
「これもハラスメントって言われちゃうかナ?」とか言われると、もう何も言う気にならないけれど、でもこういう会話が頻出し始めたってことは、世界は前進しているんだと思いたい。
あっちで働いてもこっちで働いても「ハラスメント」という言葉が聞こえるようになってもう結構時間が経つ。ありがたいなと思うこともあれば、自分の加害性に気付いて猛省することもたくさん。
誰に対しても加害者でない人間なんていない。と、私は思っている。生きていれば、どこかで誰かに牙を剥いてしまう。だからほんと、いっぱい考えて考えて過ごしたい。そういう人はたぶん増えてて、実際に「辛くない?」と聞いてくれる人は多い。俳優が受けているハラスメントのニュースを見て、心配になったと連絡をくれる友人もいた。
私はどうだっただろう。これからどうなるんだろう。
というわけで、2022年ラストのキリ踏んは俳優から見たハラスメントについてでーす。重たいからこそ軽やかにキーボードを打て!

私は「トップ(乳首)NG、お尻出さない」を最初に決めた
モデルと俳優を初めて、10年目の季節がやってきた。こういう節目には自分のこれまでを振り返るもの。
モデルの仕事が多かった時期は、それなりに薄着になったり、肌を露出することがあった。俳優業と違って、当日行ってみるまで何を着るのかわからないことがほとんどだったので、それなりにドキドキはしていたのだけど、恐怖を覚えたり傷ついたことはない。それは、当時所属していた事務所が明確な線引きをクライアントに伝えていてくれていたおかげだろう。
確か、当時私はマネージャーと話し合って「トップ(乳首)NG、お尻出さない」みたいなルールを決めた。当たり前だろって思うかもしれないけれど、コレクションの仕事や海外紙の撮影となると、全然そこも出るよって服を着ることもあったのだ。もし、そのことがクライアントに伝わっていないまま現場に行って、渡された服が剥き出しタイプのものだったら……。
平気な顔でそれを纏うモデルたちの中で「私はこれ着れません」と言うことはあまりにも難しい。人にはそれぞれ、自分なりのルールがあるし、それは絶対に尊重されるべきだ。きっと、もしそれを伝えれば「わかりました」と言われるだけで強要されることはないだろう。もしかしたら、仕事がキャンセルになるかもしれないけれど。
「自分はできません」と言うことにはそのリスクがある。キャンセルにならなくても、自分を責めてしまう可能性は高い。「みんなはできるのに、できないなんて、プロ失格なんじゃないか」そんな風に悩んでしまうだろう。だからこそ、最初から「これはやらない」っていう認識を伝えておく必要があるのだ。全てのモデル事務所がこうだと信じているし、できていないんならそこはモデル事務所じゃないのでやめた方がいいです。

「ケア」っておっぱい出さないと必要ないんですか?
さて、俳優はどうだろう。
モデルの仕事と比べて、薄着になる機会は少なかった。それでも数回は、これは気をつけないとなと思うことはあって、まぁ基本的に特に問題なくやれてこれたと思う。
ただ、引っかかるのだ。特に最近。「ハラスメント講習」を私は受けたことがないので、そこでどんな話をされて、何を気をつけようということになっているのか知らないけれど、ここ数年で業界全体の意識が変わってきたのは確かなんだろう。性描写のあるシーンを撮影するときは、精神的にも肉体的にも以前より丁寧にケアされるようになっているんだろうし(ですよね?)現場にインティマシー・コーディネーターが入る話もちらほら聞くようになった。
でもじゃあ、その「ケア」って、おっぱい出さないと起きないんですか? セックスシーンを撮影しまーす! と言われて「あ、それなら気を遣わないといけませんね」下着のシーンだから「あ、それなら気を遣わないといけませんね」え、そういう問題なの? 違くないですか?
どうしてケアする必要があるのか。そこが抜け落ちて、ただ漠然と「気にする」をやっている人がいっぱいいる。そもそも何故「気にする」必要があるのか、覚えてますか?
人間が何を苦痛と感じるか、どんなことに抵抗を感じるかは人によって違う。ウニを食べられる人と食べられない人がいるように、裸を見られることにあまり抵抗ない人もいれば、服を着ていたとしても、体のラインがはっきりわかる時点でしんどい人もいるのだ。その一つ一つをリストアップしていってチェックするなんてのは無理な話だし、そもそもそういうことではないはずだ。「NO」と言えない空気の中で、流されてしまうことを防ぐ。それが本来の目的なはず。
だけど実際に現場で起きているのは「脱ぐんなら気をつけよう」とか「キスシーンだから気をつけよう」みたいな、教科書を暗記した対応が多いように感じる。マークシートじゃないんだよ。
一度、共演の女優さんが衣装をとても気にしている姿を見たことがある。小さめの服を着た彼女は、自分の体のラインが必要以上に浮き彫りになっているのが不安そうだった。また別の場所では、体にフィットしていないタンクトップを着た女優さんが、胸元をしきりに気にしていた。性的なシーンでなくても、引っかかることは当然ある。
彼女達は大抵、申し訳なさそうに、スタッフさんに声をかける。
「これ……見え方大丈夫ですかね?」
基本的に時間がとにかくない撮影現場では、その声にゆっくり耳を傾けてもらえることは少ない。だから「大丈夫だよ!」とか「じゃあ本番前にテープで止めようか!」なんていうラフな声が帰ってきてしまうのだ。誰が悪いでもない。システムの問題だろう。だけど、だけどさぁ。
私にも経験がある。不安で声をかけた相手から食い気味に「全然大丈夫だよ!」と返された時の孤独感と、その後にやってくる「私が神経質なのかな」っていう不安。今思うと、そりゃ神経質にもなるわ自分の体だからな! って言い切れるけれど、実際その場で強く不安を訴えることは本当に難しい。
そして、これは女性俳優に限った話ではなくて、裸の上半身を見られるのがしんどい男性だっている。「男の子だし大丈夫だよね」っていう言葉を、私は忘れることができない。それに声を上げることができなかった自分を許すこともできない。
当然、俳優に限った話でもない。わたしたちの仕事が特別だってことを言いたいわけじゃないのだ。怒鳴ってないからセーフと思ってしまうことと、露出してないから大丈夫と考えてしまうことは、同じエラーが起きているように思う。そうじゃない。そうじゃないじゃないですかぁ。
当事者が「大丈夫」と思えていないことを他者が「大丈夫」と言い切ることは、よくないんじゃないだろうか。本番でクリアならOKって何? リハーサルの時も、周囲にはたくさんの人がいるのに、その人達には見られてもいいってこと? そんなはずはない。そんなはずはないことばかりだ。アクを掬うみたいなやり方で行われるケアは、果たして本当のケアなのか?
もちろん、どんな現場にも良い人はいる。そこに役職は関係ない。この現場なら安心して取り組めるなって感じる機会は増えているけれど、そういう信頼できる人の手を、力強く握り続けないとすぐに流されてしまいそうなのも事実だ。やさしく手を取り合っていたいのに、死に物狂いで握りしめないとまた一人ぼっちになってしまいそうで怖いと感じてしまうのは、私だけだろうか。
スタバカードみたいに、あげればそれなりに相手が喜んでくれるような思いやりはない。ケアは使い回せないのだ。あちこちで行われている「ハラスメント講習」がどんなものなのかわからないけれど、その受講履歴はただの履歴である。
暗記して100点取るみたいなことじゃなくて、一人一人が悩みながら、話し合いながら作品を作れる世界に、少しでも近づく2023年を待ってる。
キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
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