
《出産編・上》はこちら
勇ましく「いざ!」と腹を決めて入った陣痛室は、とてもちいさな3畳程度の部屋だった。中にはベッドとちいさなテレビ、それといくつかの機械があるだけ。ふ~ん、ここでしばらくは陣痛に耐えるわけね、それで産まれそうになったら分娩台に移動か。どのくらいかかるんやろうか。意外とぽろんと生まれたり……しないかな。ビビってたほど痛くなかったわ~と笑っている私が未来で待っていますように、と祈るような気持ちでベッドにごろり。
「自然分娩を前提に進めますが、どうしても無理になったら言ってくださいね」
やさしい助産師が説明をしてくれる。
それにしても。
夫は、コロナ対策のため、産まれる直前にしか部屋には来られないということだったので、ひとりぼっちで挑むことになって、そんなのはもうずっと前から説明されていたのだけど、陣痛室にひとりで転がっていると、ものすごく不安になってくる。人生で最も大事な瞬間を、ひとりで始めるのか……って、いやいや違う、きみがいる。昨晩、何度も夢と現実の狭間で、手繰り寄せるように掴んだ思い。「私はきみが出てくるのを手助けするだけ」「きみがそうしたい、と願うのを、手伝うだけ」「いちばん大変なのは、私ではなくて、きみ」を引っ張り出して、眺め、唱え、お守りのように握りしめて、いっしょにがんばろうねと話しかけ、手をにぎり合うような気持ちで天井を見つめていた。
「陣痛促進剤、打っていきますね。先生からは、できるだけ今日の明るいうちに産みましょうって聞いてます。頑張って!」
助産師がそう言って、点滴で促進剤を入れていく。大丈夫、大丈夫。もう私は腹を決めたんや。どんな痛みでも耐えてみせよう。母として、初の任務を果たそう。安心しな! 子よ! と、やたらに姉御気分で、鼻息荒く過ごすこと30分後。陣痛が始まった。
あ~来たわ、来た。これ、生理痛のひどいバージョンだ。は~んなるほど、こういう痛みなんだ。
なるほどなるほど。と、痛みを観察するような気分が、やがて「はん!?!?」と目ん玉をひん剥くような痛みに変わっていく。下半身の奥の方から、ブワ~と這い上がってくる大波のような痛み。それがピークに達すると「はん!?!?」。それを繰り返すうちに、どんどんどんどん波がでかく、「はん!?」もでかくなって、体を小さく丸めてウグィィヒギィィ……と声が漏れ出る……。こ、これが、陣痛?
ギリギリギリギリと腹部をねじるような痛み。ありえない強さで、きつくきつく絞られた雑巾がぼんやり頭に浮かぶ。生理痛か、ひどい下痢のような痛みだなぁと思っていたのは一瞬で、すぐに今まで味わったなかで一番の痛みを通り越して、あっという間に腰が壊れる痛みへ。ね、ちょ、ちょっと、陣痛って、こ、こんなかんじなんですか!? これで合ってますか!? と誰かに説明を求めたい気持ちでいっぱいになるが、部屋にはだれもいない。目の前のテレビは、ワイドショーを流し続ける。だれかが喋っている声がする。ゲストが出て、映画の告知をする。その様子が、宇宙船の中からみる地球くらい果てしなく遠く懐かしく感じて(って宇宙船に乗ったことないけど)、私は宇宙船からだれか! ちょっと! 助けて!!! と届かない真空状態のなかで叫んでいるような気分であった。
噂によれば促進剤っていうのは陣痛を一気に促進させるので(そのままですね)、いきなり痛みが強くなるらしいのだけど、出産の序章の序章の序章、スタートダッシュ直後でこんなにも痛いなんて、この先、私はどうなってしまうんだろうか……?
