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本屋の時間

2020.12.15 更新 ツイート

第100回

わたしはもうもどらない 辻山良雄

五月、店の営業を再開するとき、レジカウンターに透明のフィルムを設置した。フィルム越しに話すことは、最初、変わってしまった世界を否が応でも思い出させたが、いまその存在が意識にのぼることはほとんどない。

 

そうしたことはたくさんあって、さきほどまで話をしていた人が、帰り際にマスクを整える姿を見て、ああ、そうであったと、いまの状況を思い出した。あたらしいルールは身体に習慣化されているが、なんのためにそれをしているのか、肝心なことを忘れてしまったような……

なんのために?

現在カフェでは対面の席は作らず、お客さんには間隔をあけ、横並びで座るようお願いをしている。ある日、二人連れの若い女性がカフェに入ろうとしたとき、席は対面テーブルの椅子を間引いた、一席しか空いていなかった。

いま、お二人では入れません。妻がそう断ったところ、カウンターにいた初老の男性が、向かい合って座ることはできないのでしょうかと尋ねてきた。がっかりしている彼女たちを見て、かわいそうに思っているのはあきらかだった。

いや、それはうちではお断りしていますから。妻はわりと強めにいったと思う。「なぜ」の基準が揺れはじめたとき、それを示して秩序を取り戻すのは、その場を守るものの仕事である。

彼女はそのとき口だけではなく、身体もはっていた。そのささいなやり取りは、強く記憶に残っている。

 

荻窪は東京とはいっても、都心から離れた西のはずれで、店はそこからさらに歩いた場所にある。今年はほとんどの時間を、そうしたはずれの、家と店とのわずか一キロのあいだで過ごした。例年にもまして世間には疎くなったが、それだけ世のなかのペースに巻き込まれずにすんだのはよかった。

食の思想史が専門の藤原辰史さんは、現代の社会状況を表すのに、「資本主義」や「ファシズム」といった出来合いの用語を使うのではなく、「高速回転」が問題なのだと、独特のことばで表現する(『生活者のための総合雑誌 ちゃぶ台6』ミシマ社)。

「あそこによくわからないけど、ひたすら高速回転しているやつがいる」。近づくと巻き込まれ、消耗することはわかっていても、「もっと」という欲には人を動かす力があるのだろう。思えば自分の店をはじめたのも、人の力では制御できない、高速回転から身を遠ざけたかったのかもしれない。

「本を売った」という実感が、強く手元に残った一年だった。危機的な状況のなか、仕事自体は変わらなかったが、普段から行っていることの意味が、次第にはっきりと浮かび上がってきた。

社会がいっときスローになり、自分を見つめなおす人が増えたように思う。たとえば同じ本を紹介したことばでも、それがより深く、遠くまで届くようになったという感触がある。

それはこうした思うにまかせぬ一年であっても、よかったことの一つではなかったか。

 

コロナ禍がなく、予定通りオリンピックが行われた高速回転する世界には、わたしの居場所はなかっただろう。これまでと同じように、店をやっていたほうがよかったかと聞かれれば、決してそうだとは言い切れない自分がいる。

わたしはもうもどらない。

 

今回のおすすめ本

『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子 スイッチ・パブリッシング

ある記憶は、そこの土地と離れがたく結びついている。気になる場所を訪ね(ときには再訪し)、思い浮かんだことを綴るエッセイには、その人の人生がシリアスに描き出されていた。


 

◯Titleからのお知らせ
12月1日(火)から営業時間が変更になります。詳細はこちらをご覧ください。
 

◯2021年3月19日(金)~ 2021年4月5日(月)Title2階ギャラリー

川原真由美 個展『山とあめ玉と絵具箱』原画, あらたなこと.

イラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍する川原真由美さんのはじめての単著『山とあめ玉と絵具箱』の刊行記念。原画と新作を織りまぜた個展を開催。

◯2021年4月9日(金)~ 2021年4月25日(日)Title2階ギャラリー

 田渕正敏「おいしいもので できている原画展」
『おいしいもので できている』(稲田俊輔 著)刊行記念

 人気南インド料理店「エリックサウス」の創業者、飲食店プロデューサー、料理人として活躍する稲田俊輔(イナダシュンスケ)さんの、偏愛食エッセイが刊行。本書の素敵な装画、扉絵、挿絵を手がけたイラストレーター田渕正敏さんの原画展。稲田さんのキラーフレーズやレシピとともに。

 

◯【書評】
『福島モノローグ』いとうせいこう(河出書房新社)
大震災10年 胸を打つ「生」の声 (評・辻山良雄)
北海道新聞 2021.3.21掲載

◯じんぶん堂 「好書好日」インタビュー
「本屋、はじめました」から5年 全国の本好きとつながる街の新刊書店ができるまで:Title

◯金子書房note 寄稿
あなたの友だち(辻山良雄:書店「Title」店主) #私が安心した言葉


 


◯『本屋、はじめました』増補版がちくま文庫から発売、たちまち重版!!

文庫版のための一章「その後のTitle」(「五年目のTitle」「売上と利益のこと」「Titleがある街」「本屋ブーム(?)に思うこと」「ひとりのbooksellerとして」「後悔してますか?」などなど)を書きおろしました。解説は若松英輔さん。
 

 

◯辻山良雄・文/nakaban・絵『ことばの生まれる景色』ナナロク社

店主・辻山が選んだ古典名作から現代作品まで40冊の紹介文と、画家nakaban氏が本の魂をすくいとって描いた絵が同時に楽しめる新しいブックガイド。贅沢なオールカラー。

 

 ◯辻山良雄『365日のほん』河出書房新社

春、夏、秋、冬……日々に1冊の本を。書店「Title」の店主が紹介する、暮らしを彩るこれからのスタンダードな本365冊。

 

 ◯辻山良雄『本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録』苦楽堂 ※5刷、ロングセラー!! 単行本

「自分の店」をはじめるときに、大切なことはなんだろう?物件探し、店舗デザイン、カフェのメニュー、イベント、ウェブ、そして「棚づくり」の実際。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂)、『365日のほん』(河出書房新社)がある。

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