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おとなの手習い

2020.08.01 更新 ツイート

止まらない感染拡大で、医療現場に「燃え尽き症候群」の危機香山リカ

(写真:iStock.com/RyanKing)

夏が来たが、気分が浮かない日が続いている。もちろんその理由のひとつは、新型コロナウイルスの感染拡大だ。それについて後半で触れたい。

 

そしてもうひとつの理由は、俳優・三浦春馬さんの死だ。

私はもう何年も日本のドラマや歌番組を見ておらず、ファンの方には申し訳ないけれど、三浦さんのことをほとんど知らない。でも、精神科の診察室で何人もの方が「三浦さんの死にショックを受けました」と語り、あらためてその影響力を知った。

私にそう語ってくれた人たちはみな女性で、年齢は40代から60代。口をそろえて「特別に三浦さんのファンではなかったのですが」と前置きをして話す。だいたいこんな内容だ。何人もの言葉をひとつにまとめる形で紹介したい。

「ルックス、演技や音楽の才能、運や支えてくれるスタッフ、もちろんお金。あんなに何でも持ってる人でも、“もう生きていたくない”と思っちゃうんだな、とわかりました。だとしたら、私なんていったい、何のために生きているんだろう、生きてる資格なんてないんじゃないかと思ったら、気持ちが暗くなってしまって……」

その中には、京都で起きた難病のALS(筋委縮性側索硬化症)の女性の嘱託殺人についての話を混ぜて語る人もいた。

「彼女も、キャリアウーマンとして活躍してたのに、病気になって24時間介護を受ける立場となり、『こんな身体で生きたくない』『人間らしい人生とはいえない』とブログなどに書いてたんですよね。だとしたら、私こそ世の中の役に立つことは何もしていないし、生きたくないと思っても不思議じゃないかもしれません」

私は、そのつど「三浦さんや京都の女性が死を選んだ本当の気持ちは他人にはわからないし、彼らが生きるのをやめようと思うなら自分だってそう思って当然、というのは違うと思いますよ」と伝えるのだが、言っているうちに自分の中で「本当だろうか?」という気もわいてきて、いまひとつ言葉に力がこもらない。

この連載でも何度か書いたが、私は50代も半ばをすぎてから、「こんな人生のままで本当にいいんだろうか」と突如、思い直し、新しいことにいろいろチャレンジを始めた。その動機のひとつになったのが、ネットでいわゆるネトウヨと呼ばれるような人たちに文字通り毎日、「反日」とか「売国婆さん」などとののしられることであったのは確かだ。

いや、何もそれに傷ついて、というのではない。彼らの中には面白半分、からかい半分でそういう言葉を投げかけてくる人もいるが、中には「あなたが日本にいるのは、この国にとってマイナスなんです。日本は韓国や中国と国交断交することで真の独立を遂げようとしているのに、あなたはその足を引っ張っています。お願いですから日本から出て行ってもらえないでしょうか」と真剣に頼み込んでくる人もいる。

その切々とした訴えを読んでいると、「自分なりに誠実に日本を愛していると思われるこの人にとっては、メディアやネットで私の名前を見るのはイヤでたまらないのだろうなあ」となんだか申し訳ない気持ちになってくる。もし私がいま事故や急病で死んだら、この人は「よかった」と胸をなでおろすのであろう。そして、そういう人たちはどうもかなりの数いるようだ、ということがだんだんわかってきた。

もちろん、だからといって「じゃ、この世からサヨウナラ」というわけにはいかない。とはいえ、いつかさらに年老いて寿命が来るその日を、“愛国者”にただ指折り数えて待たれるだけの人生だなんて……。それよりもこちらから積極的に「へき地の診療所」や「海外の紛争地の病院」などに赴任し、彼らの前から消え去った方がいいかもしれない。あるときそんな発想がむくむくと頭をもたげてきて、「じゃ、そのために必要なのは運転免許、体力、そして語学や身体診察のスキル」と身につけるべき項目が具体的になった。

