東京方面行きの電車に乗っていたときのことだ。
高速道路で大事故を起こしたバンドマンが、めちゃくちゃに大破した車の写真をSNSに投稿していたのを偶然見かけた。
続けて「ライブはなんとかやれそうだけど、車は廃車です。名古屋のライブハウスから東京まで機材を持って帰る手段もお金もありません。どなたか助けてくれませんか」とある。
僕は目的地で降りずに終着の東京駅まで行き、最速の新幹線チケットを買って名古屋に向かった。
名も知らないバンドの、名も知らないメンバー3人と、ライブハウス近くの駐車場で「はじめまして」を交わし、レンタカーに機材を積む。
急だったのでレンタカー屋には高級車のヴェルファイアしか残っておらず、19インチホイールとダブルウィッシュボーン式サスペンションによるしなやかな安定性を楽しみつつ、ラグジュアリーな空間とともに新東名高速道路の全区間を走破したのだった。
「めちゃくちゃ運が悪かったね」
助手席に座るボーカル君に言うと、彼は笑いながらも小さく肩を落とした。
「でもね。俺がその投稿を見つけた…という時点で、君たちにはまだ運があるってことなんだと思うよ」
彼らをそれぞれの家に送り届ける前に自宅に寄り、自分で買ったお気に入りのウイスキーを1本ずつ、彼らにプレゼントした。
「今日のことは多分一生忘れないだろ。車は残念だったけど、そのかわりにとんでもない体験ができたって思ってくれたら嬉しい。これからは不運を感じたら、どんな手段を使っても強引に幸運に変えていってほしい」
___僕はときおり、こういう考え方をするフシがある。
さて。
以前このエピソードを、地元である札幌のラジオで話したところ、たくさんの反応をいただいた。
我ながらなかなか取りに行けない体験ができたと思っていたのだが、ラジオとしても聴き応えのあるトークになったと思う。
ラジオの放送後は、Twitter (X) に投稿された番組の感想を読みながら晩酌をするのが日課で、感想を投稿してくれた方のプロフィールページを覗いたりすることもあったのだが、一連のエピソードを話した日のこと、いつものように晩酌をしながら感想を読んでいると、北海道でおむすびの移動販売をされている方のアカウントが目にとまった。
どうやら移動販売の車中だったり、翌日の仕込みをしている時など、ラジオをBGMがわりにしてくださっていたらしい。僕がしゃべっている水曜日の夜20時は、仕込みの時間に当たるのだろう。ちょうど聞いてくださっていたらしく、感想を書いてくださっていたのだ。
僕はおむすびがとても気になってしまい、移動販売で売られているおむすびの具を紹介したページを開いた。さすが北海道というべきか、山わさびや、ぬかニシンなど、味を想像するだけで思わず唾を飲み込んでしまうようなご当地メニューが並んでいる。
都内で山わさびや、ぬかニシンを探しても、本物にはなかなか出会えない。
すりおろされて瓶詰めになった山わさびならアンテナショップにあるが、根の状態で売られていることは少ないし、ぬかニシンも、以前は有楽町のアンテナショップで扱われていたのだが、いつのまにか姿を消してしまった。
写真を見ているうちに、僕はすっかりこのお店のおむすびが食べたくなってしまった。
お酒を飲んでいたので、とくに強く。
その日も仕事で新千歳空港から札幌に向かう特急に乗っていたのだが、ふと移動販売の予定表を確認したところ、どうやら今は恵庭で販売しているようだ。
千歳から札幌に向かう途中にある駅なので、僕は突発的に荷物をまとめて恵庭で降り、販売場所であるスーパーの駐車場に向かった。ようやく念願の味に手が届くかと思いきや、車内にいたのは別のスタッフさんで、しかも商品はすべて売り切れとのこと。
「持ってないな〜」とつぶやきながら、来た道をまた戻った。
それからさらに数カ月後。
再び札幌での仕事があり、ホテルに滞在していた日のことだった。
またもおむすび屋を思い出し予定表をチェックしてみると、なんと今日は、いま泊まっているホテルから歩いて3分の場所に出店していると知り、あまりの偶然に「うぉぅ!」と声が出る。
慌ててメッセージを送ると「ちょうど閉めようと思っていたところです」との返信をいただいたので、急いで駆けつけた。
公園の歩道に、おむすびの描かれた青いのぼりが揺れている。
僕のラジオのリスナーさんでもある店主さんは「本当に買いに来てくれるとは思ってませんでしたよ」と笑っている。
