
4月から保育園に通い始めた息子の体調不良が止まらない。いわゆる保育園の洗礼というやつ。噂には聞いていたよ。聞いてはいたけどさ……、でも、こんなに体調を崩しまくるなんて聞いてない!
入園したとき生後11ヶ月だった息子は、保育園に通い始めるまでは一度も体調を崩したこともなく、病院に行くのは検診のときだけ。だから、「保育園の洗礼ってやつがあるらしいよ、最初は熱とか出しちゃうかもだね、でもそれで免疫ができるって言うしね、ま、慣れるまでの辛抱だよね、長くても夏くらいまでかな」なんて思っていた。
が、いざ登園生活がはじまると、なんということでしょう! 4月と5月は数えるほどしか園に通えず、10月まで2週に1度は熱を出し、お迎え要請も存分に受け、体調のいい日が続くと「最近どうしたのかしら」と思うくらいに、不調が通常モードとなった。
RSウイルス、手足口病、などなど子を持つまで知らなかった名前もすっかり馴染みのあるものになり、保育園からのお迎え要請というのが「それでね、お母さん。いつ頃、来られます? 息子さん、お母さんが来られるまで、事務室で預かっておきますからね、お仕事のことも理解しておりますが、どうぞ、お早めに……」と、まるで人質に取られるようなジリジリとした気分だということもよくわかった(保育園批判ではなく、こちらの気分の問題です……)。
鼻水と咳は彼の通常モードになって、中耳炎にもなったし、原因不明の高熱もなんども出た。しかも一度熱を出すと一週間以上はだらだらと熱が続くもんだから、もうね、息子がしんどいのは当たり前の当たり前なんだけど、親も、しんどいのよ。夫婦でスケジュール帳を睨みつけながら、「ちょっと締め切りがやばくて……」「いや、おれも……」と相手の腹の中を探り合い、両親の手もフルに借りながら、なんとか時間のやりくりをする。そんでようやく息子の体調が戻ってきた頃には、残念なことに、私たちが風邪をもらってダウンする……。この繰り返し。(ちなみに、なぜか子どもからうつる病気は重症化しやすい。ここ数年風邪なんて引かなかったのに、私も夫も40℃近い熱を出し、病院に行く頻度も増えた……。おそるべし子どもの病気)。
子を産むまでは「体調不良の時には、家で診ながら仕事をすればいいや」なんて思っていたが、いまならわかる。そんなこと、できるわけなかろう。体調不良だからといって、ベイビーズがおとなしく指しゃぶってねんねしているはずもなく、「熱があるくせにむちゃくちゃ元気で騒ぎ立てているので仕事にならない」or「熱のせいで機嫌が悪くなり、その対応に追われるせいで仕事にならない」のどちらかである。病気の時に預かってくれる「病児保育」もあるのだけど、子も体調が悪いと親を求めて泣いたりもするもので、なかなか勇気が出ず、できる限り自分たちでがんばろうねという気持ちになるのも、また予想外だった(もちろん、子どもによると思います)。
10月頭のこと。
息子がついに突発性発疹と呼ばれるものを患った。これも子どもにはよくある病気だと聞いていた。高熱が3日か4日か続いたあと、全身に赤いポツポツが出るというもので、原因というか詳しいことはよくわかっていないらしいが、別名、不機嫌病と呼ばれているそう。で、実際どうだったかって、これが、もう、笑っちゃうくらい不機嫌だった。気をつかったり、取り繕ったり、我慢したりすることを何も知らない純度100%の不機嫌。その威力がね、ものすごかったのよ。