今までに味わったことのない、尋常じゃない痛み。ブチリと下半身が取れてしまうのではないかと心配になるほどの強い痛み。数分間それが続いて、また波が去っていく……。陣痛には波がある、とは知っていたけれど、痛みがない時さえ「嵐の前の静けさ」のような不穏な気配がお腹にあって「お願い、来ないで来ないで来ないで」と願うも虚しく、次の波に飲み込まれていく、という感じだった。息は止めずに吐かなければ……と思うのに、息を吐くことすらうまくいかない。
産前に数回通ったマタニティビクスの先生が「いきみ逃しの練習をしま~す!」と訓練してくれていた時間を思い出してみる。細身でテンションの高い、芸人の牧野ステテコさんにそっくりな先生が、「肛門を上に向けるようにして、ふ~! ふぅ~!」と底抜けにハイテンションで指導してくれたあの時間。思えば、肛門を上に向けるようにってどういう感じだったのか、一度もわからなかった。わからなかったくせに、こんなもんやろか、と思い込んで聞かなかった。聞けば違ったんだろうか。あの教室に真面目に通っていた(らしい)年上の女性は、うまくいきみ逃しができたんだろうか。牧野ステテコが「肛門を! 上に!」と遠くで叫んでいる……あぁ……もっと真面目に練習すればよかった……。後悔しても、時すでに遅し。ひとり静かに「いきみ逃しもどき」を繰り返してみても、痛みがぼわんと拡散するような気配があるだけで、ぜんぜん楽になんてならないのだった。
助産師が何度か様子を見に来ては「がんばれがんばれ~!」と言って励ましてくれるが、「ヒギィィ」とか「ハゥウウ」とか悶絶する私を見ても「順調順調!」と、じつに朗らかである。こんなのは異常事態だ、オカシイ、尋常ではないと思っている私からすると、彼女たちのどっしりとした態度が恐ろしかった。「異常なんです!」と叫んでも「いいえ、普通ですよ!」とニコヤカに返されているような、絶望感。(これが普通な世界線……そのことが恐ろしい……)。
しばらくたって先生と助産師がやってきて「内診しますね」と告げて、膣の中にぐりぐりと手を突っ込んで、子宮の入り口がどの程度開いているのかを確認してくれた。でも、これがまた激痛。陣痛と同時だったせいで、ふげえっ! と声が漏れる。仰け反って涙を流すが、先生も助産師も、「順調ですよ~。いまねぇ、まだ子宮口、4センチくらい。マックスでは10センチくらい。まだまだかかるけど、できれば今日産みたいよね」」と言って、馬鹿でかいふかふかのナプキンをちゃっちゃとつけて、部屋を出て行く。ねえ、ほんとに、これで順調? 阿鼻叫喚is順調? お産って、やばくない? お産って、死? と軟弱な私は完全に弱り切っており、手が届く距離に先生がいたら、白衣の裾を握り「ここにいて! おねがい!」と懇願していたかもしれないくらいに、心細くなっていた。
「いざゆかん」はどこへ行ったのだ。「きみよ、こい」はどこへ行ったのだ。情けないことに、もうこの時には痛みが去るごとにヒンヒンすすり泣いており、呼吸も乱れて手足が痺れるようになっていた。痛いよりも、恐怖のほうが勝って、ぽっかり空いた真っ暗なトンネルにぐんぐん吸い込まれて、あっぷあっぷと息をする。若くして姉を産んだ母は、かつて「何がどうなるのかわからなくて、知識もなくて、先生たちはなかなか来てくれなくて、ひとりで怖かった」と言っていた。「怖かった」。その気持ちが、いま、ひしひしとわかる。
おそろしい。本当におそろしい。なにがおそろしいって、なんとこのとき促進剤を入れ始めて、まだたったの4時間なのである。初産の平均分娩時間は、14時間(!!!)。これよりももっと強くなる痛みにあと10時間も耐えるなんて、もう考えただけで気が遠くて、どうか映画のように「~それから10時間後~」というテロップとともに出産のラストスパートの時間まで飛ばないだろうかと本気で願ってしまう。テレビの音も遠くに消えて、まぶたを固くつむっていたせいで視界もぼやけて、水を飲もうとペットボトルを握った瞬間に波がきて、軽いペットボトルがバリバリバリと悲痛な音を立てて歪む。
本当なら、ここに母や夫がいて、横で「大丈夫だよ!」とか「息吐いて!」とか「がんばって!」とか励ましてくれたんだろうか。そうだったら、ちょっとは違ったんだろうか。夫は出産時に役に立たず、居ても逆にムカつくだけ……という話も聞いたことがあるけれど、それでもひとりぼっちよりは全然良いんじゃないだろうか。考えても仕方がない「if」が浮かぶ。
