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本屋の時間

2021.08.01 更新 ツイート

第115回

遠いスタジアム 辻山良雄

五輪がはじまった。千駄ヶ谷のオリンピックスタジアムなら、荻窪からはほんの10キロで行ける距離だが、わたしの生活自体この街からほぼ外に出ていないため、同じ地平で行われているという実感がない。屋外で行われる競技のとき、観客のいない会場の外に広がる景色が映るのを見て、あぁ、この風景には見覚えがあると、行こうと思えばすぐにでも行ける場所で競技が行われていることにあらためて気がつく。

 

店で自分の仕入れた本に囲まれていると、扉の外で何が起こっているのかわからなくなるときがある。店はわたしにとって居心地がよく安全な場所だから、そこに居さえすれば、昨日と同じ今日がずっと続いていくような気にもなる。店を違和感ないものに仕上げていけばいくほど、周りが見えなくなるような感覚に陥るのだ。それはやはり怖いことでもある。

 

お客さんとの会話でオリンピックの話題になることも多いが、そんな時は様々な感情が同時に溢れ出るため、いつもはっきりとした話にはならない。選手たちのすばらしいパフォーマンスやはじける笑顔を見れば当然心を動かされるが、それを利用するものの存在もこの度はっきりとしてしまったし、何といってもこの感染状況である。世のなかに違う考えの人がいるように、自分のなかにもそれぞれ違う〈わたし〉が棲んでいて、どれか一人には決してまとまらない(念のため書いておくが、五輪はいまからでも中止した方がいいというのがわたしの考えだ)。

店に来る人にも同様の「まとまらなさ」はあるようだ。基本的にはやさしいがちょっとずるいところも時に顔をのぞかせ、その中をいつも揺らいでいるように見える。それはわたしと何ら変わるところはなく、その顔すべてがその人だから、どれか一つにまとめることはできないだろう。

緊急事態宣言下のいま、東京では競技が行われている会場には、一般の観客が立ち入ることができなくなってしまった。そこからは代わりにテレビを通じて、「感動」といった単一のメッセージだけが発せられている。ほかのことばをかき消すようなその大きな声は、個々の人が抱いているはずのまとまらない感情を見えにくくする。

本来「感動」は、それぞれの個人が勝手にするものだ。そしていま人々が見ている世界は、「感動」一色で塗り込められた単純なものではない。そうした複雑さを欠いたことばは虚ろで、ことばの抜殻にすぎないだろう。

オリンピックも政治も、それを語ることばは、ほんとうは近くにあるはずなのに、それはいつのまにか隔てられ、実体の感じられないものとなってしまった。テレビや新聞、インターネットで毎日オリンピックスタジアムの姿を目にするが、それはどこか架空の存在のようにも見え、触れることさえできないもののように思えてくる。なぜそうなってしまったのだろうか。

自分のことばを手放してはならない。たとえぎこちなくても、しっかりとした重さのあることばで語らなければならない。そうしたことばで「感動」を語るとき、その体験は本来そうであった確かなものとして、もう一度その人に近づいてくるはずだ。

 

今回のおすすめ本

『ぼくは川のように話す』ジョーダン・スコット・文 シドニー・スミス・絵 原田勝・訳 偕成社

言葉がいつもうまく出てこない「ぼく」の話し方が川のようだなんて、考えたことがあっただろうか。瑞々しい絵が記憶に残る、胸を打つ絵本。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。
 

◯2022年8月6日(土)~ 2022年8月23日(火) Title2階ギャラリー

校正者の仕事部屋
牟田都子『文にあたる』出版記念展

校正者・牟田都子さんの初めての単著『文にあたる』(亜紀書房)の出版記念展。校正とは「本や雑誌が出版される前に、『ゲラ(校正刷り)』と呼ばれる試し刷りを読み、内容の誤りを直し、不足な点を補ったりすること」。牟田さんは書店や図書館を巡っては資料を集め、ファクトチェックをし、一文字一文字を見逃さないようにして読み込みます。今回の展示では『文にあたる』で紹介する校正の仕事現場を再現。校正ゲラを広げる「見台」や辞書、文房具などの仕事道具や、『文にあたる』著者校正ゲラの実物の一部を展示します。

 

『すばる』で新連載が始まりました
連載タイトルは「読み終わることのない日々」。本の一節から自由に想起したエッセイです。『すばる』4月号(毎月6日発売)からスタート。どうぞお楽しみに。

◯【書評】
[New!]
こまくさWeb
〈わたし〉の小さな声で歌おう~榎本空『それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと』に寄せて /評:辻山良雄


「波」2022年6月号
『やりなおし世界文学』津村記久子(新潮社)/止まらない「本の話」 評:辻山良雄

見よ、これがブレイディみかこだ―― 評: 辻山良雄
『ジンセイハ、オンガクデアル――LIFE IS MUSIC』ブレイディみかこ(ちくま文庫)

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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