タクシーの運転手はタメ口が多い。
もちろん、敬語で話してくれる人もたくさんいるし、礼儀正しい運転手の方もたくさん存在する。
ただ、他の職業に比べて、タメ口の人が多いのは明白だ。
思い出してほしい。
タメ口のコンビニ店員がどれほどいただろうか?
『いらっしゃい』
『袋いる?』
『これ、レシートな』
『ありがとう、また来てや』
記憶にない。
タメ口の牛丼屋さんがいただろうか?
『いらっしゃい』
『はい、これ並つゆだくな』
『オッケー、みそ汁を豚汁に変更しとくわ』
『ありがとう、また来てや』
いないのである。
そう、客商売でタメ口を使うのはかなり稀なことなのだ。
「客にタメ口」でパッと浮かぶのはタクシーの運転手か、タバコ屋のおばちゃんくらいのもんだろう。
この際、SM女王とかは置いといていただきたい。
SM女王にタメ口は必要なのだ。
この議論では、
“タメ口じゃなくて良いのに”タメ口を使っているのが大事なのだ。
タクシーの運転手は多い。せっかく敬語を使ってくれているタクシー運転手には申し訳ないが、これはかなりの割合なのだ。
体感、4回に1回はタメ口のタクシーに乗っている気がする。
大阪だと3回に1回、いや、2回に1回と言っても過言ではない。
最初は敬語だと思っても、グラデーションのようにタメ口が混じっていき、もう全部タメ口になるパターンが多い。
『どこいきましょ。あーあそこね。はいはい。あ、ナビ入れんでも知ってるから大丈夫。兄ちゃん荷物多いな、どこの人? あ、東京? こっちには仕事で? ええなぁ。芸能人いる? えーほんまか。あ、でもわしもあれ乗せたことあんで。掛布、阪神の。そう。思ったより小さいなぁ。ええとこ住んでたわー。そうそうそう』
タメ口を超えているのである。
タメ口以上恋人未満。
とはこのことである。
では、こんなにもタクシー運転手がタメ口になるのは何故なのか。
そこで一つの仮説がある。
周りにこんな人がいないだろうか。
もしくは、誰もが聞いたことはあるのではないだろうか。
「あいつは車を運転すると人が変わる」
僕の周りにも、車を運転する時に偉そうになるやつがいる。
まぁ、かなり滑稽ではある。
たかが車を運転しているだけで自分が偉くなったとでも思っているのだろうか?
童貞を捨てた次の日みたいな顔をしている。
免許さえあれば誰でもできることをさも特殊能力のように思ってしまう輩。
存在するのである。
そういうやつが煽り運転とかするんだろうが。
お分かりいただけただろうか。
タクシーの運転手も車を運転している。
人が変わっているのである。
ただ、人が変わりすぎるとその仕事は向いていない。
安全運転第一だからだ。
では、どう変わるか。
タメ口になる。
普段、礼儀正しい人が、車を運転することによって人が変わり、
タメ口になる。
そう考えたら許せる。
車に乗ることで人格が変わるほどの人間が、
客にタメ口を利くくらいで済んでいる。
タクシー運転手でなければスピード違反、煽り運転、あらゆる危険運転を繰り返しているかもしれない。
そんな危険人物が、
客にタメ口を利くことで自分を抑えている。
タメ口にはかなりの犯罪抑止効果があるということだ。
あなたはこれからの人生でも、
何度か、タメ口の運転手に会うことがあるだろう。
その際にイラつくこともあるだろう。
注意したくなることもあるだろう。
ただ、決してそのタメ口を指摘してはならない。
先ほど述べた通り、タメ口のタクシー運転手は、タメ口という枷により、かろうじて社会に順応しているのだ。
タメ口を失った運転手は何をしでかすか分からない。
虎から兎を取り上げた時、
虎はあなたの首元に襲いかかるに違いない。
クロスロード凡説の記事をもっと読む
クロスロード凡説

「ネタにはしてこなかった。でも、なぜか心に引っかかっていた。」
そんな出来事を、リアルとフィクションの間で、書き起こす。
始まりはリアル、着地はフィクションの新感覚エッセイ。
“日常のひっかかり”から、縦横無尽にフィクションがクロスしていく。
「コント」や「漫才」では収まらない深掘りと、妄想・言い訳・勝手な解釈が加わった「凡」説は、二転三転の末、伝説のストーリーへ……!?










