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本屋の時間

2021.07.15 公開 ポスト

第114回

忘れられないひと辻山良雄

店を続けているあいだには、一瞬すれ違っただけなのだが鮮やかな印象を残す人もいて、先日急逝した女優のLさんは、わたしにとってそんな方だった。

 

最初にその姿を見かけたのは、店の前の青梅街道か、それとも隣のセブンイレブンだっただろうか。当時彼女はセブンイレブンでよく煙草を買っていた。目の前の客が誰かもよくわかっていない、若い店員を相手に買いものをすませると、まだ無料であったビニール袋を片手に、一点を見つめ悠々と歩いて出ていく姿をたまに見かけた。

「今日、Lさんいらっしゃったよ」

彼女を見かけたときには、妻もわたしもなんとなく、お互い報告するようになっていたのだが、ある日のこと、気がついたら目のまえに当の女性が立っていたので驚いた。その時も手にはセブンのビニール袋をぶら下げ、だらりとしたTシャツに足元はサンダル。外にいるだけで心底うんざりする、蒸し暑い日のことだったと思う。

「クマちゃんの本ある?」

そのしわがれた声をした女性は尋ねた。

「え? 熊の本ですか」

「違うわよ。ほら、篠原勝之さんの何といったかしら、賞を取った……」

ああ、クマさんのことか。その本のタイトルは検索してすぐにわかったが、店にはなかったので注文して取り寄せることになった。

こちらに名前と電話番号を書いてください。

そのように言って専用の用紙を渡すと、彼女は震える字で名前を書いた。やっぱりそうだったのだ。しょっちゅうこの前は通っているから電話はしなくてもよいと電話番号は書かなかった。

そのあとLさんは帰っていこうとしたが、途中にあった文庫の棚の前で足を止め、講談社文芸文庫の新刊から一冊本を取ってまた戻ってきた。「この人、わたしの友だちなの」

見ると古井由吉の新刊である。これ、買います。Lさんは特に中身も値段も確認することなく、その本を買って帰った。とてもすてきな光景だった。

 

それから一カ月くらい経って、彼女はクマさんの本を取りにきたと思うのだが、そのときのことはあまり覚えていない。

店にいるあいだのLさんは、まわりからは少しだけ浮いていて、わたしは自由であるという空気を身にまとっていた。彼女はまわりの何事にもあまり関心がないように見えたが、そこには何より、一人の人間としての尊厳があった。それは好き勝手に生きている人を見るとすぐに足を引っ張ろうとする、いまの風潮とはまったく態度を異にするものである。

 

姿を見かけないなと心配していた矢先の訃報であった。一瞬でもすれ違うことができて、ほんとうによかった。

 

今回のおすすめ本

『てがみがきたな きしししし』網代幸介 ミシマ社

こんな洋館はいやだ。闇の中、いろんなおどろおどろしいものからかまわれてしまう、郵便局員の受難。スタイリッシュですこしおかしな、あたらしいホラー絵本。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年9月20日(金)~ 2024年9月30日(月)Title2階ギャラリー

木村肇「嘘の家族」刊行記念展

「なぜ自分の家族の作品を作るのか?」写真家木村肇の写真とインタビューで、作品制作の背景をたどった書籍「嘘の家族」の刊行を記念して、写真展を開催します。早くに亡くなった両親の存在を隠し続けてきた作家が、実家の部屋をギャラリースペースに再現し、嘘か本当か、曖昧な家族の記憶を行き来するような作品を展示します。
 

 

◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
 

【書評】NEW!!

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

『うたたねの地図 百年の夏休み』岡野大嗣(実業之日本社)ーー〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 [評]辻山良雄
(Webジェイ・ノベル 掲載)

 

【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(2)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第2回が更新されました。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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