コロナ禍で多くの妊婦が私と同じように、ひとりきりで出産に挑んでいる。この病院はたまたま、分娩時には夫の入室が可能だけれど、退院まで夫と会えない人も多いと聞く。ひとりで、得体の知れない痛みに耐えている妊婦たち。そしてコロナ禍に関係なく、ひとりきりでこの痛みに耐えた妊婦たち。病院で。自宅で。トイレで。この未知の痛みに対峙して、自分の体がどうなっていくのか、なにもわからないなかで恐怖と痛みに耐えた彼女たちを思うと、もうどうにもならない悲しさで胸までもビリビリに破れてしまいそうになって、正体不明の涙がマスクを濡らしていく。
江戸時代、平安時代、もっと前の妊婦たちは、どのようにこの時間を耐えたのだろう。祈祷師がいてくれたらもうちょっと心強かっただろうか。医療が進んでいないとき、恐怖の中で命を落とした人はどれほどいただろうか。言葉を持たない動物たちはどうだろうか。検索もできない動物のメスたちは、この恐怖を表すこともできずにどうしているんだろうか。時空を彷徨い、駆け巡って、過去この地球上に存在したすべての出産の痛みが、まぜこぜになってギリギリ子宮を締め上げて、骨盤をぎゅううと圧迫する。もちろん痛みの感じ方はそれぞれであるし、お産の状況も心の持ち方もそれぞれである。そうわかっていても、なんだか、この世のすべての妊婦たちと手を取って、繋がっているような気がしてくるのだった。
何度か泣いて、落ち着きを取り戻していきみ逃しに励んだりしたけれど、「助けて、助けて、助けて」と叫び出したいほどに恐ろしさでいっぱいになって、やがて「無痛にします。もう決めました」と助産師に告げた。「え~、本当に? 本当に頑張れない? もう無理? 絶対に無理? こんなに頑張ったのに、もったいないけど、本当に?」と(私に説明をしてくれた優しい助産師とは別の)助産師はとても残念そうに言って、私は小さく「ごめんなさい」と呟き、夫にも「無痛に切り替えるね。ごめんなさい」とメールを送った。
「ごめんなさい」
このとき私の体はすっかり時空をさまよって、かつての妊婦たちと繋がった(感覚になっており)、何時間も陣痛に耐えて耐えて耐え抜いた結果に緊急帝王切開になって悔しそうにしていた姉の顔や、24時間以上の難産の果てにひとりで出産した友人の顔、恐ろしい思いをしながら耐えた母の顔、隣の部屋で昨晩から呻いている顔も見たこともない妊婦の顔などが浮かんで、いま出産に挑んでいる日本中の妊婦、ひいてはこれまでの人類の歴史で叫びながら出産してきたすべての妊婦に、「ごめんなさい、ごめんなさい、私は全然がんばれなくてごめんなさい」と謝り続けているのであった。
「先生呼んできますからね」と助産師は言い、そのあとも何度か陣痛に耐えて、無痛分娩に進んでいく。分娩台のある部屋に移されて、なんやらかんやら麻酔の準備が進む。この頃にはもう「脊髄に麻酔なんて怖い!」と思ったことが嘘のように、頼むから早く麻酔して!! この痛みから逃れられるならなんでもいい! と思っており、先生が準備を進めてくれる間にも「はよ!!! はよ!!!!!」とじれったい気持ちで睨みつける始末。「それじゃ麻酔打ちますよぉ。背中をこうやって丸めてね~」と悠長な説明さえもどかしい。そして背中に、ちゅーっと冷たい液体が流れて、あら不思議。あっというまに痛みが遠くの方へと去っていくではないか。馬鹿でかい音楽のヴォリュームをスイ~っと下げる時みたいに、痛みは遠くにフェードアウト。先生には「えっ、もう効いてるの!? すごいね。麻酔効きやすいんだねぇ」と感心されるほど早く、私は痛みから逃れることができたのだった。
痛みが、まじのまじでぽわわわわ~んと消える。いっさいが消える。おそろしさが消える。「助かった……」とじんわり泣けてきて、脳内が、冷静さを取り戻していく。すると、さっきまで泣きながら「ごめんなさいごめんなさい」と思っていた気持ちもすかんと消えて「誰に謝ってたんやワシは」と、すっかりしらけてしまったのだった。でも、あの「ごめんなさい」が、無痛分娩が広がりにくい原因のひとつなのかもしれない、とも思う。無意識に連想してしまう周囲の妊婦の顔が、自分らしいお産を遠ざけてしまうのかもしれない。おかしなものよ。私は私、人は人、なのに。結局は、一人で出産をするのに。痛みは、出産は、私だけのものなのに。
