
神戸や東京、福岡、広島など、これまで様々な土地で新年を迎えてきたが、どこにいても元日の朝はしんとして空が高く、よく晴れていた。まだ「ハレ」という言葉も知らない子どものころ、この世から音というものが消え、なくなってしまったようなまわりの空気に、何か厳粛な気持ちになったものだが、祖母が亡くなったのもまた、そうした元日の朝のことだった。
その年は大みそかの夜、遅くまでテレビを見ていたはずが、いつのまにか寝てしまっていたようで、気がつくと布団のなかに入っていた。夜中、遠くのほうでせわしなく廊下を駆ける音や、人の話し声、車が止まる音などが聞こえたように思ったが、特に気にすることなくふたたび眠りに落ちた。
翌朝よく寝たと思って起き上がったら、母から、けさ祖母が亡くなったと聞かされた。風呂に入ったまま、寝てしまったのだという。
その一週間ほどまえ、わたしははじめて自分で眉を剃った。不良っぽく眉をまっすぐ整えるのが、その当時、中学生の仲間うちではやっていた。見慣れないわたしの顔は、家族の中に思わぬ動揺を引き起こしたようで、いつもはわたしに関わろうとしなかった父親がこちらを覗きこみ、嫌そうな表情を浮かべ去っていった。
祖母もわたしを見るなり困ったような顔をした。
そんなん、やめとき。みっともない。
祖母は孫にやさしい人で、わたしは怒られたこともなかったから、その困った顔はとてもこたえた。祖母が逝ったのは、それからすぐのことだった。
まだ年が明けたばかりだったので、葬式は家のなかで、家族だけで執り行ったように思う。黒い学生服を着て立っていると、みなに自分の顔をじろじろと見られ、非難されているような気にもなった。
わたしが悪かったので、祖母は死んでしまったのだ。
葬式のあいだ、本気でそう思ったが、この世にはとりかえしのつかないこともあるのだと、そのときはじめて思い知った。
母が亡くなったのもまた、数年前の正月のことだ。それまでずっと病院にいた母は、年末から一旦自宅に帰されていたのだが、元日の朝からみるみるうちに容態が変わり、その日の深夜逝ってしまった。その瞬間は隣の部屋で、妻と今後に関する話をしていたが、母のいる部屋から突然カッという大きないびきのような音がしたので、見なくても何が起こったのかすぐにわかった。
のちにトークイベントで、医師の稲葉俊郎さんに話をうかがう機会があったが、そのとき稲葉さんは、人は死ぬとき、周りの空気をすべて飲みこむようにして逝ってしまうとおっしゃった。母の立てた音はまさに、その「すべてを取り込もうとして息絶えた音」だったのだ。
母のお世話をしてくれた方を待つあいだ、家から出て、少し外の空気を吸った。ちょうど夜が明けるころで、実家は坂の途中に立っていたから、そこから見下ろせば空と街とのあいだが、赤く染まりはじめているのが見える。よく見ると、早くも明かりが灯っている家もあった。
母は亡くなったが、同じ空の下、様々な人生がその日も動きはじめようとしていた。
「そうであっても、人はその日を生きなければならない」
外は寒かったが、少しずつ明けていく空を見ていると、次第に勇気が湧いてきた。
今回のおすすめ本
今年はこの本を携えてほしい。永井宏が葉山にある「SUNSHINE+CLOUD」のために書いた956の短文。どこから読んでも、日々を少し楽しくする気持ちが書かれ、うれしくなる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。