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夜。寝かしつける直前の授乳中のこと。最近、大きな声を出すようになった息子が、うんうんと唸り声をあげながら母乳を飲んでいる。んんんー。ゔゔゔ―ん。ゔゔぇええ。ちょ、ちょっと、そんなに声をあげながら飲まなくても……。もちろん本人は必死なようで、喉を震わせるような声を出しながら、ごくっ、ごくっ、と喉を鳴らしつづける。この母乳を飲む音。これが聞こえるとき、本当に不思議な気持ちになる。彼が、いままさに飲んでいるこの液体は、私の体でつくられているんだよなぁ……。不思議というか、奇妙というか、ちょっと不気味というか……と、考え事をしていると、息子が大きすぎる声で突然こう叫んだのだった。

 

「ゔんめえー!!!!」

うそじゃない。本当にそう言った。そのあとで、もう一度ごきゅっごきゅっと喉を鳴らしたあと、満足したようで勢いよくプハッと言わせながら口を離して(酒でも飲んでいるのか……?)、締めくくるように「うンまいなぁ」と言った。突然の母乳への感想。私は笑いが止まらず、けれどせっかくウトウトしはじめた彼を起こしてしまわないように、唇をへの字に結んで笑いを閉じ込めて過ごしたのだった。

子が産まれて4ヶ月。我が家は、夫に預けるときにミルクを飲ませるくらいで、あとは母乳で育てている。……のだけれど、このスタイルになるまでの道のりは、予想外の連続であった。母乳がこんなにも私を悩ませるものだと、出産前は知りもしなかった。作家の川上未映子さんもエッセイ『きみは、あかちゃん』(文藝春秋)で、「即身仏ならぬ、即身乳。そう、ただ乳として存在する」と書いているとおり、息子を産んでからというもの私は乳に翻弄されまくることになった。乳次第のスケジュール、乳のために起き、乳のために寝て、乳に泣き、乳に喜ぶ。もはや乳の支配下での育児……。

きみは赤ちゃん (文春文庫)

今でこそいわゆる“ほぼ完母(かんぼ)”だけど、妊娠中は自分から母乳が出るなんて、正直思えなかった。だって自分の乳首から、液体なんか出たことがないんだもの……(なんかこうやって書くと生々しいけれど、事実なんだよなぁ……)。

もし「明日からあなたの肩の先から母乳が出ますよ。赤ちゃんに吸わせてください」と言われたら「え……うそ……本当にここから……?」とまじまじ肩を見つめてしまうだろうけど、まあ同じような気持ちで自分の乳首を見つめて「うそでしょ……?」と思いながら過ごしてきたのだ。妊娠後期になってお腹が大きくなっても「いや、ほんとに出る??」の気持ちはぬぐえず、姉にも相談したけれど「わかる、でも出るよ」と言うから信じ込んでいた私。

でも、これがまあ、なかなか出なかったのである。

息子は緊急帝王切開で生まれ、しかも肺に穴が空いていたのですぐに別の大きな病院に搬送されてしまったこともあって、出産後になかなか思うように授乳ができなかったことが多いに関係していたと思う。母乳は、赤ちゃんと一緒に胎盤(赤ちゃんとお腹をつなぐ組織)がお腹の外に出るのをきっかけにして生成されるが、さらに赤ちゃんに吸ってもらうことで体が「必要ならまだまだ作りますよ」と信号を送る仕組みになっているらしく、飲んでもらえないことにはなかなか母乳の量は増えていかないのだ。

「赤ちゃんはここにはいないけど、ちゃんと3時間おきに搾乳してくださいね。母乳量を軌道に乗せなきゃいけないから。で、出るようになったら赤ちゃんのところに母乳を持っていけますからね」と助産師さんは言って、最後に脅しのように「初乳って、ほんと~に大事だから!」と言う。

初乳っていうのは、出産後すぐから3~5日の間だけ出る黄色っぽいどろっとした母乳のこと。免疫物質などが豊富に含まれている、とにかく重要なものらしい。もともと別に「母乳だけで育てたい」という希望もなかったけれど、悲しいかな“期間限定”みたいな言い方をされると、ちょっとだけムキになってしまう節もあり……。

初乳がそんなに貴重なら、頑張って飲んでもらおうかしら、と、きちんと3時間おきに起きて搾乳した(ちなみにこれは望むと望まざるとにかかわらず全員がやらなくてはいけないこと。なんだけど、これがキツイ。切腹翌日から3時間おきに起きて、30分以上かけて指を痛めながら出ない乳を絞り、ナースステーションまで自分で持っていかなければならないのだ……)。
でも、にじむ程度で、なかなか出ない。

