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もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方

2020.10.15 更新 ツイート

幼稚で、短絡的な姿をひた隠しにして生きる私たち大人のいじらしさ 紫原明子

Photo by Sam Manns on Unsplash

細川貂々さんが、「素の自分」との付き合い方を体当たりで探した『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』。本書を読んだ、エッセイストの紫原明子さんは、なぜ誰かの綺麗にまとまらない言葉に心が揺さぶられるかを考えたようです――。

(*10月17日に細川貂々さんのオンラインイベントを開催します。記事一番下もぜひご覧ください)

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自分のなかにある"まとまらなさ"を差し出すことの難しさ

かれこれ一年以上、「もぐら会」という名前のつつましい会を運営している。もぐら会では毎月「お話会」という集まりを開いていて、ここでは一度に10人〜20人くらいが輪になって、指名制でその日の体調と、直近1ヶ月の出来事や、その日どうしても話したいことなんかを自由に話していく。

始めた当初私は司会者のような立場で、冒頭でこの会の趣旨と、何か話しのきっかけになりそうな話題を投げかけ、全員が話し終わった後には少しだけ感想を話す、という形で参加していた。

ところが数ヶ月前、あるメンバーに「紫原さんは喋らないんですか? 紫原さんの言葉はどこに行くんですか?」と不意打ちで矛先を向けられ、おっ、言われてみればそうですね、ということになり、それ以来私もみんなと同じように、毎回のお話会で、自分の話をするようになった。

ところが自分で設計しておきながら、お話会で話すというのは決して簡単なことではないのだと、今更ながら気付かされている。なぜならこのお話会というのはやや特殊な場所で、起承転結が見事に設計された、オーディエンスも抱腹絶倒のなめらかな喋りより、その人が自分自身の中にたった今見つけたばかりであろう言葉、磨かれてもいない、成型されてもいない、掘りたての断片の方が、聞く人には圧倒的に心に響くのだ。

 

まとまらない断片を断片のまま取り出すというのが、本当に難しい。ましてや私は拙いながらも物を書くことを仕事にしており、身の回りの出来事をあれこれ関連付け、直線的に理解することがもはや癖になってしまっている。“こう思っていたけど、実はこうだった”とか、“こんなことがあった。つまり世界はこうだ”とか、そんな風に、しょうもない筋道をすぐに立てようとしてしまう。

砂浜に落ちている珊瑚のかけらはそれぞれ2つとない個性的な形をしていて、だからこそ本来はそのままで十分美しい。けれどもそれを下手に切断したり磨いたりして、ビーズとかラメとか余計なもので飾り付けまでして、チープなどこにでもあるネックレスに加工して売っている土産物屋がこの私だ。

いや、これはちょっと悪く言い過ぎかもしれない。商品にすることは必ずしも悪いことでもないけど、せっかくお話会で話すのだから、記事になんてならない、Twitterで書いたってバズらない、無加工で手つかずの、美しい断片を見つけたい。

そしてそのためには、おかしな話だけど、聞く人に美しいと感じさせるための話をしようとしてはいけないのだと思う。美しいと感じさせたい、印象に残したいというような発信者としての打算を捨てて、私の中にある本当に切実な言葉を取り出さなければならないのだと思う。……と、そこまで分かっているのに、最後の最後で潔くなれない。つまらないんじゃないかという疑いが拭えない。

私の言葉に真剣に耳を傾けてくれている人たちの前で「素の自分」を取り出すことには、とてつもない勇気が必要だ。

本当はすべての人が“もろくて不確かな素の自分”を抱えている

『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』は、著者の細川貂々さんが9人の身近な人達に「素の自分」について語ってもらったコミックエッセイだ。

本によれば、取材に際してほとんどの人が「私の話なんか聞いても全然つまらないですよ」と前置きするそうだ。それを受け素直な細川さんは、一体どんなつまらない話かと耳を傾けるも、最後にはきまって「そんな風に考えて生きてるの? オモシロイ!」と思うことばかりだったという。

