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本屋の時間

2020.07.15 更新 ツイート

第90回

ドラえもんの辞書辻山良雄

撮影:平野愛

Titleでは年の初めに、前もってその年の休みを決めてしまう。いま手帳のカレンダーを見ると、7月21日から2週間のあいだは、ずっと「休み」のマークがつけられており、そしてそれらはすべて、上からバッテンで消されている。

本当ならこの時期から東京でオリンピックがはじまることになっていた。感動を強要される空気のなかにいるのは嫌だと思っていたので、自分のリフレッシュも兼ね、この期間は東京を離れてどこか遠くにいこうと決めていた。しかしこのコロナ禍でオリンピックは延期、二週間の休みはなくなり、結果的に今年の夏はずっと東京にいることになってしまった。

 

あれ、おかしいな。どこかの駅で、間違った電車に乗ってしまったのだろうかと思わなくもないが、自分が見ることのできる風景はいつも、いま、ここでしかない。降りる予定だった駅はどんどん遠ざかり小さくなってしまったが、いまとなってはもう降りたいとも思わなくなった。

 

店に知り合いがくるたびに、感染者数が収まらないねという話になる。たしかに収まってはいないのだが、それをどう捉えるべきなのか、4月5月のころよりも気持ちがあいまいになっており、そんな自分にも何か芯がないような、釈然としないものを感じている。

4月に臨時休業を決めたとき、きっかけになったのは店にくるお客さんの顔だった。動作の一つ一つに緊張感があり、非常時の切迫したことばが、語らずとも自然にその身体から発せられていた。

いま、店に来る人の顔を見ても、そこから何かを読み取ることはできない。そのかわり伝わってくるのは、コロナ禍や全国で起こった水害、変わらない政治など、一時にあまりにも多くのことが起こってしまったゆえの困惑、そして無力感だ。そう感じるのは、自分もそれに取り込まれようとしている表れなのだろう。前に進みたくてもそれがどの方向かわからなければ、何も考えず自分の世界に安住したほうが楽だ。

漫画版『風の谷のナウシカ』では、そうした箱庭的平和が、ラスト近くで登場する。しかしナウシカはそれを拒否して、また旅立っていくのだが……。

日曜日。車椅子に乗った子どもを連れたお母さんがやってきた。小学生用の国語の辞書を探しているという。

すみません。いま店には大人用のものしかないんですよ。お子さんにはちょっと難しいかもしれません。

〇〇くんは、その辞書使ってたよ。

えーっ、ほんとうに? ちょっと見せてください。でもこれでは難しいわねえ……。本当にこれがいいの?

ぼく、ドラえもんの辞書がいい。

ちょっと笑ってお母さんはすこし考えていたが、授業ですぐ使うのでほかの店も探してみるとのことだった。しかしもう一つの目的であった、子ども向けの雑誌はあったようだ。よかったわねぇ、じゃあ行こうか。

車椅子を押して、また駅まで行ってもらうこととなり、その親子には本当に申し訳ない気になった。でも二人は楽しそうに会話を続け、そのまま店を出ていった。二人の背中には、確かな〈生きている〉という感じがあった。

 

まだまだやらなければならないことがたくさんある。たとえ思考を手放した小さな世界が居心地よくても、そこから外に向け、足を踏み出さなければだめだ。

 

今回のおすすめ本

『ここは』文・最果タヒ 絵・及川賢治 河出書房新社

いま、この瞬間は、すべてでありながら「まんなか」だ。浮遊しながら自由にその〈すべて〉を書き記し、この世界で唯一の〈あなた〉を照らす絵本。


 

◯Titleからのお知らせ
6月1日(月)から、書店・カフェともに店頭での営業を行います。短縮営業です。詳細はこちらをご覧ください。

 

◯2020年7月30日(木)~ 2020年8月25日(火)Title2階ギャラリー

台風と小旅行
石山さやか「Short Trip with Typhoon」原画展

新潟県寺泊への小旅行を綴ったzine「Short Trip with Typhoon」の原画と、旅行にまつわる新作ドローイングを展示。「ささいなもの/ささいなもの「これを覚えていたい」の連続/でも旅が終われば/朝見た夢のようにさらさらと記憶はうすれて/またいつもの生活に戻ってしまう」――。旅が遠い今たどりたい空間。
 

◯朝日新聞(耕論)2020.6.18
自粛要請と自由 新型コロナ 辻山良雄さん、戸羽太さん、青井未帆さん

◯nippon.com インタビュー 2020.5.4
たたかう「ニッポンの書店」を探して
本を自分で紹介し、売ることに賭ける-東京荻窪「Title」


◯『本屋、はじめました』増補版がちくま文庫から発売、たちまち重版!!

文庫版のための一章「その後のTitle」(「五年目のTitle」「売上と利益のこと」「Titleがある街」「本屋ブーム(?)に思うこと」「ひとりのbooksellerとして」「後悔してますか?」などなど)を書きおろしました。解説は若松英輔さん。
 

 

◯辻山良雄・文/nakaban・絵『ことばの生まれる景色』ナナロク社

店主・辻山が選んだ古典名作から現代作品まで40冊の紹介文と、画家nakaban氏が本の魂をすくいとって描いた絵が同時に楽しめる新しいブックガイド。贅沢なオールカラー。

 

 ◯辻山良雄『365日のほん』河出書房新社

春、夏、秋、冬……日々に1冊の本を。書店「Title」の店主が紹介する、暮らしを彩るこれからのスタンダードな本365冊。

 

 ◯辻山良雄『本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録』苦楽堂 ※5刷、ロングセラー!! 単行本

「自分の店」をはじめるときに、大切なことはなんだろう?物件探し、店舗デザイン、カフェのメニュー、イベント、ウェブ、そして「棚づくり」の実際。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂)、『365日のほん』(河出書房新社)がある。

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