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キリ番踏んだら私のターン

2022.11.10 更新 ツイート

今よりもっと「結婚」を自分のものにしたい 長井短

結婚をして3年半くらいが経って、概ね穏やかで楽しい日々を過ごしている。

「この人と一緒に生きてみよう」って、自分なりに一つ腹を括った経験は確実に私を強くしたし、びっくりするくらい色んなことが楽にもなった。私は今の時点で、結婚したことにとても満足していて、だけど同時にっていうか、だからこそ「こんなに楽でいいんだっけ?」っていう不安というか、疑いが湧いてくる。

 

心地良いならそれをそのまま満喫してればいいのに、どうにも私はそれができなくて、この心地よさが真っ当なものなのかどうかをきちんと考えたくなってしまうのだ。あ~もっとぼーっとしたい! ぼーっと生きていたいのに! 一度浮かんだクエスチョンマークは、向き合うまで決して消えない。

久しぶりに、いつもお世話になってるスタッフさんと作品撮りをした。若い頃に何度もやったことがあったけど、主体的に作品撮りを組むのは初めてで、なんだかんだ色々経験してきたんだなって、ちょっと嬉しかった。

「てかなんで結婚したの?」と聞かれることは、3年以上が経った今でも多い。きっとみんな、何の気なしに聞いているんだろうけど、こっちも同じように何の気なしにしたところもあるっていうか、勿論とても好きだからしたわけだけど、そんな、別にないですよ理由なんて……と思い言葉に詰まる。

「したことないし、してみよっかって感じ?」これが私の常套句だった。もっともっと、言葉を尽くせば色々言えることもあるけれど、急に語り始めても困るだろうなとか、世間話として聞いてるんだろうなと思うとこのくらいの返答がちょうどいいんじゃないかと思ったのだ。

実際、そういう軽さはある。

元々結婚願望も結婚への抵抗もなかった私は、結婚へのフットワークが軽かったんだと思う。もし自分が、ずっと結婚を目標に生きてきたなら、あんなにすんなり結婚しなかったかもしれないし。そうやって「いっちょやってみるか~!」で始めた結婚は、前述の通りとても私を楽にした。「結婚」という一種の「思考停止」その分野においての「試合終了宣言」は、処理落ちしがちな私の脳みそに少しの休息を与えてくれるものだった。もう、恋については考えなくていい。そういう風に人に好かれたいとか、好かれるかもしれないとかは終わったのだ。「まだ若いのにもういいの?」という人もいたけれど、全然大丈夫です。

もっともっと、考えたいことがある。考えなくちゃいけないこともある。だから、頭の中から一つの悩みの種を取り払えることはむしろ嬉しいことだった。

 

そうやって、穏やかな時間を送ってきた。私は夫と自分の結婚に満足していたし納得していたし、自信もあった。

だけどふと思ったのだ。「ちゃんと決めたっけ?」それは「結婚をする」っていうことについてではない。結婚とは何かについてだ。システムとして書類を出すとか、それにあたって苗字が変わるとかについてはもちろん話し合ってきたけれど、そこに含まれない諸々について、きちんと話し合ってきたかどうかが急に不安になったのだ。

「結婚」には色んなイメージがある。「旦那さんにご飯作るの?」みたいな古(いにしえ)の質問は、人々の中に「結婚=両親=母の作るご飯」的なイメージが刷り込まれているからなんだろうし「こんなに飲んで大丈夫なの?」ていう心配も「結婚=家族=それが最優先」とかがあるんでしょう。いやでもどうだろう。既婚男性も、私と同じくらい友達に心配されたりするのかしら? 私が既婚女性だから心配されるんだとしたら、そこにはまた別の問題がある。あぁまた考えることが増えたクソ。

自分の中にも、刷り込まれた無意識のイメージがある。「こんなに飲んで大丈夫?」と聞かれると、なんだよそれ大丈夫に決まってんだろと感じるけど、同時に心のどこかで「え、大丈夫ですよね? やばいかな?」っていう不安というか、罪悪感にも似た気持ちが生まれるのは事実だ。門限があるわけでもないのに。当然だけど、夫は私にそういう「強制」を図ったりしない。なのにどうして?

それは、私の中にも確固たる先入観が、結婚のイメージがあるからだ。「恋愛はもう終わり」っていう結婚のイメージが私を楽にする。「家庭があるのに」っていうイメージが私を縛る。良いところも悪いところもある借り物の「結婚」そのイメージに身を埋めていくこと、それによる思考停止が、結果私を楽にしていたんだとしたら。

それは、私の望むことではない。楽ちんでいたいけど、型にハマって楽になるのは私のやり方じゃないのだ。私たちのやり方でもない。

オリジナルのやり方で、うちらなりの結婚をしようって握手したはずなのに、それでもこぼれ落ちていることがある。そのくらい、常識とか先入観は強固なものだ。夫と私は、これでもかってくらい色んなことを話し合うのに、そもそもお互いが持っている常識に二人で足を踏み入れていくことはあんまりなかった。常識は、持っていることにも気づかないくらいひっそりと私たちのそばにあるから。これじゃいかんと思って、私は夫に提案する。

「こういうもんだって思っていたことを、自分達の言葉で説明できるようにしませんか?」

思っていることを、楽ちんさへの気味の悪さを説明すると、すぐに夫も腑に落ちて、私たちはこれからきっと、結婚の概念を再構築していくことになる。

結果どんな自由と約束が生まれるかはわからない。今より楽になるかもしれないし、面倒なことになるかもしれない。だけど、なんにせよ、二人で作った「結婚」ならきちんと納得できるのだ。法律が「人を殺してはいけない」と言ってるから殺さないんじゃなくて、私が「殺したくない」と思うから殺さずにいる人生を送りたい。結果は同じでも、自分のロジックがあるかないかでは絶対に何かが違うのだ。

あー面倒臭い。正直本当に面倒臭い。人のロジックとか、国のルールとか、そういうのに黙って従ってそれっぽく生きていけたらもっと楽なのに、私はどうしても、人の言葉じゃ無理なのだ。思い返すと学生時代も、教科書に書いてある文言を自分の言葉に書き換えていた。そうしないと腑に落ちなかった。それなら仕方ない。私は、そういう人間なのだ。先人たちがせっかく頑張って色々作ってくれたのに申し訳ないけど、それそのまま使うとかはちょっと無理なので。

悩んで喋って考えて考えて、今よりもっと「結婚」を自分のものにしたいと思う29歳なのであった。

夏に撮ったフィルムを現像したら、車の中から撮った木の写真があった。根っこを想像しにくい木だなと思った。

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キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!

※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。

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長井短

1993年9月27日生まれ、A型、東京都出身。

ニート、モデル、女優。

恋愛コラムメディア「AM」にて「長井短の内緒にしといて」を連載中。

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