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物理の4大定数

2021.02.26 更新 ツイート

スター科学者アインシュタインの光と闇 小谷太郎

光速c、電子の電荷の大きさe、重力定数G、プランク定数h。
宇宙を支配する物理の4大定数を、NASA元研究員の小谷太郎氏がやさしく解説。
天才科学者アインシュタインの人生にまつわる光と闇とは――。

*   *   *

(画像:iStock.com/vitacopS)

スター科学者アインシュタイン登場

 

自然と自然法則は夜の闇に隠れていた。
神は言った。
「ニュートン現われよ」
そしてすべてが明らかになった。

——アレクサンダー・ポープ

しかし長くは続かなかった。
悪魔がわめく。
「アインシュタイン現われよ」
そしてすべては混沌に戻った。

——J・C・スクワイア

前者の詩は、詩人アレクサンダー・ポープによる、アイザック・ニュートン(1643-1727)の墓碑銘です。ニュートンの偉大な業績と人々の敬意を表現した二行詩です。

ふざけた調子の後者の詩は、前者の200年後に書かれたパロディです。作者は英国の詩人・作家・歴史家のスクワイアです。

アインシュタインの考えだした物理学理論によって、宇宙はなんとも奇怪な姿になってしまった、という嘆きです。

 

さて本連載にもいよいよ超重要人物アルベルト・アインシュタインが現われました。今後何度も何度も登場するので、主人公(の一人)と呼んでもいいくらいです。

相対性理論をはじめとするアインシュタインの理論について解説する前に、まず簡単に生い立ちを紹介しましょう。

ただしこのかたの性格は(だれの性格もそうかもしれませんが)複雑で矛盾をかかえ、かんたんな紹介では説明しきれず、しかし伝記作家や科学史家がくわしく調べれば調べるほどその説明は混乱してくる傾向があります。

「アインシュタインの真の人物像はこう」「いや彼にはこういう面があった」という論争は、今もなおヒートアップしながら続いています。

大学受験では点数が足りず、研究職にもつけなかった

1879年、アルベルト・アインシュタイン(以後アインシュタインと表記)はドイツのユダヤ人の家庭で生まれます。

子供のころは、前述のとおり、光の速度で列車が走るとどうなるかといったおかしな問題を始終考えていて、そのためか数学以外の成績はかんばしくありませんでした

スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験しますが、合格点をとれず、しかし数学と物理は点数がよかったため、校長のおなさけで入学できることになりました。

チューリッヒ連邦工科大学といえば世界に名高い名門校ですが、当時はそういうことが可能だったようです。

チューリッヒ連邦工科大学(写真:iStock.com/Inna Zabotnova)

アインシュタインの伝記には何人もの女性が登場しますが、そのうちの一人で、のちに最初の妻となるミレヴァ・マリッチ(1875-1948)とは大学で知り合いました。

ミレヴァは妊娠し、1902年にスイスを離れてひそかに娘リーゼルを出産しますリーゼルは生まれてすぐに養子に出されたか病死したと推定されますが、その後の科学史家による調査でも行方はわかっていません。

アインシュタインは卒業後、研究職につくことができず、スイスの特許庁に就職し、仕事の合間に理論物理学に取り組みます。

ミレヴァとは1903年に結婚し、ハンス(1904-1973)とエドゥアルト(1910-1965)という二人の息子が生まれます。この二人の嫡出子については、当然のことながら、その生涯も知られています。(次男はアインシュタインと終生折り合わなかったようです。)

1905年は科学にとって「奇跡の年」

1905年、アインシュタインは5篇の論文を発表します。

そのうち2篇は、相対性理論というまったく新しい物理学理論を提唱する論文です。

また1篇で述べられたアイディアは、のちに「量子力学」に発展し、これまた物理学を変革するものでした。

宇宙についての人類の見方を劇的に変える物理学理論が1年のあいだに立てつづけに、一人の特許庁職員の頭脳からぽんぽん飛び出てきたのです

科学史家は1905年を「奇跡の年」と呼んでいます。そのあいだ、特許庁の職務をどれほど真面目にこなしていたか訊くのは野暮というものでしょう。

これらの業績が認められて、アインシュタインは大学の教職につくことができました。さらに(フィッツジェラルド=ローレンツ効果の)ローレンツの薦めで、1913年にドイツのフンボルト大学教授になります。

しかしミレヴァとの結婚生活は破綻し、彼女は息子たちを連れてスイスに戻ってしまいました。

 

1905年に相対性理論を発表して世界を仰天させたアインシュタインですが、彼自身は相対性理論に満足していませんでした

相対性理論を拡張し、さらに重力を取り入れた理論を考えだし、1915年に一連の論文として発表します。

これが、宇宙の姿を記述するのになくてはならない理論であり、ブラック・ホール、ビッグ・バン、重力波など数々の驚異をあきらかにした「一般相対性理論」です。

(画像:iStock.com/pixelparticle)