はじまりは鼻水が少し出る程度だった。その後、熱は38℃になり、風邪かなぁすぐ治るといいねぇなんて言っていたら、3日後には40℃の熱が出て、ついにぐったりするように。これまでも40℃の熱は出たことがあったけれど、この時の様子はちょっと違った。とにかく、キレる。キレて、キレて、キレまくる。冷えピタを貼ろうとすると「だ!(怒)」と引っ剥がす。お水いる? と持っていくと「だ!!(怒)」と手で振り払う。ベッドで眠っていても、1時間も経たないうちに起きて「だっ!!!(怒)」とリビングのほうを指差し、「あっちへ連れて行け」と要求する。ので、ソファに移動すると「だ!!!」と寝室を指差す。移動。「だ!!!!!!!!」とソファを指す……。その繰り返し。要求を飲まずに「ここでねんねしてね」と粘ってみると、だ! だ! だ! だ! と連続でキレたあと、泣き散らかして、嘔吐する始末……。かわいそうなので、仕方なく怒られるたびに移動を繰り返した。その時点ですでに「しんど……」と弱音を吐いていた私だけれど、この不機嫌はまだ序章の序章で、やがて、座ることすら許されなくなってしまったのだった……。
ソファと寝室の行き来が、だんだんと短いスパンで要求されるようになり、やがてソファに近づくだけで寝室を指し、寝室に近づくだけでソファを指すので、リビングと寝室をつなぐ狭い廊下を2~3歩うろつくことしかできなくなった。一歩でも多く歩き、彼の見えないレーザートラップに引っかかると、パッと目を覚まして「だ!」と怒られる。きつい。本当にきつい。しかも、このとき私は生理1日目(泣きたい)。腰も背中もただでさえ痛いなか、9キロ以上ある息子を鎮痛剤片手に抱きかかえ、要求が通っている間しか体を休められない息子のために、うろうろし続けた。
熱は、それでもグングン上がる。そのうちに体温計は41℃を指して、私にしがみついて頬をくっつけているその部分が、低温やけどをしそうなくらいに熱くなっていった。
「ね、ねえ、本当に大丈夫なんかな……」
これまでの経験から言って、慌てて病院に行っても解熱剤だけ渡されて「様子を見てね」と帰されるのはわかっていたし、度重なる病院通いで、診察室に入るだけで大泣きしてしまう息子のために、むやみな受診は避けたかった。念のため、区の健康課に電話で相談をしてみたり、小児救急相談である「#8000」に電話をかけてみたりしたけれど、「うん、うん」と聞いてくれた電話越しの女性も「水分を飲めていて、42℃を超えなければ様子を見ていて大丈夫ですよ」と言うのである。
よ、42℃って……。いま41.8℃なんやが……?
一体、その“42℃”とはなんなのだ。42℃になると息子はどうなるのだ。なんだか「42℃」が時限爆弾のように感じられて、30分ごとに体温計で熱を測っては、見たこともないスピードで上がっていく数字を見つめて、息を飲んで過ごした。
薬は拒否。解熱剤の坐薬を使用するも、手足が冷たい間は熱が上がっている途中らしく、全く効果はなし。しかもいつまで経ってもどれだけ温めても、息子の手足は冷たいままで、打つ手無しの八方塞がり!
夜、息子の不機嫌はピークになると同時に、私の腰と背中も限界に……。なんとか夫と協力して乗り越えたいところだけれど、本当に本当に残念なことに、息子は夫が近づくだけで大泣きをしてしまい、頼れない。「お熱、どうかな」と近づくと、泣く。「さえり、大丈夫?」と近づくと、泣く。不機嫌のせいで、ママの抱っこじゃなければ絶対に許さんという、強い決意で、ぐったりと鼻水を出しながら「だ! だ! だ!」と怒る必死の顔。こんなの、私が請け負うしかない……んだけど……、きついよ!