自然? 無痛? の二択で迷い、迷い、迷い続けて、陣痛の最中に選んだ「無痛」の選択肢。麻酔科医が常駐している病院でなければ、なかなか直前まで悩める病院は無い。もしこの病院を選んでいなかったら、もし「自然分娩」しか選択肢のない病院で産んでいたら、私はどうなっていたのだろうと思うと今でも怖い。いや、どうなったもなにも、「助けて!」と思いながら、痛みの沼の中でもなんとか生きようとする本能だけで時間を過ごし、命の淵のギリギリに立って、そして、産むんだろう。痛みに耐えることだけが偉さではないが、そうは言っても、あの陣痛に耐え抜いた世界中の妊婦たちを、ほんとーーーうに、心の底の底の底の底の奥底から全身全霊で尊敬している。まじで、顔に「陣痛に耐えました」ってタトゥー入れたほうがいいよ。すごいもん。
無痛に切り替えた私。
ぎゅっとつぶっていたまぶたもやっと開いて、部屋を見渡すと、目の前の液晶画面でイルカが泳いでいる映像が流れているではないか。天国か? ここは天国か? 隣に置いてある陣痛の痛みを指すメーターの数値は99を指しており、痛みを全く感じていない今もまさにあのギリギリねじり上げる痛みは体には起こっているらしかった。でも本当に、な~んにも感じない。ちょっと恐ろしくもあるけど、すごい、現代医療様様だ。と感謝していると、鼻の頭が再び痒くなってきて、ぽりぽりと掻きながら、笑ってしまう。全身の中で一番不快なのが、鼻の頭の痒みだなんて、無痛分娩すんごいよ。
陣痛メーターの数値が、ぐんぐん上がって下がる、上がって下がる。その様子を見ながら一息ついていると、昨晩から呻いていた妊婦さんの呻き声が再び聞こえてきた。「あああああああ、いたい! いたい!! もうやめてー!! むりー! むりー!!」……。あの人、まだ頑張ってるんだ……。それに比べて私はたかだか数時間の陣痛で恐ろしいとか言ってギブアップ……。なんかすんません……と、ちょっと恐縮しながら、彼女が少しでも早く楽になりますようにと、祈祷師に成り代わって天に祈っておいた。
蚊騒動からあまり眠れていなかったこともあって、うつらうつらと過ごしていると入れ替わり立ち代り様子を見にきていた先生と助産師の様子が怪しくなってきた。陣痛と子の心拍を自動で記録している用紙を見て「うーん」とつぶやいたり、何度も子宮口を確認しては首を傾げたり。私の子宮口、開かないのかなぁ。子はどうなっているのかなぁ。考えていると、突然、助産師が「そろそろ旦那さん呼びましょうかね」と言う。
「えっ、生まれる直前じゃないと、呼べないんじゃないですか?」
「うーん。ちょっとね」
「なんですかっ!?」
「ちょっとね、赤ちゃんの心拍が乱れてきているの。もしかしたら、すぐに産もうってことになるかもしれないから、念の為」
聞けば、子宮口の開き具合が悪く、陣痛促進剤も子宮口を柔らかくするお薬も、できることは全部したけれど、どうにもお産の進みが悪く、子の心拍が弱まっているのだという。自然分娩からの、無痛分娩からの、帝王切開!? こんなのフルコースじゃん……! 慌てて夫を呼ぶと、病院の近くをウロウロとしていたらしく10分で駆けつけた。夫には陣痛中に「助けて!」「死ぬ!」と送りつけていたけれど、もはや無痛分娩下で天国にいる私は「ヨッ!」とニヤニヤと挨拶できる状態になっており、夫は拍子抜けしたようにちょっとだけ笑って、そのあとはそわそわと心もとなさそうだった。この頃には私の邪悪な心もすっかり蘇っており、「あの痛みを、夫にちょっとは見せつけて、感謝されたかったなぁ」などと思っているのだった。
何人かの先生たちが相談する。後ろでは優雅なイルカが電子の海を泳ぎ続ける。私は鼻の頭を掻きつづける。不思議。この時間も、きみは頑張っているのだよね。お産中なんだよね。なんか、実感ないな。この後に及んで実感がないなんて、いつ実感が湧くんだって感じだけどさ。
先生たちは相談をつづけ、最終的に帝王切開にきまった。あっというまに緑のビロビロの帽子を被されて、帝王切開のサインを夫がする。
帝王切開かぁ……。これまで何度も他人の出産ブログを読んで恐れていた「会陰切開」を私はしないのかぁ。鼻からスイカも無し、無痛分娩ならではの「ぬるり」と出てくる奇妙な感覚も無し。人生で一度も手術をしたことがないけれど、一体どんな感じなんだろう。でもさ、プロに腹を切って取り出してもらえるならそれが一番安心(?)だよね、もうこの際、私もさくらももこさんや川上未映子さんのように、手術の瞬間をしっかり覚えていようっと……。などと、この時は帝王切開への恐怖は全くと言っていいほど皆無であった。
《出産編・下》につづく
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

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