
先日、秋の花火大会に行ってきた。息子はよく話すようになり、ゆっくりゆっくり、ちいさな頭で文法を確認しながら「でんしゃ、きたね。でんしゃ、なにいろかなぁ。いま、まだ、見えないけど、ここに、ここまできたら、わかるでしょ。だから、もうちょっと、待ってね」など、たどたどしく頼りない話しぶりからは想像もできないくらいおどろくほど長い文章を話してみせて、私たちはそのたびに目をまんまるにしては、彼の成長に驚いている。
疲れて、お風呂は翌朝に回して寝てしまおうとしている夫に「パパ、おふろはいってないの? ○○(名前)はいつも、寝る前に入ってるけど……」と厳しく突っ込んでみせたり、「ママお仕事するね」と言ったもののやる気が出ずにゴロゴロしているところを見にきては「ママ、お仕事、まだあんまりしてないみたいね……」と遠回しに指摘してきたりと、私たちを笑わせつづけている。
まいにちまいにち、新しく話せることが増え、私たちは飽きずにまいにちまいにち仰天しては共有し、あっというまに息子は2歳半になった。
で、それほどまでに、いろんなことがよくわかるようになってきた息子に、なんとか花火大会へ連れて行きたい! きっと喜んでくれるはず! と思い立ったのだけど、まあなんせ計画性のない夫婦なので、思いついたのが花火大会の当日。しかも打ち上げ開始の、たった1時間前なのであった。我ながら、げっそりスケジュール。ママたち、ちょっと、計画性が、ないみたいね……。
花火大会といえば。
行きも帰りも激混みで、たった10分の駅までの道のりを歩くのに2時間もかかることもあるらしい。秋の花火大会は冷えも気になるので荷物の準備が必要だし、前もって場所取りに向かい、荷物を山ほど持って、計画的に出発するのが決まり(?)であるのに、なんとまあ私たちの無謀なことよ。
けれども思い立ってしまったらもう、「息子が喜んでくれるのでは!?」と浮足立つ気持ちを抑えられなかった私。これまでも息子は、遠目に花火を見たことは何度もあって、一度だけとても近くで大きな花火を見たこともある。そのたび「花火、すごかったね」と言っていたから、きっとはじめての花火大会は煌めく目で喜んでくれるだろうーー。
電車で向かえば10分くらいだけども、夜の混雑を考えると電車は無謀。となれば、残る手段は自転車だけど……、片道およそ20-30分はかかりそうなこと(厳しい)、そして混雑や、交通規制による迂回や、自転車を停められるエリアまで離れてからの移動時間を想定するとおそらく40分くらい……。開始時刻までに間に合うのか?(やばそう)っていうか、そもそも私たちの体力的にもそんなに自転車をこげるのか?(無理かも)、あとは混雑の中、自転車で帰れるのか?(ほんとに) と不安だらけで、現実的な夫は何度も「行けるんかな」「無理ちゃうかな」と中止を勧めていたけれど、息子に「花火、見に行きたい?」と聞くと「ハナビィ!? イキタイ!!!」と目を見開いて大喜びして、両手を高く掲げて「ヤッター!」と言ったので、だってほら、こう言ってまっせ、という顔つきさえしてしまえば、一瞬で夫の制止の意欲も塵となり。夫と私たちは目を見合わせ「そんなら行こか」と内心ヒヤヒヤしながら、打ち上げ開始45分前に自転車にまたがって出発したのだった。
親になってから、何度も「無理ちゃう?」の気持ちを見ないふりして、息子が喜びそうなことを優先してきた。自分の疲れや、体力、眠気、空腹は後の後の後の後の後回し。生まれたての頃から、どれだけ腱鞘炎寸前でも抱っこし続けたり、抱っこ紐でがんばって遠出したり、1歳も過ぎても抱っこ紐で昼寝をさせたり、腰が崩壊しそうになりながらも「やだ、歩かない。抱っこ」に応じたり、電車ですぐの場所なのにバスに乗りたい息子を抱えて歩いたり、痺れる腕を無視してエレクトリカルパレードを見せ続けたり。「無理ちゃう」が頭に浮かんでも、それよりも強く、喜ぶかな、嬉しいかな、こうしてみようかな、見せたいな、のその気持ちだけで頑張れてしまう。
途中で気づいたのだけど、これは自己犠牲ではなくって、「子どものため」でもなくって、「無償の愛」とかでもなくって、なによりも、そうすることで自分が満たされるからなのだった。とはいえ。40分もかかる旅路に向けて自転車にまたがるなんて、かつての私たちじゃ考えられないくらいタフになったものである。
