
とある怪談作家の体験談。
三年ほど前に怪談作家のTさんは知人の別荘に子供と二人で滞在することになった。条件は知人が留守の間のペットの面倒を見ることだった。
海辺の近くにある高級別荘地に初夏に無料で滞在出来るということで、水着や浮き輪や日焼け止めを着替えの荷物と一緒に詰めた。
別荘主から送られて来た写真には、煌めく鮮やかな色の海と砂浜、BBQ場や白いパラソルが映っていた。
作家の頭の中には、砂浜で子と散歩して貝殻を拾ったり、水辺で波を触って遊んだり、気温が高ければ海で泳いだりした後に肉を焼いたり、かき氷を海を眺めながら食べる姿が浮かんでいた。
飛行機やバスを乗り継いで目的地の別荘に着くと、ペットの老犬の面倒の見方を書いたメモと鍵を渡し、三日後に帰ってくると言って別荘主は去って行った。
冷蔵庫の中にあるものは好きに食べて良いし、家の中の物は自由に使って良いということだった。
あいにくなことに、天候は悪く空は曇っていてこの季節にしては珍しく冷たい風が吹きつけていた。
面倒を見るとことを頼まれた老犬は、ベッドルームに置かれた大きな籠の中に入って眠っていた。
名前を呼ぶと飼い主以外の人間が部屋に入っていたことに気が付き、片方の耳だけを上げて少し薄目を開けた。
手を差し出すと少しすんすんと匂いを嗅いだが、興味を失ったようでまた眠ってしまった。
人間の年齢でいうと90歳以上ということだったから、動くのさえ億劫なのだろう。
荷ほどきをして、夕飯の支度を終える頃には外はすっかり暗くなっていた。
遠くからゴロゴロと雷の音がし、しばらくするとザアッと叩きつけるような雨が降り始めた。
家の中の気温がぐんぐん下がってきた。暖房をつけたけれど、フローリングの床から足の裏を伝って体が冷えていくのが分かる。
風呂に入っても、寒気は収まらず、お湯を沸かして温かい紅茶を数杯飲んでやっと人心地ついた。
テレビを点けると明日の天気も悪く、雨と強い風が吹くだろうということだったのでガッカリしてしまった。
食事を済ませ、後片付けをする頃に雨は上がったが風は強くなり轟々と唸るような音が家の中にいても聞こえてきた。
窓の外に見える木々は黒いシルエットとなって風に押されて、横に靡(なび)いている。
辺りの別荘にも人はいるようで灯りがぽつぽつと点いているのは見えるが、外に天気のせいもあって出歩いている人がいないせいか都会では信じられない程静かだった。
風の音以外聞こえるものは何も無く、海も時折灯台の明かりで照らされる黒いうねりが見えるだけで、ブラインドを下すとなんだか遠い宇宙にでも放り出されてしまったような心細さを感じた。
子供に「寂しくなあい?」と聞いたところ、気を使われたのか、首を横に振り「自分の家より何倍も広いし綺麗だし、犬もいるからわくわくする」と答えられた。
その姿が健気に見えたので、小麦粉を戸棚から見つけて小さなホットケーキを焼いて二人でデザート替わりに食べた。
やがて、いつもなら子供を寝かしつける時間となった。
子供部屋は二階にあったのだが、風と雷の音が不気味だったのと、大きなキングサイズのベッドが一階にあったのでそこで親子二人で眠ることにした。
面倒を頼まれた老犬も、家の中で一番大きいその部屋がお気に入りのようだった。
体を休められる犬用のバスケットはそれぞれの部屋に置かれていたのだけれど、たいていの時間、老犬はベッドルームのバスケットの中にいることが多かった。
風が窓ガラスを小刻みにカタカタと揺らす音を聞きながら、眠り、夜中に子供に体を揺さぶられて、目をさました。
「ねえ、起きて。家の中に泥棒がいるかも知れないの」
子供が必死に訴えている。
「怖い夢でも見たの? 風の音か雷か雨音の聞き違いじゃないの?」
眼鏡を暗闇の中で手探りでさがしながら、そう答えた。無人のことが多い別荘地帯はアラームがそこら中にしかけてあるし、夜間はドアノブに触るだけで警察に通報が行くようになっている。
他にもセキュリティはしっかりしていると聞いているし、そもそもガレージの中にはモーターバイク等が置いてあるが、家の中にはお金になりそうな物は置かれていない。
でも、もしかしてということもあると思い、耳を澄ましてみると、ドアの外からぼそぼそと何か音が聞こえるが、雨だれや風の音に紛れてよく分からなった。
部屋の外から聞こえている音は、ザラザラとしたノイズ交じりの声のようだった。
テレビかラジオを点けっぱなしにしたか、二人が眠っている間に老犬がこっそりバスケットを抜け出して、リモコンを踏んで点けてしまったのだろうと思い、子供にここで待ってなさいと呼びかけてからメガネをかけ、ベッドから降りてリビングルームへと向かった。
リビングに入るとカチッとスイッチの音がして、電気がついた。
「ベッドルームで待ってなさいって言ったでしょ? 」振り返って子供の名前を呼んだけれどそこには誰もいなかった。
スイッチを消して、ベッドルームに戻ろうとするとまたカチッと電気がついた。
夜間は自動スイッチなのかな……?でも眠る時はそんな風になっていなかった。
やや変だなと思いながらベッドルームに戻ると、子供が布団の上で毛布をかぶってこんなことを言い出した。
「人形が壁の人形と話してた」
「へ?」
「壁にかかっていた人形が、別の人形と何か言ってた。人形語なのか、何を言ってたのかは分からなかった」
髪を撫でつけながら、気のせいだよ、喋ったりしないよ。
知らない人の家だから、緊張もあってそんな気がするんだよと、言いながら子供を寝かしつけた。
夜中に、トイレに行く途中に壁にかかった人形と、その近くにあった人形を確認した。
当然、何か喋ったりしていたりはしなかったけれど、どことなく不気味だなと感じた。
明け方に目が覚めたので、人形の写真を撮った。
丁度その時、雷が近くに落ちたようでズズズズンと地響きのような音がして家が揺れた。
雨も雷も激しく、まだ止みそうにない。
(後編に続く。4月14日22時公開予定です)