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本の山

2021.01.09 更新 ツイート

住んだことのない 団地に覚える「既視感」――『千の扉』柴崎友香 KIKI

主人公の千歳は東京の新宿にほど近い団地で暮らしている。結婚を機に、夫の祖父が四十年以上暮らしていた都営住宅の一室に入ることになった。大腿骨を骨折してしまった祖父は入院しており、その間の留守を預かるかたちである。千歳はそこで暮らして数ヶ月足らずとはいえ、目を瞑って寝転がりながら部屋の間取りを絵に描くように想像することができる。彼女自身もまた子供のころに、部屋の広さも間取りもさらには築年数まで同じような大阪の市営住宅に住んでいたことがあった。同じ団地に住んでいた同級生たちが一緒に遊ぼうと部屋に呼びにくる様子を思い出して、今も同じことが起こりうるのではないかと錯覚する。

 

団地という場所にこれまでわたしは暮らしたことはないけれど、その描写に既視感を覚え懐かしい気持ちになるのはどうしてだろうか。

隣室の年老いた女性が暮らす部屋から、その扉が閉まる瞬間に漏れてくる線香の香り。四角い空間の三面の壁にびっしりと並ぶ集合ポストから、知人の名前を探すじれったさ、またその姿を見咎められる後ろめたさ。平日の昼日中に、団地の敷地内でたびたび見かける少女のことは、学校はどうしたのだろうと気になりながらも、本気で心配するわけではない。祖父と二人だけで暮らしていたことのある少年時代の夫もまた、時折学校をさぼっていたという話を千歳は思い出す。彼女は祖父から頼まれて同じ団地に住むある人物を探しながら、時間があればあちこちを歩きまわっている。しかし、その様子は人探しをしているというより、広い団地のあちこちに落ちている様々な記憶の断片を捜し集めているように見える。

そういった数々の記憶の描写に、わたし自身の記憶が思いがけず呼び起こされることがあり、その記憶の糸口を引っ張られる感覚に心地よさを感じる。著者はこれまでにも人や土地の記憶を辿る小説を書いており、本書ではそういったものがより身近に感じられる。それは団地という場所を舞台にしているからだろうか。千歳の暮らす都営団地には、三千戸もの部屋があり、その倍以上の人間が住んでいる。記憶の数は限りないものだけれど、似たような間取りの部屋が並び、また日本の各地にある団地という枠組みが置かれることで、途端に親しみを持つことができ、時に懐かしさを感じるのかもしれない。

千歳の記憶集めは、無意識のうちに彼女に足りていない何かを埋めていく。祖父が怪我を完治させて戻ってくるまでに、果たして彼女の気持ちは充足するだろうか。あるいは祖父は戻ってくるのだろうか。人の記憶が確かなものとして存在する団地を千歳は時空を超えて旅をする。その辿り着く先もひとつの記憶としてその場所に刻まれていくのだ。

「小説幻冬」2018年4月号

柴崎友香『千の扉』

夫の祖父が四十年以上暮らした巨大な都営団地に移り住んだ三十九歳の千歳は、その祖父から人探しを頼まれる。七十年間の、場所の記憶と人の記憶、時間を旅する長篇小説。 中公文庫/本体780円+税

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