出ないだけじゃなくて、授乳のために乳首を咥えさせるのも想像の何倍も難しかった。

授乳といえば、赤ちゃんと母親がまあるいシルエットで幸せそうに微笑む姿ばかりを思い浮かべるけど、実際はそう簡単にはいかないのだ。出産4日後にNICUに面会に行き、はじめての授乳をしたけれど、そもそもあんなに小さくてぐにゃぐにゃな生き物の口を、小さな乳首にピンポイントで引き寄せるのが難しい。さらに、息子はみぎへひだりへと「おい、おっぱいはどこだ」と目をつぶったまま口をウロウロとさせる。その予測不能な動きに合わせてこっちも「ここだよここだよ」と必死で近づけようとするも、なんだかイライラ棒のような、針に糸を通すときのような、もどかしさ……。しかも、そうこうしているうちに、息子は疲れて眠ってしまうのだった。

母乳が出ないのはまだしも、咥えさせるだけでこんなに大変なんて知らなかった。あの授乳の幸せそうな姿は、あれは玄人の母親&赤ちゃんの姿だったのか……。

しかも、しかも。

乳腺が開通しないうちは、母乳が作られても出ていく穴がないので、おっぱいにどんどん母乳が溜まっていく。母乳は血液から作られているから、乳房にどんどんどんどん血液が集まって、でも出口がなくて滞るのだ。そうすると、どうなるかって?

おっぱいが四角くなるのである。

カンッカンに張って、石のようにガッチガチ。ジンジンズキンズキンと鬱血したときの痛みが両おっぱいに広がって、何かが触れるのも横になるのも痛くてたまらない。保冷剤をもらって、眠るときも起きているときも、ず~~とおっぱいに当てて、それでも熱されたフライパンのように保冷剤が一瞬で溶けてしまうほどにアッチアチ。出産後の傷の痛みは灼けるようだし、足のむくみは象のよう。さらに子がここにいないことも、夫に会えない(子の面会に行ってくれていた)ことも、さみしくてさみしくて泣きそうだというのに、そこに追い打ちをかける四角いおっぱいの痛み……。

シャワーを浴びた後。部屋にあった全身鏡に、おそるおそるその全貌を映してみた。蜘蛛の巣みたいに青い血管がピキピキと張り巡らされた私のおっぱいは、触る前からジンと痛む。見つめる私の足の甲に、水が、ぽた、ぽた、と落ちた。え、身体は拭いたはずなのに……。拭きそびれた箇所を探そうときょろきょろして、気づいた。滴っているのは、私の母乳だった。ぽたん、ぽたん。触っていないのに、乳首の先から落ちる母乳。嘘でしょ、と角度を変えると、ぱた、ぱた、と床を叩く音に変わった。

かなしかった。

こんな、四角いおっぱいで。こんな、血管はグロテスクだし。こんな、牛みたいにぽたぽた垂れて。初乳なのに、息子はここにいなくて。搾乳はうまくいかない、授乳もできない、傷は痛い、さみしい、痛い、痛い、痛いよ。自覚した途端、涙がとまらなくなって、泣いた。おっぱいも一緒に、泣いていた。ぱたぱたぱた、と涙と母乳が一緒に落ちていく音がした。

とにかく、この痛みから解放されるには乳腺を開通させるしかないからと、その後も、とにかく絞る・絞る・絞るを繰り返したけれど、この「絞る」という作業もまた、自分の胸がかつてのように“体の一部”ではなくて、赤子の生命維持装置となったのだ、という実感をめきめき湧かせて、それもなんだか切なくなってくるのだった。

それでも真夜中も絞った。ちいさな電気だけをつけて、半裸状態で「出ろ、出ろ」とほとんど泣きながら。不意に窓の外を見ると、少し奥まった場所に男の人が立っていた。たばこを吸いながら、みていないふりをしながら、こちらをみていた。あのひと、私が、泣きながらおっぱいを絞るのを、みている。そう思うと無性に腹が立った。恥ずかしかったからではない。彼もかつては母親から初めておっぱいを与えられた瞬間があったはずで、そのとき、母親は胸が変化するその瞬間を切なく受け止めながらも幸福で打ち消して立ち向かっていたかもしれず、けれどそれを知りもしないで、一人の女がおっぱいを絞る様子をみていることに、腹が立った。カーテンは閉めなかった。みとけよ、と思ったからだ。

