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本屋の時間

2022.01.15 更新 ツイート

第126回

あり得たかもしれない人生 辻山良雄

先日、東京の街には数年ぶりに雪が積もった。わたしは瀬戸内海の端っこにある神戸で生まれ育ったから、子どものころから雪にはなじみがない。しかし、もし女の子として生まれてきたなら、父はわたしに「雪」という名前を付けたがっていたと幾度か母から聞かされたことがあったので、雪の存在にはどこかなつかしさも感じてきた。

 

父が、そんな北国生まれの子どもに付けるような名前を思いついたのは、子どもの生まれてくる季節が冬だったことに加え、彼の雪国に対する淡い憧憬があったからのように思う。

わたしの父は、神戸以外の土地で暮らしたことのない〈ぼんぼん〉だった。彼は真珠の卸売の仕事をしていたが、真珠の珠をネックレスやブローチに加工し、小売店に卸す以外にも、年に数回ほど地方都市にある地場の百貨店に赴き、自ら作った製品の行商を行っていた。

お父さんどこに行ったのとでも尋ねたのだろう。高崎や宇都宮といった地名も、そうした母との会話から覚えた名前だったが、中でも年に一度は出張していた「十日町」という地名には、子ども心にもある特別な響きがあって、郷愁に似た心情を掻き立てられた。

「雪が二階の窓まで積もっとるんや」

めったに仕事の話をしない父がうれしそうに話した北国の街は、温暖な神戸から見るととても地続きにある街とは思えず、聞くだけでも気が遠くなった。

 

後年、大学で知り合った友人がその十日町の出身だったので、冬休みを利用して彼の実家に遊びに出かけた。十日町は東京から行くと案外近く、確かに実在する街だった。在来線を乗り継ぎ、川端康成の『雪国』でおなじみ、国境の長いトンネルを抜けるとそこはほんとうに一面の雪景色で、どこまでも白が続く景色の明るさに息をのんだ。

友人の家は「豪商」という言葉が似合う重厚な造りで、昼間はスキーをして温泉に立ち寄り、夜は家族の人みんなと鍋を囲んで、当主である友人の父自ら地元の日本酒をふるまってくれた。

「この家は底冷えするから、暖かくして寝たほうがいいね」

見れば部屋の片隅には、毛布が山のように積み重ねられている。酒好きだった父がほだされたのは、案外雪国の人がもつ、こうした細やかな心づかいだったのかもしれない。

撮影:古書玉椿

雪がしんしんと降り、あたりの物音がボリュームを絞ったように静まりかえる光景を見れば、人は誰でも童心にかえるのだろう。この度の雪でも、店の中でたまたま居合わせた出版社に勤めるSさんが、「ここから見ると、雪がまるで映画のワンシーンのようですね」と、窓の外に降る雪を普段は見せない素朴な表情で眺めていた。

しかし雪が降り積もる光景をずっと見ているうち、はたしてこの雪はいつ止むのか、最初はしゃいでいた気持ちは急にしぼみはじめ、現実がだんだんと背筋を冷たくする。「シャイニング」や「ファーゴ」といった映画の影響か、雪にはどうも人の平常心を狂わせる力があるように思えてならない。その中に閉じ込められた時のことを想像するだけでとても普通ではいられなくなり、途端に胸が苦しくなる。

今回の東京の雪は、都心では一部路面が凍りついている箇所があったが、翌日にはあらかた溶けてしまった。こわごわ歩いて出勤する途中、この交差点危ないなと思った場所で前から走ってきたバイクが盛大に転び、その一部始終がスローモーションで起こった出来事のように、目のまえをゆっくりと流れていった——

 

わたしはどうやら「雪」としての人生は歩めないのだろう。そのことを考えれば、残念でならない。

 

今回のおすすめ本

『読書会の教室』竹田信哉+田中佳祐 晶文社

本はみんなで読むと、さらに楽しくなる。最近増えてきた「読書会」に関し、参加のしかた、開きかた、考えられることを詳細に書いたガイドブック。新たな世界が開かれる。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。
 

◯2023年3月2日(木)~ 2023年3月16日(木)Title2階ギャラリー・1階店舗

『聴こえる、と風はいう – I Hear, Says the Wind』
エレナ・トゥタッチコワ刊行記念展

歩く、触れる、見る、描く、捏ねる、書く、聴く、拾う……エレナ・トゥタッチコワの日々は、そのまま「表現」となります。新刊『聴こえる、と風はいう』に掲載の多層的な世界と、同じタイトルの映像作品で彼女の近年の制作プロセスを辿る記念展。1階店舗はドローイングや陶板を中心としたセラミック作品を展示し、2階ギャラリーでは映像作品(18分)を上映します。
 

◯2023年3月18日(土)~ 2023年4月3日(月)Title2階ギャラリー

荒井良二(絵)、マヒトゥ・ザ・ピーポー(文)
『みんなたいぽ』原画展

ロックバンドGEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーと、国内外で注目を集め続ける絵本作家、荒井良二による、初のコラボレーション絵本『みんなたいぽ』(ミシマ社)。本作最初の原画展をTitleで開催いたします。カラフルで躍動感あふれる原画の数々を、ぜひご覧ください。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>好評連載中!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2023年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にて先頃スタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が好評連載中。(連載は不定期。大体毎月、たまにひと月あいだが空きます)。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューする旅の記録。

 

◯【書評】
[New!!]
北海道新聞 2023.3.12
幅允孝『差し出し方の教室』(弘文堂)
評:辻山良雄――人の心満たすサービスとは

好書好日
東畑開人「聞く技術 聞いてもらう技術」(ちくま新書)
評:辻山良雄――〈ふつう〉の行為に宿る知恵

 

◯【インタビュー】
[New!!]
書店×フヅクエ「本の読める日」2023/2/15
本屋Titleインタビュー
「自分が楽しいって思うようなことを仕事にしてシステム化することで、続いていく」


兼業生活「どうしたら、自分のままでいられるか」~辻山良雄さんのお話(1)室谷明津子 2022/8/5(全4回)

 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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