1905年に発表されたほうの相対性理論は、これ以降、「特殊相対性理論」と呼ばれるようになります。(携帯電話が普及したら、普通の電話が区別のため「固定電話」と呼ばれたようなものです。)

本連載では両者まとめて「相対論」と呼んだりします。

そしてノーベル物理学賞を受賞

1919年にはミレヴァと離婚が成立し、アインシュタインはすぐさま2番目の妻エルザ・レーヴェンタール(1876-1936) と結婚します。

エルザはアインシュタインの従姉(いとこ)で、離婚経験があり、イルゼ(1897-1934)とマーゴット(1899-1986)という二人の娘を連れていました。

当時、エルザとの結婚話が進むなか、アインシュタインがイルゼに求愛し、「君とお母さんのどちらと結婚してもいい」というはなはだ気持ち悪い提案をしたことが、イルゼの手紙に記されています。

どうも女性に対して抑制の効かない人物だったことが読み取れます。

 

1921年のノーベル物理学賞は「理論物理学への貢献、特に光電効果の法則の発見」の功績でアインシュタインに授与されました。

(写真:iStock.com/rrodrickbeiler)

「光電効果の法則」とは、「奇跡の年」1905年に発表された一連の論文のうち、量子力学の基礎となったものを指します。

もちろんこれは重要な功績なのですが、アインシュタインといえば、ほぼ独力で創りあげた相対論がまず第一の業績に挙げられるので、ノーベル賞選考委員会の判断はやや意外な感があります

選考委員会は実験で証明された法則や理論を重視する傾向があるようです。

このころにはアインシュタインの名は世界に知れ渡り、ニュートン以来もっとも尊敬される科学者となりました。「スター科学者」と呼んでいいでしょう。

アインシュタインの進言で生まれた原子爆弾

1933年、ユダヤ人を憎むアドルフ・ヒトラー(1889-1945)がドイツの首相になると、アシュケナージ系ユダヤ人であるアインシュタインとエルザはアメリカに移住します。

アインシュタインはプリンストン高等研究所の研究職につき、二人はアメリカの市民権を得て終生アメリカで暮らします。

1939年、開戦が避けられない情勢になると、ナチス・ドイツの勝利をおそれたアインシュタインは、やはりアメリカに亡命していたユダヤ人核物理学者レオ・シラード(1898-1964)と連名で、「きわめて強力な新型の爆弾の製造」を勧める書簡をフランクリン・ルーズベルト大統領(1882-1945)宛に送ります

こうして原子爆弾を製造するマンハッタン計画が開始されました。計画にはヨーロッパから逃げ出した天才ユダヤ人研究者が大量に参加しました。

前人未到の原子爆弾の製造を、アメリカはたった6年でやってのけましたが、製造に成功したときにはすでにナチス・ドイツは降伏し、ヒトラーは自決していました。

病死したルーズベルト大統領に代わったハリー・トルーマン大統領(1884-1972)は、完成した3発の原子爆弾のうち2発を日本に使用しました。(最初の1発は砂漠で試験に使われました。)

1945年8月6日、広島にウランを爆薬にもちいる核分裂爆弾が、8月9日には長崎にプルトニウムを爆薬とする核分裂爆弾が投下され、あわせて20万人以上が死亡しました。

(写真:iStock.com/font83)

この秘密兵器の威力にすべてのアメリカ人が喝采したわけではありませんでした。

未来のエネルギーと信じられていた原子力が兵器として使用されたことは、世界に衝撃を与えました。科学というものに対する信頼は失われたと感じる人もいました。

原子爆弾製造を進言したアインシュタインは、多くの知識人と同様に、核兵器に反対する立場を取るようになりました。のちには書簡を送ったことを後悔していたとも伝えられます。

1955年、腹部動脈瘤の破裂で倒れ、手術を拒否して死去します。

アインシュタインは多くの警句や冗談を残しましたが、最期の言葉はドイツ語だったため、居合わせた看護師は聞き取ることができず、誰も知らないままになりました。

 

●次回は3/11の公開予定です。

関連書籍

小谷太郎『宇宙はどこまでわかっているのか』

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小谷太郎『言ってはいけない宇宙論 物理学7大タブー』

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小谷太郎

博士(理学)。専門は宇宙物理学と観測装置開発。1967年、東京都生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。理化学研究所、NASAゴダード宇宙飛行センター、東京工業大学、早稲田大学などの研究員を経て国際基督教大学ほかで教鞭を執るかたわら、科学のおもしろさを一般に広く伝える著作活動を展開している。『宇宙はどこまでわかっているのか』『言ってはいけない宇宙論』『理系あるある』『図解 見れば見るほど面白い「くらべる」雑学』、訳書『ゾンビ 対 数学』など著書多数。

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