一度恵庭に行ったのに買えなくて悔しくて。次は絶対にと思っていた旨を伝えつつ「ご迷惑でなければ」と前置きをして、残っていた20個ほどのおにぎりをすべて買わせてもらった。
ホテルに戻り、袋の中からおにぎりを出し、ベッドの上に並べる。
どれを1個目にするか悩ましかったが、「とうきびバター」を選択。
ぜいたくなほどに混ぜ込まれたとうきび(とうもろこし)のツブツブと、バターの風味が相まって、まさに北海道の味だった。
どこでも売ってるような、見慣れたフォルムのおむすびが並んでいるが、これらは特別なのだ。
「ここまで苦労して買ったおむすびは初めてだったな」と思う。
名古屋からバンドマンを乗せて東京に帰る途中、パーキングエリアで買ったおにぎりを思い出した。
あれは、工場で型にお米を詰めて作られたような、かんぺきな三角形のおにぎりだったんだよなぁ。
その日の夜は、母親と、母の友人の三人で中華料理屋に行った。
この中華料理屋の名前は「香州」といって、札幌で65年以上営業している老舗中の老舗だ。
もともとは親戚のおじさんに教えてもらったお店だったのだが、ある時、札幌のピアニスト友人と集まるときにこの店を使ったところ、友人たちもとても気に入ってくれ、ライングループの名前が「香州会」になったほどだ。
ある日母親に「友人と香州に行った」と話したところ「私も高校生の時なんども行った。エビチャーハンが好きだったんだけど、お金がないときは普通のチャーハンを食べたなぁ」などと言う。
ずいぶん懐かしんでおり「次にあんたと札幌行くタイミングがかぶったら、香州に行こう」と言われていたわけだ。
めちゃくちゃ喜んでくれた
(店員さんの許可はちゃんと取った)
17時の開店と同時に入り、二階の円卓に通される。
母の思い出でもあるエビチャーハンに加え、麻婆豆腐、小籠包、青菜炒めを注文した。僕にとっては「いつもの味」だが、母にとっては「思い出の味」なのだ。
三人でビールを飲みながら、僕の生まれる前の札幌の話を聞いていると、この店が長い年月、街の真ん中で灯りを絶やしてこなかったこと、こごえた人々にぬくもりを提供し続けてくれたことに感謝せずに居られない。
僕もまた、次の世代にこのお店の良さを語り継いでいこうと思う。
香州からの帰り道、札幌の中心部を東西に貫く狸小路商店街を歩くと、サザンオールスターズのライブグッズを身につけた人を何人も見かけた。
この日はサザンが札幌でライブを開催している日だったのだ。
僕は、物心つく前から、親がファンだった影響でサザンオールスターズを聴いて育った。車の中で流れていたのは、桑田佳祐さんのソロ名義でリリースされた「フロムイエスタディ」というアルバムで、最近でもユニクロのCMで耳にする機会があるのだが、そのたびに車の後部座席から見た風景を思い出している。
聴くたびに、驚くほど古びない音楽だと思う。
ためらいがちな言葉で別れを告げて
歩き出す道はもう違うねと
風の季節に吐息集めて
お前とのたわむれ「誰かの風の跡」(桑田佳祐)
次の日、僕はラジオ局に行った。
いつも僕が喋っていたブースに、その日座っていたのは、ほかでもない、サザンオールスターズの桑田佳祐さんだった。
ガラス越しに広がるあの声は、ずっと聴いてきた”本物”の声だ。
不思議な気持ちだった。
高校生の頃、夢中で情報をかき集め、すべての楽曲を聴いていた「対象」であるその人が、いま目の前で喋っている。
たくさんの曲を世に送り出し、自分を含め、多くのリスナーの人生を形づくってきた存在が、同じ空間に居ると思うだけで、胸が温かくなった。
「僕は、あなたの楽曲を無心に聴いた青春時代を経て、いろんな運命が作用した結果、音楽の仕事をする人間になりました。
事故ったバンドマンを迎えに行ったのも、きっとあなたのような人になれる可能性を、少しでも潰したくなかったからだと思います。」
ときどき思う。
人生は、ほんの少しだけ遠くにジャンプする勇気を持てば、それがきっかけで思ってもみない方向に転がっていくものだ。
昔と変わらず冗談を言う桑田さんの姿を、もう一度見る。
自分の人生という、突発的で、衝動的で、いつも不安定だった長い物語に、一枚のしおりを挟んだような気持ちが生まれた。
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音楽人の旅メシ日記

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旅と食事を愛するミュージシャン事務員Gが、楽譜をなぞるように紐解きます。