「私の話なんかつまらないですよ」と前置く人たちも、また、そうやって出てきたものに「オモシロイ!」と目を見開く細川さんも、どちらの思いも物凄くよく分かる。人見知りの私。意地悪な私。見えっ張りな私。つまらない私。積極的に人に見せたくない私は、洗練されていなくて、幼稚で、短絡的で、だからきっと何も面白くない……と、自分では思っている。

ところが日常的に、洗練されていなくて、幼稚で、短絡的な姿をひた隠しにして生きている私たち大人は、身近な誰かのそんな姿を垣間見る経験そのものが稀で、だから当然、それだけでオモシロイ。

しかも、これは私の勝手な想像なのだけど、細川さんはこの本の取材を通じて“安心”されたのではないだろうか。それは、自分以外の人にだって、他人に見せないいろんな「素の自分」がある、という安心でもあるだろうし、また他人が自分に「素の自分」を開示してくれた、という安心でもあるかもしれない。私も、お話会で誰かの綺麗にまとまらない断片を見せてもらったとき、本当に安心する。ほんの一瞬、寂しさから解放されるのだ。

“もろくて、不確かな素の自分”はつまらないし、大人の世界では無価値なもの。そんな風に思っているから、私たちは日頃、あたかもそんな自分などいないかのように振る舞う。でも、本当はすべての人が“もろくて不確かな素の自分”を抱えているし、それを大なり小なり窮屈だと感じている。にもかかわらず、誰かがそう思っていることは外からは決して見えないから、私たちの抱える窮屈さは大抵の場合、孤独とセットだ。

愚か者には見えない特別な服を着ているという裸の王様に、(どう見ても裸だろ)と心の中では疑問を持ち、悪態をついたりしながら「素敵なお召し物ですね」と賛辞を並べる大人たち。あの有名な童話のように、私たちもきっと“立派な大人”なんていう、はなからありもしないものを、あると言い続けている。少なくともそれが、大人の努めだと思っている。

そしてそれは一見非常に馬鹿げたことに見えるけど、これだけ現実に生きている顔をした大人たちが、実はみんなで一つの夢を見ていると思えば、それはそれで、どこかいじらしくもある。

「もろくて、不確かな素の自分」を大事にしよう、と細川さんは言う。

本当にそうだな、と思う。だってそれは、社会でどんなに「王様、素敵なお召し物ですね」と口にしている私たちでも、「いや裸だろ」とたしかに思える私であって、はなからおかしな世界に生きる私たち大人が、心の底まですっかり夢の世界に飲み込まれてしまってはいないという証明にほかならないからだ。

そして普段おおっぴらに言えない「裸に見える」を特別に打ち明けられる誰かに出会ったとき。あるいは「裸に見えるんだよね」と誰かに打ち明けられたとき。私たちはほんの少し、窮屈さと孤独から解放され、安心に包まれる。

「もろくて、不確かな素の自分」はきっとそんな風に、他者と自分を深い場所で接続する、特別なときにしか開かないゲートのようなものだろうと思う。

お知らせ

1.10月17日13時から、オンライン刊行記念イベント「細川貂々さんと考える <素の自分>ってなんだろう?」を開催!
このページより詳細をご確認ください。

2.細川貂々さんの直筆イラスト&サイン入りの色紙付き書籍も幻冬舎plusのストアにて限定販売!
このページより詳細をご覧ください。

関連書籍

細川貂々『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』

小さいころから、母親に「あなたは何もできないから何もしなくていい」と言われてきた細川貂々さん。そのせいで自分に自信が持てません。漫画が売れても、映画化されても本名の自分は自信がないまま。あるとき、精神科医の先生に出会い、その原因が素の自分を大事にしてないからだと気づきます。それから、何者でもない素の自分を大事にするようになった貂々さん。そこで、いろんな人に、どんなふうに「素の自分」と付き合っているのかを聞くことにしました。そこでわかったのは、「素の自分」とは変で、いびつで、はかない存在だということ。体当たりで探した、「素の自分」を大事にしながら、自分を肯定するヒント。

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紫原明子

エッセイスト。1982年、福岡県生まれ。高校卒業後、音楽学校在学中に起業家の家入一真氏と結婚。のちに離婚し、現在は男女2人の子を持つシングルマザー。ブログ「手の中で膨らむ」が人気を集め、執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』『りこんのこども』がある。

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