限界の限界までトイレも我慢して、夫に「一瞬お願い!」とバトンタッチを願うと、この世の終わりみたいに泣き続ける息子。空気をビリビリに破るどデカイ泣き声を背に、サッとトイレに入り、用を足し、生理用ナプキンを交換して、トイレのドアを出て、小走りでギャン泣きの現場に戻る私は、もはや弾の補充をして戦いに戻る戦闘員。本当に……、私……、よくやってるよ……。いや、一番頑張ってるのは息子だよ、息子なんだけどさ……。
夜が深まっても、息子の熱は下がらなかった。
夫は起きていてもできることがないので、寝てて良いよ私がやるよ、朝代わってもらって寝るわ、いいよいいよ寝とき、と、夫に言った。たしかに言った。けれど、廊下の狭いスペースをうろうろしながら、立ったまま鎮痛剤を流し込んだ瞬間に、ぐうぐうごごごとイビキが聞こえてくると、羨ましさで泣きたくなってしまうのもまた事実。もう、全部、忘れたい。この体の痛みも、腰の痛みも、背中の痛みも、肩の痛みも、生理痛も、夫への羨ましさも、この世の不条理も、ついでに産後増えたシワのことも、あと積み上がっていく仕事も、すべて、すべてを忘れたい。それで、オルゴールに合わせて、鼻歌を歌っていると、息子が腕の中でごそごそと動き出し、言うのだった……。「だ!!!!」。
歌は無し。移動も無し。夫の助けも無し。
静寂の地獄の廊下で、レーザートラップを出ないように足踏みをしながら、瞑想した。なにもかもが無になるように、祈りながら。
1時。息子はやっと落ち着いて、涙の筋を残したまま眠りはじめた。
部屋に落ちてくる月明かりのなかで、右へ、左へ、右へ、左へ、動き続けて目をつぶっていると、三日間お風呂に入れていない息子の匂いが立ち上ってくる。ふしぎ。いっぱい汗をかいているはずなのに、ちっとも臭くない。やさしくて、まあるい、甘い匂い。私にだきついて、まつげにちいさな涙の粒を二つくっつけた、人間未満の妖精みたいな生き物。その彼が、安心のため息をついて、小さな寝息をあげはじめると、これまたふしぎなことなのだけど、小さい頃に母に抱っこされていたときのあの安心感が蘇ってくるのだった。息子を抱いているのは私なのに、母に抱かれているときの、やさしい感覚に包まれていく。
あのころ、なんにも気づかなかった。母は、無敵だと思っていた。大きな木に寄りかかるみたいに、母に抱きついて、母の鼓動をきいていた。いまの息子と同じように。
無敵だと思っていた母も、いまの私と同じだったんだろうか? 背中が痛くて、腰も痛くて、肩も痛くて、ついでに生理中で、それでも子どもが心配で、できることを最大限にしたいと頑張って。検索をしたり、いろんなところに電話をしたり、何度も何度も狂ったように体温を測ったりして、眉をハの字にさせながら、腰の痛みを忘れるように努めながら、愛だけで立ち続けて夜を越えていったんだろうか。同じように、私を愛した? それと同時に、同じように、疲れていた?
息子の熱すぎるおでこを撫で、ぐしゃぐしゃになった前髪を指でかき分けてあげると、母がよく私の前髪を指でかき分け、髪を耳にかけていたひんやりとした指先と重なった。彼を腕の力でぎゅっと持ち上げて「だいすきよ」とささやくと、ちいさな手が、私のパジャマをキュッと掴み直す。その体をぎゅっと抱いて、息子と、私と、母は、共に夜を越えて行ったのだった。
結局、熱が下がって、ぶつぶつが消えるまでたっぷり一週間かかった。
その間ずっと不機嫌は続き、夜は深夜まで文句を言い、朝と昼はすこし床におろすだけで泣いた。好きな音楽をかけても、息子はなんだかずっと悔しそうな顔をしていたし、起きている間はずっと抱っこで、眠っているときも私と手をつなぎたがった。トイレにも行きたいのに、離れるとすぐに目を覚まし、「だだ」と私を呼ぶ。
どろりと溶ける時間に飲み込まれ、いまが何時で、なにがなんだかわからないまま、やっと明けた朝。歌に合わせて踊る息子が戻ってきて、憑き物が取れたとしか形容できない息子のご機嫌ぷりに、私はちょっとだけ泣いてしまったのだった(この二週間後に、また40度の熱を出すことになると私は知らなかった)。
本当に嵐のようだった……。
これが、「よくある病気」なのだから、もう育児には慄くしかない。そして、この育児とやらを越えてきた、両親をはじめとした多くの親たちには尊敬しかない。まだまだこの先も息子には憑き物が憑いたとしか思えない不機嫌の夜がやってくるんだろう。あと何回、お迎え要請を受けるんだろう。あと何回熱を出せば、彼に「免疫」とやらがつくんだろう。それを思うたび、ちょっと途方もない気持ちになる。
本当に、子どもという生き物が、熱を出しやすいのはよくわかった。そういう時に、ママじゃなければダメという状況になりやすいことも、よくわかった。だったら、ママは。ママは、ゴリラになりたい。息子を無限に抱っこできる、ゴリラになりたい。きみが寝たあと、朝まで仕事をしても平気なゴリラになりたい。きみの体のなかで免疫が構築されているのと同じように、母も徐々にゴリラになるべきである。産後何度も願った「ゴリラ化希望」を、またも本気で願った10月だった。