小野寺史宜さんの最新刊『片見里足立アフェクション』には、ファミレスで、夜景の見えるバーで、居酒屋で、結婚式場で……と、とにかく「乾杯」シーンがたくさん出てきます。乾杯の場面で展開する、軽快、軽妙かつ深遠(?)な登場人物たちのやり取りを、少しだけご紹介。
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主人公の一人・何にでもそつがないエリートな央、合コンで出会った女性と「イベリ子豚」で意気投合!?

「皆さん、一日のお仕事、そして一週間のお仕事、おつかれさまでした。初めましてですが、今日は楽しみましょう。ということで。いいかな? じゃあ、乾杯!」
仕事を終え、永代通りを渡ってやってきた。ビルのなかにあるイタリアンレストラン。まさにランチが二千円を超える店らしい。ディナーのコースは八千円超だ。
「はい。じゃ、まずは乾杯ね」と大和田さんが言う。「皆さん、一日のお仕事、そして一週間のお仕事、おつかれさまでした。初めましてですが、今日は楽しみましょう。ということで。いいかな? じゃあ、乾杯!」
それぞれが口々に乾杯だのおつかれさまだの言い、グラスを掲げる。やや距離があるので、当てたりはしない。自身の正面にいる相手とも当てない。この人とは当ててこの人とは当てない、になってしまうから。
そしてそれぞれがそれぞれの飲みものを飲む。ワインやスパークリングワインやフルーツのカクテル。僕はハイボール。ビールというのも何だなと思い、それにした。
乾杯やおつかれさまは、恥ずかしいので言わない。ごにょごにょ言ってごまかす。小中学生の合唱における口パク、みたいなものだ。
僕は昔からそう。カンパ~イ、も言わないし、そのあとに続く謎の拍手もしない。写真を撮るときの、はい、チーズ、も言わないし、ピースもしない。
写真撮影時に限らない。ピースをしたのは小学生のころまで。おそらく、中学生以降は一度もしていない。手をその形にするのは、じゃんけんでチョキを出すときだけだ。
さらに言うと、僕はそんなにチョキを出さない。じゃんけんでの勝率が低いように感じられるのは、そのためでもあるのかもしれない。
と、まあ、それはいい。僕も二十九歳で、じゃんけんをする機会もそうはないから。
ハイボール。二口めを飲んで、無難な飲みものだな、と思う。甘くないのはいいが、おいしいかと言われると、微妙。ウイスキーを割っている時点でおいしさはあきらめてしまっている感じがある。しかも、水ならともかく、炭酸。
大学生のころ、初めて飲んだときは、何だこれ、と思った。今はそれなりに飲んでしまう。
飲みやすいことは飲みやすく、まさに無難だから。
乾杯のあとの拍手がないことを確認したうえで、グラスをテーブルに置く。もしあったら、まだグラスを持っているので拍手はできません、という感じにしようと思ったのだ。そうする必要がなくてよかった。
(中略)
二杯めに頼んだのは、梶田さんおすすめのスパークリングワイン。飲み慣れないそれを飲み、僕はその梶田さんとさらに話した。
「これ、わたし、すごく好きなんですよ」
「真鯛のカルパッチョ、ですか?」
「それもですけど、かけられてるこのソース。バルサミコ酢」
「あぁ。僕も好きです。おいしいですよね」
「はい。お肉でもお魚でも、何でもおいしくなる。メニューにバルサミコナントカってあると、それだけでもう頼んじゃいます」
「ブドウを濃縮したとか、そういうのですよね」
「あ、やっぱりブドウなんだ。そこまで考えずに、ただおいしいおいしいって食べてました。そういえばそうか。ブドウ、ですね」
「たぶん」
「という感じなので、わたし、ずっと勘ちがいしてたんですよ」
「勘ちがい」
「はい。これ、バルサミコソースと言うこともあるし、バルサミコ酢と言うこともあるじゃないですか。そのバルサミコ酢を、全部カタカナのバルサミコスだと思ってました。そういう外国語だと。まさか、お酢の酢だったとは」
「あぁ」
「文字で見てやっと気づいたんですよ。あ、そういうことなの? お酢なの? と思いました。
でも考えてみたら、お酢なんですよね。ちゃんと酸味があるし、わたしもその酸味が好きなんだし。というそれが去年です。気づいて、一人で密かに照れてました」
密かに照れるというのはいい。わかる。
「僕もありますよ。似たようなこと」
「何ですか?」
「イベリコ豚ってあるじゃないですか。あるというか、いるというか」
「よく聞きますね。どこか外国の豚ですよね」
「イベリア半島だから、スペインか」
「イベリコのイベって、そのイベなんですか」
「はい。で、なかでも、どんぐりを食べて育った豚が最高ランクなんですよ。そのイベリコ豚を、僕はずっとイベリ子豚だと思ってました」
「え?」
「子豚です。イベリ、子豚」
「あぁ。子どもの豚」
「はい。三匹の子豚、の子豚。僕は、一昨年ぐらいまでそう思いこんでました」
「いいですね。イベリ子豚。かわいい」
「例えば羊の肉なら、ラムとマトンで分けるじゃないですか。ラムは生後一年未満の子羊で、マトンは生後二年以上。それは知ってたから、その感じだと思っちゃったんですね。子豚だから意味がある肉、というふうに」
「あぁ。まず、ラムとマトンのちがいって、そういうことだったんですね。わたしはそれすら知らなかったです。ロースとヒレみたいな部位のちがいだと思ってました。さっきからずーっと知らないことだらけです。頭取は知らないわバルサミコのブドウは知らないわイベリアは知らないわラムとマトンのちがいも知らないわで」
「僕も、どれもたまたま知ってただけですよ」
「どれも知ってたなら、それをたまたまとは言いませんよ。やっぱりもの知りというか、頭が
いいんですね、銀行に入るような人って」
「そんなことないです。実際、イベリコ豚は知らなかったわけですし。これ、初めて人に言い
ましたよ」
「そうなんですか?」
「はい」
何かバカみたいで、人には言えなかったのだ。言うほどのことでもないし。だが梶田さんのバルサミコ酢の話を聞いて、言う気になった。そしてこの反応。言ってよかった。イベリ子豚。うまく想像できないが、まあ、かわいい、かもしれない。
片見里足立アフェクション

小さき人生を送る全ての人に、乾杯!
生き方がバカで男運がない姉・洋。
何でもそつないエリートな弟・央。
マチアプと合コンで、それぞれ恋人ができたはいいけれど――。
不器用な二人の“不穏な”恋の行方は?
大切な人を想い合う無骨な情緒が沁みる、長編小説。
ファミレスで、夜景の見えるバーで、八重洲の居酒屋で、結婚式場で……
それぞれの乾杯にそれぞれの人生。
惚れっぽく男性に貢ぎがちな姉・洋を、何かと心配するエリート銀行員の弟・央。洋が商社マンの新恋人に浮かれる一方で、央も合コンで出会った女性となんとなく付き合い始める。「もしかして、騙されてる?」――お互いの恋路を気にかける片見里出身の姉弟と、なまぐさ坊主、探偵、公務員……故郷・片見里の面々が織りなす優しい世界。











