
光速c、重力定数G、電子の電荷の大きさe、プランク定数h。
宇宙を支配する物理の4大定数を、NASA元研究員の小谷太郎氏がやさしく解説。
現在のテーマは「プランク定数h」。
原子の構造がニュートン力学に合わないことに気付いた科学者たちは、ミクロな世界は奇想天外な量子力学にもとづいているのだと発見してゆく。
* * *

ニュートン力学に合わない原子のふるまい
光子も電子も他の素粒子も、ミクロな粒子はどいつもこいつも、波の性質と粒の性質を兼ねそなえます。それを手がかりに、人類はミクロの世界の物理法則を解き明かし、量子力学を生みだしました。
量子力学の成功と成果を語り尽くそうとすると、20世紀以降の物理学を全部説明する羽目になります。
原子の構造の解明にはじまり、分子の形状や反応を計算する量子化学、素粒子物理学、固体物理学とその応用である半導体素子とその応用である電子機器、原子核物理と原子力、レーザー光学、……その華々しいリストは延々と続きます。とても紹介しきれません。
なのでここでは、量子力学の最初の成果である原子構造について取り上げましょう。現在の理解に沿って説明するので、必ずしも当時の考えや順序のとおりではありません。
原子は万物を構成する基本的な微粒子です。その構造の解明は、20世紀はじめの研究者の重大な関心ごとでした。
電子の電荷eの章でもちらりと述べましたが、実験によってだんだんわかってきた原子の構造は、なんだかそれ以前の古典物理学に反する、理解しがたいものでした。
原子は、プラスの電荷をもつ原子核と、それにつきまとう、マイナスの電荷をもつ電子からなります。たったそれだけの部品からできているのに、そのふるまいはなんとも予想外です。
古典物理に慣れた人なら、ここですぐに思いつくのは、太陽を周回する惑星のように、あるいは地球を周回する人工衛星のように、原子核を周回する電子の姿でしょう。(思いつかなくても問題ないです。)
しかし(古典物理学のひとつの)電磁気学をちょっとここに当てはめるとすぐにわかるのは、そのような構造は一瞬にして崩壊し、電子は原子核に落ち込んでしまうということです。
古典物理学では、原子が安定して存在することをうまく説明できません。

また古典物理のもうひとつの予想は、原子核を周回する電子の軌道は連続的に存在するだろう、というものです。
つまり、ある軌道上の電子のエネルギーが1だとすると、エネルギーがちょっぴりちがう1.1の軌道も隣接して存在し、さらにエネルギーが1.21の軌道や1.09の軌道も近くにあり、エネルギーがどんな値の軌道も存在するだろう、というのが、古典の中の古典、ニュートン力学の教科書に書いてあることです。
けれどもこういう、人工衛星の軌道のような予想は、原子にはあてはまりません。
エネルギーが1の軌道の「となり」には、エネルギーが2の軌道があり、そのとなりには3の軌道が並びます。しかし、エネルギーが1.1の軌道や1.21の軌道や1.09の軌道は許されないのです。
数学の用語を使うと、電子の軌道は連続的ではなく「離散的」なのです。
これはいったいどういうことでしょう。惑星や人工衛星のイメージは、原子に通用しないようです。
行列力学と波動力学が相次いで誕生
当時、デンマークのコペンハーゲン大で助手をしていたドイツ人ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(1901–1976)は、原子というミクロの存在に、惑星だとか(当時は存在しない)人工衛星といったイメージやモデルを押しつけてはいかん、という思想をもっていました。
原子をイメージやモデルで表そうとすると、かえってミクロの世界特有の法則が理解できなくなってしまう、というのです。
ではどうやってミクロの物理を理解すればいいかというと、観測値だけを使うべし、というのがハイゼンベルクの方針でした。たとえば原子から放射される光子のエネルギーは観測値なので使っていいことになります。
ハイゼンベルクはそういう潔癖な方針にもとづいて観測値をあれこれひねくり回し、観測値と観測値の関係が「行列」という数学で記述できることを見つけました。花粉症のためヘルゴランド島で療養している時だと伝えられます。

こうして1925年、ハイゼンベルクはマックス・ボルン(1882-1970)とパスクアル・ジョルダン(1902-1980)との連名で「行列力学」を発表しました。
この行列力学は、たしかに原子の性質を予測することができるので、なんだか正しそうです。
しかしそれで原子はどうなっているのかというイメージを呼び起こすことが難しく、数学的にも少々あつかいにくいものでした。(あつかいにくいといっても、その後量子力学に使われる数学はどんどん難解になるので、それに比べれば行列力学は小学校の算数も同然なのですが。)
一方そのころオーストリアでは、エルヴィン・シュレディンガー(1887-1961)が、電子が波でもあるとはどういうことなのか考えた末に、電子のしたがう「波動方程式」、別名「シュレディンガー方程式」を考案します。
1926年、「波動力学」の誕生です。行列力学の誕生日とたった7カ月しかちがいません。
波動力学においては、原子と電子のイメージを思い描くことが行列力学よりは簡単です。
またシュレディンガーは、原子モデルに頼ってはいけないなどと堅苦しいことを言いません。ハイゼンベルクほど高潔でない世の研究者と学生はほっとして、原子核を周回する電子のイメージをノートのすみに落書きしました。
シュレディンガーの波動力学と、ハイゼンベルクの行列力学は、用いている数学表現は違うものの、どちらも本質的に同じ内容です。
現在の量子力学の教科書には、このふたつのうち使いやすい部分をつまみ食いした内容が載っています。問題に応じて行列と波動方程式を使い分けて解くのが現代の学生です。
音や地震や重力波の波動関数が表わすもの
シュレディンガーの波動方程式はなんの方程式なのでしょうか。それは電子のなにを表わすのでしょうか。
波動方程式とその解である「波動関数」についての説明は(ここまでも抽象的でしたが一層)抽象的で難解です。みなさんについてきていただけるか、書いていて不安になります。
音とか光とか地震とか重力波といった波、つまり波動は、「波動関数」と呼ばれる関数で表わすことができます。
たとえば音という波動は空気の振動が伝わっていくものです。
太鼓を叩くと、周囲の気圧がわずかに変動し、その変動が遠方へ伝わります。太鼓を叩いてから0.01秒後には3 m離れたところで気圧が0.01気圧高まり、さらに0.01秒後には逆に0.01気圧低くなり、……という具合に、時刻と位置によって気圧がさまざまな値をとります。
言いかえると、気圧は時刻と位置の関数となります。この関数が音の波動関数です。この波動関数は、太鼓を叩いた場合に空気がいつどこでどう震えるかをもれなく教えてくれます。