それから自動車教習所や格闘技のシステマ、エクササイズのズンバなどに通っているうち、それじたいが楽しくなってしまい、いつの間にか初期の動機を忘れそうになっていた。

しかし、診察室で三浦さんや京都の女性の死を語り、「私に生きる価値はあるでしょうか?」と尋ねる患者さんに「ありますよ」と答えながら、私も私自身に「自分は? 多くの人に嫌がられながら生きる価値はあるの?」と再び問いかけてしまうのだった。
誤解のないように言っておくと、私はもともとはそんなに思い詰めるタイプの人間ではない。

哲学者・中島義道さんとの対談本で『生きてるだけでなぜ悪い?』というのがあるが、まさにそれが人生の信条だ。この本の中でも私は繰り返し、「生まれたからただ生きている、それでいいじゃないですか」などと語っている。

実はこれは、漫画家の水木しげる氏が「ゲゲゲの女房」として有名になった妻の武良布枝さんのことを、「家内は、生まれたから生きている、そんな人間です」と語った言葉に由来している。もちろん、それは自分の妻を「愚妻」と呼ぶように謙遜して言ったことなのかもしれないし、実際の妻はいろいろ悩んだり傷ついたりもしていたのかもしれないが、私は「生まれたから生きている、それ以上、生きる意味を求める必要はあろうか」とおおいに感動したのであった。

しかし、実際には人生は「生まれたから生きている」だけではすまないことも、よく知っている。人気マンガ『ベルセルク』には、主人公のライバルであるグリフィスが、「生まれてしまったから仕方なくただ生きる…… そんな生き方オレには耐えられない……」と語るシーンがあるそうで、いまだにSNSなどで「人生の言葉」としてこれをあげる人がいる。水木しげる氏なら「生まれてしまったから仕方なくただ生きる…… そうそう、それでいいじゃないか!」となるところだが、実際には「耐えられない」という人の方がずっと多いのだ。

そして、この「ただ生きる」派の私でさえ、50代になってまで毎日、「あなたには本当に迷惑してます。消えてください」とネットとはいえ言われ続けると、ふと「意味のない人生だな」などと思ってしまうことがあるということだ。ただ、私の場合、よくも悪くも深刻なモードは長続きしないので、そのうちまた「ズンバやって私もダンスの楽しさがわかった! 生きててよかった! ……あれ、これって何のために始めたんだっけ……まあ、いいか」となるような気がする。

そのためにも一刻も早く新型コロナウイルスの感染拡大がおさまり、また安心してスポーツジムにも通えるようになってもらわなければ困る。しかし、感染拡大は止まらないどころか、全国の感染者数は1000人を超え、東京や大阪などの大都市では1日200、300人といった数字が発表されるまでになった。6月後半には数十人でも青ざめていたのに、1200人でも「昨日よりあまり増えてない」と感じるのだから、慣れとは恐ろしいものだ。

非常勤で診療をしている病院からは、「当分のあいだ、外食は極力避けてください」という通知が来た。「自由を束縛するのか」と言いたいところだが、最近は会食での感染が急増しているし、自分が感染したりさせたりしてしまったら、と考えると飛沫が飛び交うレストラン、居酒屋、スポーツジムには行くのをやめておこうという気になる。

中国語のレッスンも一時は対面授業が復活していたのに、またオンラインに戻った。
それだけでも気晴らしがなくなりうつうつとするのだが、それ以上に私の気持ちを重くするものがある。それは、非常勤で行っている2カ所の病院のなんともいえないグレーな雰囲気だ。

誤解がないように言っておきたいが、個人的にその2カ所の病院がきらいだとか意地悪をされているといったことではない。ただ、2カ所ともいわゆるメンタルクリニックではなく総合病院的な機能を持つところなので、新型コロナ感染症とは無縁ではない。当然のことながら最近、相談や受診が増えており、病院から区の医師会のPCRセンターに派遣されて出向いている医師もいる。最前線に立っているのは30代を中心とした若手や20代の後期研修医と呼ばれる人たちだが、みんな通常の診療と並行させてコロナの検査や診療をよくやってるな、と感心するばかりだ。

