
会う友達会う友達、みーんなうっすら影を纏っている。私たちも随分、色っぽい季節になったのね~と思いながら、排水の悪いバスタブみたいな心を撫でて、人生面白くなってきたってふりをしています。
ってかずっと元気が出ない。

「生理前だからかな」とか「結構疲れてたしな」とか大義名分を散々使ってきたけれど、真っ当な言い訳で庇い切れる期間はとうに過ぎている気がする。6月に出した小説のタイトルは「私は元気がありません」だった。通知かよ。
元気が取り柄じゃないけれど、それなりに元気な人間として生きてきた自覚がある。テレビで「ネガティブモデル」と紹介されてたけど、ネガティブでも元気な人間はいる。出力陽キャの根が陰キャ属性だから、友達の前では大抵一番大きい声を出していた。最近だって、飲みに行けばいっぱい笑うし「帰るな」と酒を注いでしまう。
だけどそれでも元気がない。「元気がない、を舐めてませんか?」と言われたらそれまでだけど、当社比で元気がないんだもん。まず、全然起きられない。これは今に始まったことじゃなく昔からよく寝る人間ではあったけど、にしても起きられない。最近は毎日十時間は寝ています。朝(というより昼)起きてまず思うのは「朝かよダル」だ。一日が終わって、また始まることにうまく向き合えない。
新しい一日が始まって、さて今日何をしようか。何をしなきゃいけないんだっけ。じゃあどうしようか、などと考えることが苦痛だ。あの原稿を書いて~その原稿を読み直して~洗濯して~ご飯作れたら自分を愛せそう。リストアップはできるけど、全て始業時間がない。12時に起きて、パソコンを開くのが18時だとしても誰も怒らないし、洗濯と料理をできなくてもなんとかなる。結局うだうだしているうちに一日が終わって「今日も一日を終えることができた」と思いながら笑顔でベッドに入るのです。何もしてないのに!
その点、俳優の仕事は良い。渦中にいるときはクタクタで大変だけど、撮影・稽古期間中はほとんど自由がないから、今日何をするか考える必要がない。私はただ台本を読んで、考えて、覚えて、決められた時間に決められた場所に行き、やる。家に帰って明日のシーンを確認して寝る。早朝に起きてロケバスに乗る。
あ~。めっちゃ疲れるけどなんて楽ちんなんだろう。「この物語について」だけ考えていられる時間は、自分と向き合う必要がない。だけど仕事とは向き合っているから、達成感とか生きてる心地はするわけで、濁流みたいにすぎていく日々には自分の元気を認知する隙がない。だから気づかなかったのか、それとも忙しいから元気だったのかはわからないけど、久々に到来したゆったりした毎日が自分の状態をあらわにした。
今は焦らず「怠惰の神様」とともに。
たぶん戸惑っているんだと思う。有難いことにここ数年は、なんだかんだ忙しかった。もちろん暇な期間だってあったけど、コロナで世界中の自由が減っていたから呆然とせずに済んでいたし。久しぶりに到来した自由で身動きが取れない。自分の意思を確認できない。今日何をしたいか、何をしなきゃいけないのか、どう過ごしたら楽しいのか、考える筋肉がめちゃくちゃ落ちている。
だからただ、ぼーっと椅子に座って、暗唱できるくらい読んだ本や漫画をペラペラめくる。だったらもっと、映画とか演劇を見に行ったり、何か新しいものを摂取するべきなのに、身動きが取れない。ぜーんぶ面倒臭くて、できるだけ寝ていたくて、欲望に従えばすぐに罪悪感が追いかけてくる。汗で湿った身体が気持ち悪いから、というていでシャワーを浴びると、もう一日が終わったような心持ちになる。それに安心して、今日を折りたたみ始めてしまうのです。
こんな日が数日ならいい。でももう、随分繰り返した。もしずっとこんな風に過ごし続けたら、自分の人生はどうなっちゃうんだろうって不安に駆られる。だからって何もできないけれど。
攻略したと思ったはずのクォーターライフクライシスがまた襲ってきたんだろうか。それとも、冷房のせいで自律神経が狂っているとか? 理由はいくらでも見つけられる。何にだってこじつけられる。でも何故か、理由に縋りたくなくて、私はただただ自分の元気のなさを眺めている。自由って怖いんだなとか思いながら、打開の為の努力はしない。
今、とても自由だ。今夜の便で数日間、海外に行ったっていい。でもしない。座っていたいから何もしない。そういう自分が嫌いだけど、なんの努力も、価値もない時間がやけに艶めかしく見えてしまって、ここから立ち上がれない。どうせそのうちやってくるから。立ち上がって、小さな箱の中を走り回らなきゃいけない毎日が、確実にくるから。今はひたすら部屋の中で、怠惰の神様とまぐわい続けていたくって、今日も昼からキンミヤをソーダで割ります。許してください。

キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
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