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天皇のお言葉

2019.04.22 更新

昭和天皇への抗議が広がったヨーロッパ外遊辻田真佐憲

約200年ぶりとなる天皇の「譲位」が行なわれる令和元年5月1日が迫ってきました。
明仁天皇は退位にあたって何を言い残し、徳仁新天皇は即位にあたって何を告げ知らせるのでしょう?
天皇の言葉はわかりやすいようで、実は、奥が深いもの。過去の発言や歴史を踏まえなくては、その真意を読み解くことができません。
辻田真佐憲さんの新刊『天皇のお言葉~明治・大正・昭和・天皇~』は、この稀有な歴史的機会を冷静に立ち会うための必読書です。
戦前は「君主」であった昭和天皇は、戦後、「象徴」となりました。しかし、君主であった気持ちを拭い去ることはなかなか難しかったようです。

「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」
(昭和五〇・一九七五年)

天皇は、在位中に二度の外遊を行なった。一度目は、一九七一年のヨーロッパ歴訪、二度目は、一九七五年のアメリカ訪問だった。日本はすでに東京オリンピックを成功させ、GNPで世界二位の経済大国に躍進していた。天皇の外遊も、まったく苦にするところではなくなっていた。

まず、ヨーロッパ歴訪からみてみたい。天皇は、一九七一年九月二七日から一〇月一四日まで、ベルギー、イギリス、西ドイツを公式訪問し、デンマーク、フランス、オランダ、スイスを非公式訪問した。

このヨーロッパ歴訪は、しかし、天皇にとって苦い経験となった。たしかにヨーロッパは、皇太子時代にも訪れた、懐かしい場所だった。だが、そのあいだにはアジア太平洋戦争の暗い影があった。同地では天皇の戦争責任を問う声が根強いことを、天皇も、側近も、政府も、かならずしも深く認識できていなかった。

一〇月五日、ロンドンでエリザベス女王主催の歓迎晩餐会が開かれた。天皇はそこで、戦争責任にまったく触れず、思い出ばなしに終始した。これは、戦争に明確に言及した女王と著しい対比をなした。

わたくしどもは、貴国の空港に到着以来、貴国民の心の温かさを身にしみて感じております。それは今より五〇年前、イングランド及びスコットランドに滞在中わたくしに示された豊かな温情と全く変りがありません。当時わたくしは初めて貴国民の生活に触れ、この宮殿を知り、地方の村々を知ったのでありました。それ以来、わたくしは、貴国の社会制度及び国民、殊に陛下の御英明な祖父君に対し常に敬意をもち続けております。ジョージ五世陛下は王者の威厳と親子の愛情をもってわたくしを御引見下さいました。当時わたくしは同陛下から戴いた慈父のようなお言葉を胸中深くおさめた次第でありました。

この言葉が火に油を注いだ。抗議の声は鳴り止まず、天皇がキュー王立植物園に植えた日光産の杉も、翌日には何者かによって根本から伐り倒され、劇物の塩素酸ナトリウムをかけられてしまった。「彼等は無意味に死んだのではない」。あとにはそんな趣旨のプラカードだけが残された。

天皇への抗議は、つぎの訪問地オランダでいよいよ激しく燃え上がった。同月八日には、ハーグで天皇の車に液体入りの魔法瓶が投げつけられ、フロントガラスに亀裂を生じさせた。ここまでの厳しく冷たい反応はまったく予想の埒外だった。天皇も、つぎのような御製を詠まざるをえなかった。

戦にいたでをうけし諸人のうらむをおもひ深くつつしむ。

つづくアメリカ訪問で、同じ事態を繰り返すわけにはいかなかった。一九七四年一一月、アメリカ訪問に先立ってフォード大統領が来日すると、天皇は宮中晩餐会でみずから戦争の問題について言及した。

このような友好的な両国の間にも、一時はまことに不幸な時代をもちましたことは遺憾なことでありました。

このような下準備をした上で、翌年、天皇はアメリカに飛び立った。一〇月二日、ホワイトハウスで大統領夫妻主催の歓迎晩餐会が開かれた。天皇はここでも戦争の問題に言及することを忘れなかった。

私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、もしそのことが叶えられた時には、次のことを是非貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、我が国の再建のために、温かい好意と援助の手をさし延べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれて行くものと信じます。

アメリカ向けのメッセージなので英訳も慎重に検討され、「私が深く悲しみとする」の「悲しみとする」は「deplore」と訳出された。これは、「遺憾に思う」「深く悔いる」などを意味する。じつに最適な単語だった。

このような入念な準備が奏功し、天皇一行はアメリカの各地で歓迎された。天皇も安心したのか、サンディエゴの動物園ではオカピ(キリン科の偶蹄類)をみて、生物学者らしい喜びの歌を詠んだ。

オカピーを現つにみたるけふの日をわれのひと世のよろこびとせむ。

また、アナハイムのディズニーランドでは、ミッキーマウスらの出迎えを受け、パレードや電気自動車の乗車などを楽しんだ。天皇は、同園から非公式にミッキーマウスの腕時計を贈られ、これを数年にわたって愛用したという。

アメリカ訪問は、天皇にとって捲土重来の外遊となった。ただ、すでに七四歳となっていた天皇に、三回目の外遊の機会は訪れなかった。

*   *   *

続きは、『天皇のお言葉~明治・大正・昭和・平成~』をご覧ください。

辻田真佐憲『天皇のお言葉』

天皇の発言ほど重く受け止められる言葉はない。近代国家となった明治以降、その影響力は激増した。とはいえ、天皇の権威も権力も常に絶対的ではなかった。時代に反する「お言葉」は容赦なく無視され、皇位の存続を危うくする可能性もあった。そのため時代の空気に寄り添い、時に調整を加え、公式に発表されてきた。一方で、天皇もまた人間である。感情が忍び込むこともあれば、非公式にふと漏らす本音もある。普遍的な理想と時代の要請の狭間で露わになる天皇の苦悩と、その言葉の奥深さと魅力。気鋭の研究者が抉り出す知られざる日本の百五十年。

 

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天皇のお言葉

明治・大正・昭和・平成の天皇たちは何を語ってきたのか? 250の発言から読み解く知れれざる日本の近現代史。

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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