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天皇のお言葉

2025.09.12 公開 ポスト

「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」東京裁判前に明かされた昭和天皇の辛辣な松岡洋右評辻田真佐憲

近代国家となった明治以降、天皇の発言の影響力は激増した。では、1945年8月15日の終戦、敗戦への責任、神格化の否定……に天皇は実際どんな言葉を残してきたのか? 近現代史研究者の辻田真佐憲さんが250の発言を取り上げ、読み解く『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』より一部を抜粋してお届けします。

「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」
(昭和21・1946年)

もちろん、これだけで戦後の皇室が盤石になったわけではなかった。極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷を1946年5月に控え、天皇の戦争責任論やそれにともなう退位論などもくすぶっていた。

そんななかで密かに歴史の回想と整理が行なわれた。同年3月から4月にかけて、天皇が田中義一内閣以降のできごとを語り、側近五人(松平慶民宮内相、木下道雄侍従次長、松平康昌宗秩寮総裁、稲田周一内記部長、寺崎英成宮内省御用掛)がそれを聞き取り、まとめたのである。このうち寺崎が筆記した記録が、『文藝春秋』1990年12月号に掲載されて話題になった。本書でもなんども引いてきた『昭和天皇独白録』がそれだった。

すでに述べたとおり、同書は天皇を免罪しようとする側面があった。ただ他方で、意外にも赤裸々な内容が含まれていることも指摘しなければならない。とくに人物評はかなり率直だった。東条については前章で触れたが、ほかの人物についてもつぎのような具合だった。

満洲事変の張本人[石原莞爾]。

完全に軍の「ロボット」[板垣征四郎]。

確乎たる信念と勇気とを缺いた[近衛文麿]。

神がゝりの傾向もあり、且経済の事も知らない。[中略][内閣]改造問題にしても、側から云はれると直ぐ、ぐらつく、云ふ事が信用出来ない、その代り小磯は私が忠告すると直ぐに云ふ事をきく。それでゐて側から云はれると直ぐ、ぐらつく。つまり肚もなく自信もない[小磯国昭]。

高松宮はいつでも当局者の意見には余り賛成せられず、周囲の同年輩の者や、出入りの者の意見に左右され、日独同盟以来、戦争を謳歌し乍ら、東条内閣では戦争防止の意見となり、其后は海軍の意見に従はれた。開戦后は悲観論で、陸軍に対する反感が強かつた[高松宮宣仁親王]。

平沼は陸軍に巧言、美辞を並べ乍ら、陸軍から攻撃される不思議な人だ。結局二股をかけた人物と云ふべきである[平沼騏一郎]。

なかなか辛辣だった。そのなかでも、宇垣一成と松岡洋右にたいする評価はきわめて厳しかった。

天皇に酷評された松岡洋右。満鉄総裁、外相などを歴任した(写真:Wikimedia Commons)

宇垣は、陸相、外相、拓務相を歴任した軍人、政治家である。陸相時代には軍縮に取り組み、外相・拓務相兼任時代には、中国との和平交渉を模索した。かならずしも戦争推進論者ではなかったのだが、天皇の覚えはめでたくなかった。

外務大臣の宇垣一成は一種の妙な僻[癖]がある。彼は私が曖昧な事は嫌ひだといふ事を克く知つてゐるので、私に対しては、明瞭に物を云ふが、他人に対してはよく「聞き置く」と云ふ言葉を使ふ。聞き置くといふのは成程その通りに違ひないが相手方によつては「承知」と思ひ込むことがありうる。宇垣は三国同盟[三月事件か? 昭和六年三月、軍部クーデタによって、陸相宇垣一成を首相とする軍部内閣樹立を計画した事件]にも関係があつたと聞いてゐるがこれも怖らくはこの曖昧な言葉が祟つたのではないか。この様な人は総理大臣にしてはならぬと思ふ。

ただ、松岡への酷評にくらべれば、それも霞んでしまう。松岡は、第二次近衛文麿内閣の外相として、日独伊三国同盟や日ソ中立条約の締結を推進した。それが天皇の勘気に触れたらしく、「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」とまでこき下ろされた。

吉田善吾[海相]が松岡[洋右外相]の日独同盟論に賛成したのはだまされたと云つては語弊があるが、まあだまされたのである。日独同盟を結んでも米国は立たぬと云ふのが松岡の肚である。松岡は米国には国民の半数に及ぶ独乙種がゐるから之が時に応じて起つと信じて居た、吉田は之を真に受けたのだ。[中略]

この[南部仏印]進駐は初めから之に反対してゐた松岡は二月の末に独乙に向ひ四月に帰つて来たが、それからは別人の様に非常に独逸びいきになつた。恐らくは「ヒトラー」に買収でもされたのではないかと思はる。

現に帰国した時に私に対して、初めて王侯の様な歓待を受けましたと云つて嬉[喜]んでゐた。一体松岡のやる事は不可解の事が多いゝママが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持つてゐる。

かかる厳しい月旦評は、明治天皇のそれをほうふつさせる。さまざまな臣下と日々会わなければならない天皇は、その人物眼も研ぎ澄まされずにはいられなかった。問題も指摘される『昭和天皇独白録』だが、注意して読み解けば、依然として昭和天皇の本心を探れる貴重な資料なのである。

関連書籍

辻田真佐憲『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』

天皇の発言ほど重く受け止められる言葉はない。近代国家となった明治以降、その影響力は激増した。とはいえ、天皇の権威も権力も常に絶対的ではなかった。時代に反する「お言葉」は容赦なく無視され、皇位の存続を危うくする可能性もあった。そのため時代の空気に寄り添い、時に調整を加え、公式に発表されてきた。一方で、天皇もまた人間である。感情が忍び込むこともあれば、非公式にふと漏らす本音もある。普遍的な理想と時代の要請の狭間で露わになる天皇の苦悩と、その言葉の奥深さと魅力。気鋭の研究者が抉り出す知られざる日本の百五十年。

辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』

信用できない情報の代名詞とされる「大本営発表」。その由来は、日本軍の最高司令部「大本営」にある。その公式発表によれば、日本軍は、太平洋戦争で連合軍の戦艦を四十三隻、空母を八十四隻沈めた。だが実際は、戦艦四隻、空母十一隻にすぎなかった。誤魔化しは、数字だけに留まらない。守備隊の撤退は、「転進」と言い換えられ、全滅は、「玉砕」と美化された。戦局の悪化とともに軍官僚の作文と化した大本営発表は、組織間の不和と政治と報道の一体化にその破綻の原因があった。今なお続く日本の病理。悲劇の歴史を繙く。

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天皇のお言葉

明治・大正・昭和・平成の天皇たちは何を語ってきたのか? 250の発言から読み解く知れれざる日本の近現代史。

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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