親が金持ちのやつは、親から金を貰ってることがある。
生活費を稼いでいないやつがいる。
本来ならアルバイトで生計を立てながら夢を追いかけることができるはずの身でも、
親から金を貰って夢を追いかけてるやつがいる。
そういうやつは所謂、ケチだ。
ここでいうケチというのは、人に飯を奢ったりしない。ということである。
いや、ケチで良い。
親の金で人に奢る必要はない。
親もその為に渡してる訳ではなかろう。
え……なかろう?
なかろうって……
何?
今早朝にこの文章を打っているので半ばゲシュタルトが傾いている。指一本でたちまち崩壊しそうな勢いだ。
なかろうって。
酒のつまみに見えてくる。
九州の。
なめろうの九州版といったところか。
いや、そんなことはどうでもいい。
親の金で人に奢る必要はないし、自分の生活に当てるべきなのだ。
ケチなことにとやかく言うつもりはない。
ただ、ケチなことを分かってほしいのだ。
それに比べ、自分で稼いだお金、特にアルバイトで汗水垂らして稼いだお金で人に奢るのはどこか快感を覚える。
凄く良いことをしている気分になれる。
あっという間に自分の何十時間が溶けていくことに、ドーパミンのような何か一種の神経伝達物質が分泌される。
後輩に金を使うというより、時間を使ってる気がする。
あと、同じ業界の後輩に飯やら酒を奢るのは、ギャンブルに近い感覚なのかもしれない。
僕はギャンブルはやらないから合ってるか分からないが、
後輩に奢ったからと言って気が合うか合わないか、仲良くなれるかなれないか、というのは分からない。
後輩に飯を奢るのは一種の賭けなのかもしれない。
その後輩が良いやつだったら当たり、やなやつだったらハズレ、犯罪者になったら大ハズレである。
あまり親しくない後輩からいきなり飯に誘われることもある。その嬉しさもまた一興だが、何か少しワクワクが足りない気がしていた。
ギャンブル要素が無いからだ。勝っても負けても自分のせいじゃないからだ。
人が選んだ数字で賭けたり、人が選んだ台でやったりする博打って感じだろうか。
自分で選んだ方が勝った時は嬉しいし負けた時は悔しいだろう。
そしてあまり親しくない先輩を飯に誘ってくる後輩はなんとなく胡散臭い。
将来、犯罪とかしそうな気がする。
やってるアルバイトも黒寄りのグレーな気がする。
だって、自分とご飯に行きましょうって……港区女子か?
なんで? こっちの得とか考えてるのか?
こっちはご飯行きたい知り合いならたくさんいるぞ?
やりたいゲームたくさんあるぞ?
一人の時間も楽しめるぞ?
せめて話が盛り上がってからにしてくれ。
いや、先輩から誘われるまで待て。
誘われないなら後輩に奢れ。
いや、ケチなのか。
あまり親しくない先輩を誘ってくるやつはケチなのか。
そういうことか。
うん、それで良い。
クロスロード凡説

「ネタにはしてこなかった。でも、なぜか心に引っかかっていた。」
そんな出来事を、リアルとフィクションの間で、書き起こす。
始まりはリアル、着地はフィクションの新感覚エッセイ。
“日常のひっかかり”から、縦横無尽にフィクションがクロスしていく。
「コント」や「漫才」では収まらない深掘りと、妄想・言い訳・勝手な解釈が加わった「凡」説は、二転三転の末、伝説のストーリーへ……!?










