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愛の病

2020.09.11 更新 ツイート

主人公に会いたい狗飼恭子

 エッセイに書くことが何にもない。
 締め切りを前にして、わたしは少し呆然としている。

 このエッセイを書きはじめてからどれくらいになるだろう。もう十数年。ひょっとしたら二十年近く。長い間書き続けてきたけれど、エッセイに書くことが何一つ思いつかないなんてはじめてのことだ。
 でも仕方がない。三月頭からのこの半年、わたしは家にこもり続けているのだ。
 

 

 外出自粛を言われるようになってから、過剰に真面目で小心者のわたしは、他者との接触をとにかく避けた。そして今もなお避け続けている。仕事以外の用事で電車には乗らないようにしているし、友人にもほぼ会っていない。実家にも帰っていない。旅に出るなんて言語道断。仕事の用事では外出するけれど、zoomなどのリモート打ち合わせも増えたからそこまで多くはない。もともと引きこもり体質のわたしには、それはまったく簡単なことだった。

 外での食事は、十日ほど前からようやくするようになった。でもそれも夫とだけだ。我が家で毎日御飯を作ってくれる夫が、他人の作ったものが食べたいと言い出したためである。そりゃあ、半年間ずっと自分の作った食事ばかりとっていたら飽きるだろう。わたしもときどきは料理をしたけれど、わたしの作る御飯は不味い。覚悟を決めて夫と外にご飯を食べに行ったら、緊張のあまり自分の適度な食事摂取量が分からなくなっていて吐きそうになった。それからも数回外食したけれど、家の近所のお店でだけだ。

 スポーツクラブもやめてしまった。毎年夏は毎日プールで泳いでいたのに、それもできない。旅が何より好きだったのに、東京都民のわたしはどこにもいけない。だから毎日、ただただじっと家にいる。

 ウィルスが怖いから? いや、なんだかもうそれだけじゃない気がする。わたしは日常を忘れてしまったのだ。遊び方を忘れ、休日の過ごし方も忘れ、特別な日もなくなり、毎日はすべて均等に退屈になった。

 きっと、部屋に引きこもったままいつのまにか何十年も経ってしまう人はこういう感じなのだろう。やりたいことがないし、欲しいものもない。会いたい人もいない。行きたいところはあるけれど、行けないと決めつけている。家を出る理由が分からない。

 こんな時に限って仕事はそれなりに忙しいから、ただただ頭を働かせている。体はぜんぜん動かさないし、心なんかもっともっと動かない。

 ひょっとしてわたしは永遠にこのままなのか? などと最近は思ってしまう。だとしても恐怖も嫌悪も悲しみも無念も感じないのは、心の動きが止まっちゃっているからだ。まるでSF小説の中みたいな日々。でもきっと主役はわたしじゃないだろう。こんな物語は地味すぎる。

 たぶんこの世の中のどこかに主人公はいて、その人の人生はこんな状態でもいろいろ動いている。わたしの登場シーンはまだ来ていないだけなのだ。

 早く主人公に接触したい。それともわたしはモブキャラで、ただ主人公とすれ違うだけのために存在しているんだろうか。だとしたら少し残念だ。せめて主人公の落とし物を拾う、くらいのイベントは経験させてほしい。

 あともうひとつ心配なのは、今はこの「物語」の起なのか承なのか転なのか、ということだ。
 結だったらどうしよう、と考えるとちょっとだけ怖い。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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