夫の先導する自転車について行き、15分ほどすると息子も「どこまでいくの?」と心配そうにし始める。「花火を見にいくんだよ。でも、まだまだ遠いからね。がんばってくれる?」と話すと「ウン」と答えたあと、ぱたっと静かになり、ぐにゃんぐにゃんになって眠ってしまった。
「あと何分?」
「あと10分」
「やばい! 間に合う?」
寒空のした、前を走る夫に大きな声で話しかけながら、電動自転車を漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。大型トラックの横を駆け抜け、走ったこともない道を通り、たくさんの交通規制を迂回しながら、眠った息子を乗せて、自転車は走る。薄着の私たちに反して、息子には厚着をさせ、毛布で包み、ぐらんぐらん頭をゆらしてはチャイルドシートの手すりや縁に頭を打ちそうになる息子を片手でガードしながら漕ぎ続ける。息子が被っているピンクの丸いヘルメットを見つめながら、私たちがいかに、きみを好きなのか、わかるかい、と何度も思った。きみは、寝ているうちに着くけどね、その間、母ちゃんたちは必死だったんだよ。きっと、私もそうだったんだろうけどね。
さあ。到着まで、残り5分。打ち上げまで、同じくあと5分。
なんとか間に合え! と漕ぎつづけていると、なんとまあ、大粒の雨がぽつん! ぽつん!
「まじ? ここまで来たのに、雨?」
「まさかのそのパターン?」
「降ったらやばい」
「息子は風邪気味でもあるし、濡れたら終わりだ……」
夫と苦笑いをしながら、一度たちどまり、スマホで雨雲レーダーを開いてみると……。なんとか、行けそう。だとすれば、さらに急がなくちゃ! 道のりは過酷、タイムリミットも近く、雨の危機さえある。
困難は山ほどあって、それをくぐり抜け、やっとやっとやっと花火大会会場へたどり着いたときは、打ち上げまであと2分。夫は大急ぎでコンビニで買い出しへ。飲み物やお菓子、食べ物などを買っている夫を待っている間に、最初の花火があがった。
ドーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!
苦労の甲斐あって、花火はもう目の前。大きな大きな花火がすぐ近くであがって、赤い花が厚い雲を上塗りするように咲いた。
「すっご~い! きれいだね! 見て~!!!」
頑張った甲斐あったね、こんな近くで見れる穴場の場所まで来れたね、よかったよかった、息子の煌めく目を見られるわ、と息子を見つめると、彼は一言、こうつぶやくではないか。
「イヤダ」
!?!?
ちょい待てい、あんちゃんよ。見たい言うてたやないかい。必死に彼をなだめて、「見て、綺麗だよ。あおいね。大きいね。見たがっていた花火だよ。すごいねすごいね。びっくりするけど、こんなに近くで見られることなんてなかなかないよ」と話しかけるも、私にぎゅっと抱きついたまま「イヤナノ。コワイノ」と言う息子。コンビニから、山ほど買い物をした夫が出てきて、両手にビニールを下げて「オッ、きれいだね~! いい場所だね~」と呑気に言って、もう少し近くまで行ってみようよ、と、座れそうな場所まで歩き出すも「イヤナノ……」とつぶやきつづけた息子は、花火が少し終わるたびに「オワッタ?」と何度も聞く。
結局、その後10発ほどで「イヤ!! イヤ!!! エーーーーン」と泣き始めてしまい、花火から必死に目をそらす息子をいちばんに考えて「ちょっと離れよっか」という決断に。よく見える場所から少し歩き、花火が建物で隠れるベンチに座って「ここで好きなおやつでも食べようよ」と話すも、ドーン! と花火の音が鳴り響くたび「オトガコワイ……」と泣き出してしまう。
「だめだ。もう退散するしかない」
そうして私も夫も、到着後に一度も座ることなく、自転車の場所まで戻り、泣く息子をなだめながら、自転車のペダルを再び踏みこむ……。いや、まあね、見せたいっていうのは親の思い込みとエゴなので、きみにとって嬉しくないならもちろん離れるよ、うんうん、結局ね、連れてきただけで私が満たされているわけだしね、うん、オッケーオッケー離れるけどね、片道40分だったんだよ、あのさ、えっと、このあとも、40分?
