな。ちっちゃい時は、存在がなくなるように感じると抱きしめるとかできたのに、大きくなってできないよ、みたいな。結構フィジカルな。精神的にもあるんですけど、すごいフィジカルなところに感じてる。サイズ感を。
スズキ 子どもが小さい頃、マッサージがわりに自分の背中に乗って足踏みしてもらったことを最近ふと思い出したんです。あれはもうあの時しかできないことですからね。
古賀 今のやつと逆で、寝そべって足上げて足の上に乗せたりするとかしてないね。
スズキ バスケを一生懸命やっていたからか、子どもはもう背も高くて、足のサイズもめちゃくちゃ大きいんですよ。サイズ感がすっかり変わってしまって、でもそれは同時に安心感もあるわけですよね。とりあえず無事に成長してくれたわけで。
古賀 もうあの不安な頃ではなくなった。
スズキ そうそう、目を離すと死んでしまうかもという不安がないっていう。だからまあ、そうですね、子どもが離れていくことを寂しいっていうのは贅沢かなと。その裏に安心感もあるので。
古賀 寂しいんですけどね、大きくなられて。でも大きくなってくれてありがたいと思います。だからああそうか、私、寂しいことあんまりないって言ったけど、やっぱり子供の成長に関しては寂しい。それがありました。
スズキ そうですよね、子が家を出て一人で暮らし始めるみたいなタイミングがあったり。
古賀 一人で独立して行くみたいなことへの。でも、ナオさんの本にもあったけど、どうしようもなく家族の形が変わるっていうのはこれから、完全にあることじゃないですか。形式が変わるのはむしろこれからなのかなっていうのは思うんです。でもどうなんだろう。それはそれで寂しさ豊からしさが今あって、きっと次にもまた別のがあってみたいな、数珠繋ぎになっていく感じは結構するんですよね。
スズキ 例えばもっと自分が歳をとったら、日常生活をどうやって誰にサポートしてもらうとか、病気したり死んだりした後のことはどうするのかとか、そういうことと直面するんでしょうけど、今はそこまで考えてはいない。一人で寂しいとか言ったって、まだどこへでも出かけて行けるし。だから人生をもし俯瞰するとしたら、今はまだまだのんきな時代なのかなとも思いつつ。でも確かに、この寂しさの感覚は今すでにしっかりあるぞってことを書いておきたかったというか。
古賀 でも一人がそうやって言ってくれたら、そう言っていい、っていうことになるっていうのは、すごい単純なことですけど、ありがたいことなのかなっていうのは思う。やっぱり遠慮する気持ち、弱音みたいな心づもりで遠慮する気持ちは絶対あるから。
スズキ そうですね。ハードル下げ係というか、色々なことのハードルを下げる行為が自分は好きなのかもしれないです。中年は寂しいんだというようなことを、恥ずかしがらずに言ったっていい、って読んだ人に思ってもらえるものになってたらいいなと。
古賀 一個一個確かめるようでもある文章ですよね。寂しさについて書くっていうのは。
スズキ そうですね。肉体的にも精神的にも、今日は今まで通り動くかなっていうのを、日常的にチェックしていくような感じがあります。
古賀 まだ反応する力あるかなとか。
スズキ 色々な面での減退期なんですよね。とはいえ、この年になってやっと新しく考えられたこととか、知ったこととか、行けた場所とかもあるから。
古賀 結局、経験が重なるっていうのはあるんですよね。肉体的にも精神的にもできなくなることは増えるけど、経験もすごい増えました。
その2に続く
撮影:米玉利朋子
このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。

なんと平凡な中年だろうか――。
缶チューハイ片手にふらっと散歩が趣味の、中年フリーライター。
歳を重ねるにつれ寂しさが積もる日々を綴る、書き下ろしエッセイ。
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