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天皇のお言葉

2019.04.03 公開 ツイート

「教育勅語」の神聖不可侵を天皇は望んでいなかった 辻田真佐憲

「令和」と決まった新元号の5月1日に約200年ぶりとなる天皇の「譲位」が行なわれます。
明仁天皇は退位にあたって何を言い残し、徳仁新天皇は即位にあたって何を告げ知らせるのでしょう?
天皇の言葉はわかりやすいようで、実は、奥が深いもの。
過去の発言や歴史を踏まえなくては、その真意を読み解くことができません。
辻田真佐憲さんの新刊『天皇のお言葉~明治・大正・昭和・天皇~』は、この稀有な歴史的機会を冷静に立ち会うための必読書です。
では、今なお話題になる「教育勅語」には明治天皇のどんな意図があったのでしょうか。

「爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に……」(明治二三・一八九〇年)

一八八九年二月、「大日本帝国憲法」が発布され、翌年には帝国議会が開かれることになった。自由民権運動はひとつの佳境を迎えつつあった。これにたいし、府県の知事たちが憂慮を示し、道徳教育の確立を榎本武揚文相に訴えた。地方の治安を預かる官吏たちは、「真の日本人たるに恥ざる者」「大和魂なるもの」を養成し「我国体を基とし徳育を発達」させれば、政治運動の過激化を防げると考えたのである。

首相になっていた山県有朋(内相兼任)は、これにすばやく反応し、腹心の芳川顕正を文相に据えて、徳育にかんする「箴言」の起草を行なわせた。どうやら山県は「軍人勅諭」の一般国民バージョンを考えていたらしい。

「箴言」は、はじめ女子高等師範学校校長の中村正直によって起草された。だが、啓蒙主義者の中村は「自治独立の良民」の育成に重きを置く草案を提出したため、採用されなかった。

その代わりに白羽の矢がたったのが、法制局長官の井上毅だった。能吏の誉れ高い井上は、啓蒙主義にも儒教主義にもよらず、草案を書き上げた。「大日本帝国憲法」の起草者のひとりらしく、立憲主義の建前への配慮も怠らなかった。立憲主義では、君主は臣民の良心の自由に干渉しない。だから、この勅語は「政事上の命令」や「一種の軍令」ではなく、「社会上の君主の著作公告」でなければならないとしたのである。まさに絶妙なバランス感覚だった。

天皇は、かつて「教学聖旨」を出すなど教育に思い入れがあった。そのため「教育勅語」についても仮稿を熟読し、

此の稿首尾の文不可なしと雖も、其の中間徳目の条項を掲ぐる処猶なほ足らざるを覚ゆ。

と述べ、侍講の元田永孚にその修正を命じた。そこで元田は井上の推敲にさらに協力することになった。

こうして、完成した「教育勅語」は一八九〇年一〇月三〇日、宮中において山県首相と芳川文相に与えられた。有名なその内容はつぎのとおりだった。

朕惟(おも)ふに、我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民、克(よ)く忠に、克く孝に、億兆心を一にして世々厥(そ)の美を済なせるは、此れ我が国体の精華にして、教育の淵源亦実に此に存す。爾(なんぢ)臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習ひ、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進で公益を広め世務を開き、常に国憲を重じ国法に遵ひ、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。是の如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。

斯の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外に施して悖(もと)らず。朕、爾臣民と倶に拳々服膺(けんけんふくよう)して、咸(みな)其徳を一にせんことを庶幾(こひねが)ふ。

井上は、瑣事に拘らない「真成なる王言の体」をめざし、「教育勅語」の文言を刈り込んだ。そのためさまざまな解釈を生みやすく、政府の公式見解さえ揺れ動いた。民間では、アジア太平洋戦争の敗戦までに三〇〇種類以上もの解説書が刊行されたほどだった。

ただ「教育勅語」の柱は、天皇と臣民の上下関係である。この点は揺るがない。天皇の祖先は、国をはじめ、徳を建てた。臣民の祖先は、忠に勤しみ、孝に励んだ。これこそ日本の国柄の真髄であって、教育の根源もここにあるという。ここで君臣はしっかり切り分けられている。

これを前提として、天皇は臣民に守るべき徳目を示す。「爾臣民、父母に孝に」から「以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」までの部分がそうだ。しばしば「教育勅語」は狂信的な神国思想や軍国主義の権化と批判されるが、ひとつひとつの徳目をみるとそれほど大それた内容ではない。非常時の義勇奉公や、天皇国家の翼賛も、欽定憲法で兵役義務を含む「大日本帝国憲法」の下では、取り立てて騒ぐほどのものではなかった。そもそも当時の日本は極東の弱小国家だったのだから、「神国日本の民として世界を指導せよ」と絶叫するような、夜郎自大な空想をもてあそぶ余裕などなかった。

なお「教育勅語」には、もうひとつの柱があった。それは、臣民とその祖先の家族関係だった。臣民の祖先は、かつて天皇に忠誠を尽くした。だから、現在の臣民もこれらの徳目を守り、天皇に忠誠を尽くせば、祖先の道を踏み行ったことになり、孝行を果たすことにもなるだろう。臣民は、孤立した個人ではなく、共時的には忠で天皇と結びつけられ、通時的には孝で祖先と結びつけられていたわけだ。

そして最後に天皇は、これらの徳目が時間・空間を超えて普遍的だと宣言する。そして自分も守るから臣民も守ってほしいといって「教育勅語」を締めくくるのである。

つぎは、一九四〇年に文部省で作られた全文通釈である。これも完全とはいえないものの、ひとつの参考として掲げておく。

朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇めになつたことは極めて広遠であり、徳をお立てになつたことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみ孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であつて、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに〳〵天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。

こゝに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになつた御訓であつて、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守つて、皆この道を体得実践することを切に望む。

「教育勅語」は、さまざまな思惑が錯綜するなかで、きわめて短期間に作成された。そのため、日本が大国になるにつれて不足する部分が目立つようになった。国際交流や産業振興、植民地の臣民に向けた内容などがそうだった。そのため後年には、改訂の動きも起こった。

ところが、「教育勅語」もまた発布されるやいなや、天皇の言葉として独り歩きをはじめた。早くも翌一八九一年、小学生は、紀元節や天長節などの祝祭日に学校に呼び出され、校長が捧読する「教育勅語」を平身低頭して聴かなければならなくなった。そのため、改訂の動きは「不敬」だとしてすべて挫折を強いられた。その神聖不可侵が解除されるのは、やはり一九四八年の排除と失効確認を待たなければならなかった。

*   *   *

続きは、『天皇のお言葉~明治・大正・昭和・平成~』をご覧ください。

辻田真佐憲『天皇のお言葉』

天皇の発言ほど重く受け止められる言葉はない。近代国家となった明治以降、その影響力は激増した。とはいえ、天皇の権威も権力も常に絶対的ではなかった。時代に反する「お言葉」は容赦なく無視され、皇位の存続を危うくする可能性もあった。そのため時代の空気に寄り添い、時に調整を加え、公式に発表されてきた。一方で、天皇もまた人間である。感情が忍び込むこともあれば、非公式にふと漏らす本音もある。普遍的な理想と時代の要請の狭間で露わになる天皇の苦悩と、その言葉の奥深さと魅力。気鋭の研究者が抉り出す知られざる日本の百五十年。

 

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天皇のお言葉

明治・大正・昭和・平成の天皇たちは何を語ってきたのか? 250の発言から読み解く知れれざる日本の近現代史。

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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