ただ、3月や4月に比べると、どうしても緊張感はゆるみ、全体的にテンションが下がっているのを感じる。疲れがたまっているせいもあるのだろう、いつもより不きげんな表情のスタッフも目立つ。

これはただ事態が長引いているせいだけではないようだ。あるとき保健所に送るPCR検査のリポートを書いている医者に「たいへんそうだね」と声をかけたら、ため息とともにこんな答えが返ってきた。

「これからもっと増えますよね。減る要素、どこにもありませんものね……」

3月や4月には、コロナを疑って受診する患者さんたちの不安も強く、とくに4月の緊急事態宣言発令後は、「ほとんど家から出てないのに熱が出てきて!」とほとんどパニック状態でやって来る人もいた。

ところがいまは違う。多くの会社ではテレワークからまた出勤するスタイルに戻り、飲食店もふつうに営業しているのでランチなどで訪れる人も増えた。東京以外では「Go To トラベル」のキャンペーンが始まり、熱や咳で受診する人の多くは“ふつうの日常生活”を送っている。

「電車乗って会社行って、来社した人たちとミーティングをいくつかこなして、昼は同僚と牛丼屋に行って食べて、帰りはまた電車乗って、本屋に寄って立ち読みしてからスーパーで買い物して帰りました」などと言われると、もうどこで感染したかもわからない。緊急事態宣言が出ているわけでもないので、「いや、それは動きすぎでしょう。家にこもるべきです」などとも言えない。

ちょっと想像してみてほしいのだが、こういう人が日に何人も「なんだか味がしない」とか「この1週間熱が出たり下がったり」と言って受診するのだ。中には飲み会や戸外のバーベキューに出かけたという人もいる。しかし、それも完全には禁じられていないので、「出かける方が悪い」とは言えない。

すると、診察に追われる医者としては、だんだん「診ても診ても患者が来る……もう4月のように出歩かないでほしい……いや、それは無理か」と自問自答するうちに、だんだんストレスがたまり、疲れとフラストレーション、そしてモチベーションの低下でいわゆる「燃えつき症候群」の状態に近づいていくのだ。

私はコロナ疑いの患者さんを直接、診ているわけではないので平気なはずだが、それでも院内のどんよりとした空気が次第に身にまとわりついてくる。そして、なんとも言えない陰鬱な気持ちになっていくのだ。

……なんだか暗い話ばかりになってしまった。次回は、「よく理由はわからないけど、感染拡大はあのときをピークにおさまりましたね! 私もまた“手習い”をいろいろ再開してます」と書ければいいのだが……無理だろうな……いやいや。
 

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香山リカ『ノンママという生き方 子のない女はダメですか?』

ときどき悔やむ。ときどき寂しい。 でも大丈夫。これが私の選んだ道。私の幸せのかたち。 さまざまな理由で、生涯子どもを持たない・持てない女性が全女性の3割とも言われています。 「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」という伝統的価値観はまだまだ強く、さらに最近は、少子化対策が国をあげての課題となり、子育ても仕事も頑張る「ワーキングマザー」が礼賛されます。 そんななか、子どもを持たない人生を選んだ「ノンママ」は、何を思い、どんなふうに生きているのでしょうか? それぞれの事情、悩みと葛藤、後輩ワーキングマザーとの軋轢、介護と自分の老後の不安等々。「ノンママ」のリアルな胸のうちを、自身もノンママである精神科医の香山リカ氏が、ときに切なく、ときに明るく描きます。

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60歳という人生の節目を前に、「これからの人生、どうする?」という問いに直面した香山リカさん。そこで選んだのは、「このまま穏やかな人生を」でなく、「まだまだ、新しいことができる!」という生き方。香山さんの新たなチャレンジ、楽しき悪戦苦闘の日々を綴ります。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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