
まず言っておくがApple Watchに罪は無い
Apple Watchが嫌いになった。持ってはいない。友達がつけているApple Watchを見て「可愛いな」とか「便利そうだな」と思うことはこれまで何度もあったけれど、じゃあ自分に必要かというとそうは感じられず(なんせ仕事中につけていられないし)特に何の思いも抱いていなかったのに。嫌いになってしまった。Apple Watchに罪は無い。あいつはいい奴だと思う。命を救うこともあると聞くし。ただ、嫌いになってしまったのだ。きっかけはここ数回の観劇体験だった。
Apple Watchをつけている人は、あまりにも自分と同化しすぎて忘れてしまっているのかもしれないけれど、Apple Watchって光ります。生身のあなたの手首と違って発光します。
最初に、隣に座るおじさんの手首が光った時、たまたま発光してしまったのかなと思った。そういうことはある。どれだけ「スマホの電源はオフに」と言っても鳴ってしまう電子音に、ほとんど悪意がないのと同じように、おじさんの光るApple Watchもちょっとしたミスだと思った。反対の手でApple Watch握るとか、ポッケに手を突っ込んどくとかしてくれれば万事解決。よろしくね~と思いながら舞台に意識を戻す。
しかしおじさんは、光に気を遣ってはくれなかった。それどころか、暗転中に、Apple Watchに届いた通知をスワイプし、メールの確認をしていた。

あーもうこれ、普通に声かけよかなと私は考える。「眩しいのでやめてもらえませんか」と小声で言ったら、おじさんはApple Watchいじりをやめてくれるだろうか。それとも、私を殴るだろうか。
なんせ100人強の人間が同じ値段を払って同じ芝居を見るという「劇場」の空間で、自宅のリビングみたいにApple Watchをいじれるおじさんである。突然声をかけられたことに腹を立て殴ってくる可能性は全然ある。むしろ殴ってこないと辻褄が合わない。
おじさんはここを「他者と一緒に演劇を見る劇場」ではなく「自分が好きに鑑賞して良い自宅」だと思っているんだから。自宅で突然、知らない人間に囁かれたら、怖いだろうし、とりあえず殴るだろう。もしも殴られなかったら「何で殴らないの?」とつっかかってしまいそうだ。客席で喧嘩が起きたら上演は止まってしまう。だから私は、おじさんに声をかけるのをやめた。大笑いを抑えるために用意したハンカチをそっと自分のこめかみに当てて、おじさんの発光するApple Watchが視界に入らなくて済むようにして観劇を続けた。
たった二時間程度の上演中もメールを確認し続けなければならない状況なんだとしたら、もう諦めて仕事に集中した方が良いと思う。演劇とか見てる場合じゃないよ、仕事しなよ。終わったら見にくればいい。ながら見したいなら自宅でやればいい。スマホゲームやりながら配信見たって誰も文句は言わない。でも劇場ではやめてほしい。
客席は、S席だろうが見切れ席だろうが招待だろうが、平等な空間だと私は信じている。どんな偉人も、手段はともあれ劇場まで移動してこないと見られないという過程から、平等は始まっているように感じる。だから劇場が、演劇が好きだ。否応なく見ず知らずの人間と、同じものを見させられること。しかもそれは生身で、今日面白いかどうかは極論博打であること。ふざけたエンターテイメントだ。だから面白い。
ロンドンの舞台で味わった心地良い「生活感」
ロンドンにある「シェイクスピアズ・グローブ」で、2本芝居を見た。今年6月にロンドンに旅行に行った時のことだ。秋にはシェイクスピアの「十二夜」をやるんだから、流石に行っとくかと思い、何も知らずに訪れた「シェイクスピアズ・グローブ」はまさかの屋外劇場で、生活感あふれる客席の空気に驚いた。
太い柱が両サイドに建てられた舞台面。そこをぐるりと円形に囲むように作られた屋根のある客席は3階建てだ。舞台のど正面はある程度見やすいが、少しでもサイドにズレると舞台上の柱や客席を支える柱、とにかくなんかいっぱいある柱が視界を遮る。
席ごとに細く値段が分かれていて、私がチケットを買った上手側二階席は五千円程度だった。センターの座席は日本の演劇と同じような価格帯で一万円程度。では日本の劇場で「S席」、一万円を超えてくる最も舞台に近いエリアはどうなっているか。なんと全てスタンディングエリアだった。うまくやれば、1500円くらいでチケットを買えてしまうのである。
もうこの時点で「演劇」ってものとの繋がり方というか、日常への溶け込み方がまるで違うなと思った。スタンディングで芝居を見るのは辛い。どれだけ面白くてもやっぱり疲れるし、その分集中力は散漫になる。しかもスタンディングエリアには屋根が無いため、天候が崩れればびしょびしょになる。実際、私が「るつぼ」を観劇した日は天気がグズついていて、お客さんたちは何度もレインコートを着たり脱いだりしていた。屋外だから空調もなく、座席があろうがなかろうが寒いし暑い。シンプルに劣悪な環境だと思った。
でも、みんな観にくる。そしてすごく能動的にリアクションし続ける。楽しい時は歓声をあげ、飽きてくると露骨にフラフラし始める。その空気はきっと、俳優に恐ろしいほど伝わる。だから俳優は、より一層気が引き締まるのだろう。お互いに見つめ合っているような、一緒に作っている劇場の空気が心地よく、羨ましく、こんなふうに演劇をやれる場が作れたらなと心から思った。
コーヒーやワインを片手に観劇するお客さんたちの姿を見て、この人たちは目の前で演じられる「劇」だけではなく「劇場にいる」という時間そのものを楽しみに来ているのかもしれないとも感じた。「演劇を見に劇場に来る」という行為自体を楽しむこと。私にはその感覚がとてもわかる。「劇場」を楽しみにすると、芝居の面白さはあまり重要じゃなくなったりする。もちろんそこで面白い芝居を見れたら万々歳だけど、仮にそれがあまり自分にハマらなかったとしても、そのハマらなさも面白いのだ。そしてその実感は、劇場に身を委ねないと得られないものだ。ながら見しながらでは面白く無いものを面白いなんて思えない。集中することで初めて、体験は肯定される。
だからApple Watchおじさん。Apple Watchいじるのやめよ。あなたと同じようにわざわざここに足を運んで、安くないチケット代を払った人間が沢山いるのよ。あなたの家で勝手に演劇やってるわけじゃないのよ。それに、そうやって見てたら、心ってあんまり動かないものよ。どんな態度のお客さんの心でも動かしてみせろよと言われたら「アス」ですけど。そういう演劇感の人もいますけど。でもさ、単純に、わざわざ来てんだからおじさんも「楽しかった」って、いっぱい思えた方が嬉しいでしょ?
楽しさって、一方的に与えてもらえるものじゃないのよ。あなたの協力がないと与えられないのよ。客席にいることに誇りを持ってみて。俺も一緒に作るんだって思ってみて。そしたらきっと、そのあなたの集中の分だけ、その時間は肯定される。その連なりで「なんかすごかったね」って、言葉を失うような瞬間が劇場に生まれたりする。一つの箱の中に、やる側と見る側みんな一緒にいるってすごいことだから。
偉そうなことぼやぼや言ったからには、一刻も早くセリフを覚えます。シェイクスピアはセリフ書きすぎ。

キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
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