みとけ、一人の女が、女から母になる戸惑いを、みておけよ。

そのまま、ぜんぜん軌道に乗らないまま迎えた退院日。その後も、授乳はなかなかうまく進まなかった。必死でおっぱいを探す息子。吸っても出なくて、眉毛がハの字になって泣き始めてしまう息子。お願いだから飲んで、お願いだから……、と泣きそうになりながらつぶやく夜……。

もう、ミルクにしてしまえばいいのではないか? なんどもなんどもそう思った。友人たちは「母乳のほうが楽だよ! 眠い夜中に起き上がってキッチンにいかなくてもいいんだよ!」と言うし、「夜泣きしても添い乳(添い寝をしながらおっぱいをあげること)でいいんだからめっちゃ楽だよ」と言った。

でも、本当にそうだろうか?

本当に楽なのは、朝も昼も夜も、四六時中、赤ちゃんのミルクを夫が作ってあげてくれるスタイルではないか? もしもそれが可能なら、「おっぱいの方が楽だ」なんて言うはずがない。だって、いくらキッチンに行かなくてよくても、授乳のために起きなくてはいけないし、授乳は体力をものすごく消費する(血液を抜かれていると想像してほしい)。ただでさえこちらは出産後のダメージを食らっているのに、授乳によって寝不足でヘロヘロになる。それなのに、「おっぱいの方が楽」と当たり前のように友人たちが言うのは、やっぱり子の生命維持を当たり前のように母親が担っているから(夫が仕事であったり……)なんだろう。そう思うと、なんとなく悶々とする。なぜ、母親ばかり、大変なんだろう。

どうしよう。ミルクにする? それとも母乳でいく?

悩んで、悩んで、どうしよう、どうしよう、と思っているうちに、1ヶ月が経ち、2ヶ月が経ち、やがて飲むほうも飲まれるほうも板についてきて、いまではお互いに目をつぶったままでも授乳ができるようになったのだった。真夜中、眠たい目をこすりながらベッドの上に座り、息子を横抱きにしてまあるく抱く。あの、いつかみたことがある授乳玄人の母親にいつの間にか私もなっている。

いまでも、どちらが良かったのかはわからない。ミルクをあげていたころは夫も夜中に起きてくれていたけれど、母乳で済むようになってからは、夫は起きる必要がなくなって、私だけが起きる。やっぱりおっぱいは、ぜんぜん楽ではないな、と思う。でも、ごきゅ、ごきゅ、と息子が喉を鳴らすとき、満足そうなため息を吐いて安心して眠るとき、私は確実に満たされていくのだった。苦労したこともぜんぶどうでもよくなって、むしろ私と息子にだけ与えられた、あたたかな幸福の時間のように思えてくるのだ。

どれだけ眠い夜も、あげつづけた。

深夜のベッドで、こっくりこっくり。明け方のベッドで、こっくりこっくり。眠気で首が垂れて、たまごの殻みたいにちいさくなったまま、息子を落ち着かせようと右へ左へとゆらゆら揺れる。息子を包んで、船を漕ぐ。夜の深い海の中を、静かに静かに、包んで進む。いつか向こう岸について、おっぱいを必要としなくなるまでは、私があなたを運んでいこうね。

んぎゅっ、ごきゅっ、ごきゅっ。

「ゔんめぇ!!!」

息子が叫んだ。叫んで、また大きな口をぱくっと開けて、勢いよく吸いついて、続きを飲んだ。そんなにおっぱいが、うまいかい。「んまい」。よかったよ。「んまいな」。ありがとう。

もう四角くないおっぱい。母乳がつくられすぎて、お風呂上がりにはよくぽたぽたと母乳が垂れるけど、もう泣いているようには見えないおっぱい。飲んでくれて、ありがとう。そばにいてくれて、ありがとう。

彼が唇をプハッと離す。やけに勢いのある、いい飲みっぷり。その吐息を身体で受け止めて、ちょこっと笑いながら、わずかに涙が滲んだのだった。

関連書籍

夏生さえり『揺れる心の真ん中で』

不安な夜も、孤独な朝も。 愛を信じられるようになりたい――。 【“あの日”の自分を思い出して涙が止まらない(28歳女性)】 【最後の言葉に救われました(19歳女性)】 SNSフォロワー22万人超! 恋愛ツイート等で若い女性たちの共感を集める 夏生さえりさん、2年ぶり待望のエッセイ集! WEBマガジン「幻冬舎plus」大人気連載書籍化。

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夏生さえり

山口県生まれ。フリーライター。大学卒業後、出版社に入社。その後はWeb編集者として勤務し、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計15万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)がある。Twitter @N908Sa

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