波動関数は、波動方程式と呼ばれる方程式の解です。方程式にはx=3といった数値が解として得られるものもありますが、波動方程式のように関数が解となるものもあるのです。
そしてひとつの波動方程式から得られる波動関数は、無数にあるのが普通です。
太鼓を叩く音とギターをつまびく音はちがい、それぞれ別の波動関数で表わされます。ピアノ、ホルン、歌声、自然の音から人工音、騒音、あらゆる音に対応して、それぞれちがう波動関数が存在します。
そしてすべての波動関数は、音の波動方程式を満たす解です。
音の波動関数は気圧の変化を表わしますが、光の波動関数は、時刻と位置によって電場と磁場がどう変化するかを表わします。そして光の波動関数は光の波動方程式の解です。
同様に、地震の波動関数は地面の振動を表わし、地震の波動方程式の解として得られます。重力波は時空の歪みを表わし、重力波の波動方程式の解です。
波というものは波動関数で表わされ、波動方程式を満たすのです。
電子の波動関数は何を表わしているのか?
さてここまでが前置きです。
それではシュレディンガーが見つけた電子の波動関数は、いったいなんの波を表わすのでしょうか。いったいなにが伝わったり振動したりしているのでしょうか。
じつはシュレディンガー自身も、波動方程式を考えついたものの、それがなんの波動なのかわかりませんでした。
(プランク定数がなにを意味しているのか考えたプランクのエピソードが思い起こされます。こうして量子力学を建設した人々は、ミクロな物理法則の意味するところをひとつひとつ手探りで解釈していかなければならなかったのです。)
この意味は、(行列力学をハイゼンベルクと共同で発表した)マックス・ボルンが即座に言いあててみせました。
電子の波動関数は電子の存在確率を表わすという「確率解釈」です。
波動関数(の絶対値の2乗)は、電子の存在する確率を表わします。波動関数が大きくなっている地点は、そこに電子が存在する確率が高く、小さい地点は確率が低いのです。
ボルンはこの功績で1954年にノーベル物理学賞を受賞します。
(ちなみにハイゼンベルクもシュレディンガーもプランクも、量子力学に貢献した研究者は軒並みノーベル物理学賞を受賞しているのですが、これまでの登場人物のうち、ジョルダンだけは受賞していません。ジョルダンがナチスの思想に共鳴し、突撃隊に入隊したことが、ノーベル賞の理念に反するとみなされたのでしょうか。)
確率解釈によって、量子力学がそれ以前の物理学や科学と根本から異なる体系であることが決定的になりました。
量子力学は観測結果を確率で予測するのです。
このことはあまりに衝撃的で、これを受け入れられない研究者も多くいました。アインシュタインもその一人です。量子力学を学ぶ人は誰もがこの衝撃を経験しなければなりません。
こうして、1925年から1926年にかけてのほんの1、2年のうちに、量子力学の枠組みができあがったのです。
●次回は5/26の公開予定です。
*追記: 語句の誤りを訂正しました。
コメント
舘村真二(デジタル警備隊) 電子の波動関数が表わすものはなんなのか|物理の4大定数|小谷太郎 - 幻冬舎plus https://t.co/ofP5yv5cJ0 7日前 ・reply ・retweet ・favorite
物理の4大定数

光速c、電子の電荷の大きさe、重力定数G、プランク定数h。この4つの物理定数は、宇宙のどこでいつ測っても変わらない。宇宙を今ある姿にしているのは物理の4大定数なのである。
宇宙を支配する数字の秘密を、NASA元研究員の小谷太郎氏がやさしく解説する。
- バックナンバー
-
- 電子の波動関数が表わすものはなんなのか
- そもそも量子とはいったい何なのか?
- プランク定数は考案者にも謎の定数だった
- eの値が変わると宇宙は大爆発する
- 真空は人類がまだ知らない素粒子まで知って...
- 華麗なる素粒子の一族には未知のメンバーが...
- 映画『テネット』の元ネタ?ふしぎな物理現...
- 奇想の人ディラックの予言どおり陽電子が見...
- 電磁気学が失われたら現代文明は即死する
- 物理ぎらいを大量発生させたフランクリンの...
- 静電気の原因は電子の「ポロリ」だった
- 電気現象は電子と陽子という粒々が起こして...
- 重力が強くなると宇宙はどんな姿になるのか
- 天の川銀河は宇宙の嫌われもの?
- 宇宙はどんな形をしているのか
- ブラック・ホールのつくりかた
- 一般相対性理論を超わかりやすく解説します
- ラプラスの魔とダーク・マター
- 孤独すぎる天才キャベンディッシュの実験
- ニュートン、重力定数を人類に紹介する
- もっと見る