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片見里荒川コネクション

2021.05.25 公開 ツイート

小野寺史宜の最新長編は、75歳のじいさんと、22歳の若造が主人公。――人は、何歳からだって「動ける」。 小野寺史宜

同じ片見里出身ということ以外、接点のなかった75歳の継男と22歳の海平。二人が出会うことで、足踏みしていた人たちの人生が動いていく。当たり前に正しく生きることの大切さが、優しく沁みる――。小野寺史宜さんの最新長編『片見里荒川コネクション』より、継男と海平の冒頭部分をお届けします。

*   *   *

一月 中林継男、葬儀に出る

七十五歳になった。先は短い。

参った。おれもいよいよ後期高齢者だ。

前期は六十五歳から七十四歳まで。七十五歳からが後期。勝手にそう分類されてしまう。あとは何歳まで生きようが後期。

人を前期後期に分けるなどけしからん。前期が七十四歳までなら後期は八十四歳までということではないのか? そこまで生きたらもう死ねということではないのか?

そんなことを言って怒る者もいる。

この歳になると、怒りっぽい者は本当に怒りっぽい。自己制御機能が衰えているのだ。それはおれも感じる。

歳をとると丸くなる。穏やかになる。それもそう。全体としては穏やかになる。気力がなくなるから。ただ、個人個人でちがう怒りのツボを突かれたときの沸点は低くなる。我慢ができなくなる。

できていた我慢ができなくなる。こわいことだ。我慢に限らない。できていたことができなくなるのは本当にこわい。

車道から歩道に上がる段にさえつまずくようになる。転んだときに手をうまくつけなくなる。階段も上れなくなる。歩けなくなる。

人からの呼びかけに気づかなくなったり、言われたことを素早く理解できなくなったりは、もうすでにしている。起きていればすぐに疲れるし、寝ればすぐに目が覚める。結果、いつも 疲れている。疲れはたまる一方。抜けなくなる。老いるというのはそういうことだ。

おれの誕生日は一月一日。

今はもうそんなことはできないはずだが、おれが生まれたころはまだ、縁起がいいからと誕生日を一月一日にずらす人もいた。数え年だと、十二月三十一日に生まれたら翌日にはもう二歳になってしまうので、それを避けるためにずらす人もいたらしい。

継男は正真正銘の元日生まれだよ、と母ヨシは言っていた。産んだわたしが言うんだからま ちがいないよ。

ただ、あとになって。

夜遅くに生まれたらしいから、もう二日になってたかもな、と父昌男は言っていた。母さんだって、時間なんて気にしてなかったろうしな。

だが父も現場にいたわけではない。そのときは、お産の場どころか、日本にもいなかった。

戦争に行っていたのだ。第二次世界大戦。太平洋戦争。

父はその戦争に行き、生還した。たまたまだ、と言った。それだけ。戦争の話はほとんどしなかった。

もっと長生きしていれば、おれから訊いていただろう。そのとき、父はどうしていたのか。答えていたのか。いなかったのか。

父はかつて鉄工所に勤めていた。すぐには徴兵されなかった。おそらくは、武器の部品か何かをつくっていたから。もしくは、つくらされていたから。

帰還後も、父はやはり鉄工関係の仕事に就いた。勤め先は何度か変わったが、仕事の内容は変わらなかった。技術はあったのだと思う。

戦争からは生還したのに、父は五十七歳であっさり逝った。おれを東京の大学に出し、それで義務は果たしたとばかりに亡くなってしまった。おれが二十歳のときだ。

四年後、今度は母までもがあっさり逝った。奇しくも、享年は父と同じ。父に追いついたと ころで亡くなってしまった。おれが二十四歳のときだ。

父は肺、母は心臓だった。

両親があっさり逝ったときの年齢を、おれはあっさり超えてしまった。今はそのときの両親より十八歳も上だ。

母の死を引きずりつつ二十五歳になったとき。もう四半世紀生きてしまった、と思った。四半世紀というその言葉を、自身、新鮮に感じた。

今はこう思う。もう三四半世紀生きてしまった、と。三四半世紀というその言葉も、それはそれで新鮮に感じる。

 

二月 田渕海平、寝すごす

二十二歳になった。先は長い。

参った。今までのこれをあと三セットやってようやく死ぬってことだ。三セット。長すぎでしょ。今は二セットで充分だと思う。何なら一セットでもいい。いや、さすがに一セットは短いか。 あと一セットなら、終えて四十四歳になる形。そのころはまだ子どもの学費もかかるだろう。 家のローンも残ってるだろう。って、子どもいんのか、俺。ちゃんと結婚できてんのか、俺。 昨日までは、できてると思えた。そう思うことは可能だった。今日は微妙。というか、無理。 たった一日でそうなった。凄まじい変化だ。