離れることが決まって安心したのか、自転車に乗せられた息子は泣き止んで、大好物のレーズンを貪り食べながら「花火怖かったから……、ここでレーズン食べてるのよ……」と鼻水を垂らしながらムシャムシャムシャムシャ。横目で恨めしそうに花火を睨んでいる。
私と夫は、もう大笑いしながら、「花火見に来たのに!」「40分かけてきたのにね!」と2人で苦労をねぎらいつつ、建物の間から見える大きな花火を見つけるたび「すごい! 綺麗! もっと見たかった!」とゲラゲラ笑う。恨めしそうなハナタレ息子を連れて、花火会場から逃げていく3人家族。「パパとママと、みんなで一緒に、花火から逃げてるね」と息子は嬉しそうに話すけれど、ちがうんだよ、パパとママはきみと花火を見に来たんだよ。逃げるためにわざわざ40分自転車を漕いだわけじゃないんだよ。
花火を見に来たのに、嫌がって見なかった。ずっと乗るのを楽しみにしていた新幹線に乗る直前で、寝てしまった。念願のイッツアスモールワールドのアトラクションは、乗ったらすぐに寝て、昼寝タイムになった。食べると言ったから作った野菜スムージーは、私が全部飲んだ。喜ぶと思って時間をかけて作ったプリンは一口も食べなかった。奮発して買ったオモチャは秒で「要らない」と拒否された。えんやこらせっせと作ったものも「怖い」と見向きもされなかった。ウキウキで買ったちょっと高い服も「いやだ」とすぐに脱いでしまった。たくさん揃えたかわいい服ではなくて、お古でもらった変な柄の服ばかりを気に入って着ている。
たぶん、こんなのって、どこの家でもあることで、ただの「あるある」に過ぎない。だけども、私はこんな肩透かしや想定外を食らうたび、きみがいかに、私たちとは別人であるかを思い知らされる。私のお腹から生まれても、当然、私たちの想像通りになんてならなくて、掴めた! と思ったきみの好みも一瞬で移ろって、私たちを置いてけぼりにして、きみは世界に堂々と君臨している。自分らしさを、いちばんに体現して、空気なんて読まずに、自分の思うままに。その姿が、ちょっと眩しくて、私たち親はその眩しさにひれ伏して、いつのまにか「想定外」に慣れっこになっている。
結婚するまでは、「想定外」はずっと怖かった。というか、高校を卒業して親元を離れるころから、進路を自分で決めて、やりたいことを学び、バイトを決め、就職先を決め、キャリアを考え、恋人とのあれこれを自分で考え、とにかく「自分の手で、自分の人生をしっかり計画して、つくっていくこと」が求められていたし、想定をせよ、未来を思い描き、キャリアを計画し、着実に計画的に進もうと、謳われていた気がする。
なのに、いまや想定外が、想定内になって、子どもがいつ体調を崩すかわからないから、仕事のスケジュールは前倒しで取り組むようになったし、予定地には前倒しの時間で出発するようになった。荷物は想定外に備えてたくさん持つようになって、花火を嫌がって帰ることになっても、大笑いできる。
生きる力がついてきた、と、最近思う。子どもに鍛えられ、想定外をあるがままに受け入れて、逞しくなった。親になった人たちが、どこか達観したようなおおらかさをもっているように見えるのは、あらゆる「まじか!?」を乗り越えてきたからだろう、と思う。育児以外にも修羅はたくさんあるのだけど、思い通りにならない生き物を守り続けている修羅道の戦士からしか出ない独特の雰囲気をまとっているのも、確かだと思う。
生まれて来たときも。妊娠も。思えば想定外ばかりだった。きみはいつも、私たちを超えていく。簡単に超えて、思い通りになんてならないぞと言っている気さえする。いいぞ、きみたち、私たちをもっと振り回して、そして一緒に育っていこう。
結局、花火大会は蜻蛉帰り。
帰りに寄った、食事ができる店も予約で満席。次に向かった店さえも、長時間待つ羽目になって、親はヘトヘト。けれど、「きっと、お腹が空いて不機嫌になってしまうだろう」と思っていた想定もするりと抜けて、息子は最後までご機嫌だった。食事が運ばれてくるまでに時間がかかっても、寝る時間が少し遅くなっても、冷え込む帰り道の時間も、予想に反して、ずっとうれしそうだった。寝る前も何度も何度も「花火から逃げたね」「怖くてレーズン食べたね」ってうれしそうで、これもまあ、想定外なのだった。これもまた、きみがもたらす、飴と鞭だね。
しかしまあ、2日経っても疲れが抜けないよ。もしかして、運動不足の父ちゃん母ちゃんの筋トレを手伝ってくれたってこと? きみってまったく、とんでもない親孝行ものだね。まだまだ私たちを鍛えてください。
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

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