俺の誕生日は二月一日。今日。

昨日は一月三十一日。何の日? 卒論の提出期限の日。 本当なら、今ごろは解放感に浸りきってるはずだった。卒業式を待たずに遊ぶぞ~! 入社日前日まで遊びまくんぞ~! となってるはずだった。

なってない。

卒論は、出しさえすれば不可はない。CはあってもDはない。せいぜい、指導を受けて再提出。それで、はい、卒業。教授も、就職が決まってる学生を地獄に突き落としたりはしない。

そう思ってた。いや、今もそう思ってはいる。

まさか、卒論を出せないとは。

悪夢がよみがえる。まだ一日しか経ってないから、簡単によみがえる。分刻みで思いだせる。 行動の一つ一つまで思いだせる。 昨日。今もこうして寝そべってる組立式のシングルベッドで目が覚めた。

スマホのアラームに起こされるのでなく、自然に起きるのは気分がいい。そんなことを考えながら、枕もとに置いたスマホをつかみ、画面を見た。十二時十五分かぁ、と思った。一つあくびをした。

で。

いやいやいやいや。十二時十五分て。過ぎてんじゃん。十二時を、過ぎちゃってんじゃん.

それが夢であることを願った。またこれから覚めんでしょ? と期待した。

スマホの表示を消し、つけてみた。十二時十五分だった。また消し、またつけた。お、変化 が。と思ったら、十二時十六分になっただけ。「マジか」と声が出た。「マジで、マジなのか」

卒論自体はちゃんと仕上げてた。いや。ちゃんとと言うと語弊がある。少なくとも、形は整えてた。長さは規定どおり。それっぽいタイトルもつけてた。提出できる状態にはしてた。

本当にがんばったのだ。まちがいない。俺史上一番のがんばり。とりかかったのは冬休み明けだが、そこからのがんばりはすごかった。

病にも負けなかった。二十五日すぎに、仕上げの段階でひどいカゼをひいた。熱が三十九度も出たのだ。インフルエンザならヤバいと思い、這うように内科医院に行った。結果は陰性。でもトータル三日は動けなかった。

そこでの三日は痛かったが、俺は不死鳥だった。どうにか期限日の早朝に原稿のプリントアウトを終えた。途中からプリンターのトナー交換を促すランプが点滅しだしてかなりあせったが、どうにか逃げきった。

ごほうびというか早めの勝利の美酒ということで、缶ビールを一本飲んだ。いつも飲む新ジャンルじゃなく、ちゃんとしたビール。美酒用に買っといたプレミアムものだ。

酔いと安心とで、俺はコロッと寝た。それでも、スマホのアラームをセットするのは忘れなかった。

午前九時に起きて、出かける支度をして、地下鉄に乗って。電車に乗るのは十分弱。十時半には大学に着けるはずだった。

スマホのアラームが鳴らなかった。のではない。鳴ったのだ。それはちゃんと覚えてる。セットミスじゃない。確かに鳴った。

俺はスマホをつかみ、オンをオフにした。逆に、余裕を見すぎたのがいけなかった。セットの時間は午前十時でもよかったのだ。余裕を見て九時にしたから、まだもうちょっと寝れるな、と思ってしまった。実際、寝てしまった。十分くらいで起きるつもりで。

原因は、二度寝。せめて一時間早く目覚めてれば間に合ってた。でも俺が目覚めたのは十二時十五分。門が閉じられたあとだった。

関連書籍

小野寺史宜『片見里荒川コネクション』

人は、何歳からだって「動ける」。 継男、“まだ”75歳。――“弟分”に頼み込まれ、「オレオレ詐欺」の受け子に!? 海平、“もう”22歳。――寝坊で卒論を出しそこね、まさかの留年!? 老人と青年の荒川での出会いが、足踏みしていた自分たちと、周りの人たちの人生を少しずつ動かしていく。人生を優しく肯定してくれる、小野寺史宜ならではの、長編小説。

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片見里荒川コネクション

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小野寺史宜

1968年千葉県生まれ。2006年「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール読物新人賞を受賞。2008年『ROCKER』で第3回ポプラ社小説大賞優秀賞を受賞し同作で単行本デビュー。著書に「みつばの郵便屋さん」シリーズ、『片見里、二代目坊主と草食男子の不器用リベンジ』『ひと』『食っちゃ寝て書いて』『タクジョ!』『今夜』『天使と悪魔のシネマ』などがある。

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