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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

2020.04.04 公開 ポスト

連れ去られるような出会い【再掲】林伸次

十二月三十一日、人が少なくなった渋谷を歩いていると目に付くのが近代的なビルの入り口の門松だ。おそらく外国人にはとてもエキゾティックに見えるはずだが、日本人としては門松が登場すると年末のゴタゴタはすべて終わったんだと思い、穏やかで静かな気持ちにさせられる。

こんな静かな夜の空気を埋めるにはこのアルバムしかない、と考えて、私はビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』というレコードを取り出した。このアルバムには『マイ・フーリッシュ・ハート』という曲が収録されている。

「気をつけて。私の愚かな心。ただの誘惑なのか本当の愛なのか、こんな夜は区別がつかなくなっちゃう」と、女の子の危なく揺れる恋心を歌っている。


その曲がかかると、二十代後半くらいの女性が扉を開けて入ってきた。髪はショートカットであまり見ない形の白いモンクレールのダウンジャケットを着ている。瞳は大きく鼻が少し低い。

彼女は「年末の最後の一杯を飲みに来たのですが良いですか?」と、ちょっとはにかんだ笑顔を見せた。真っ白な歯と赤い口紅のコントラストにドキリとさせられる。

私が「どうぞどうぞ」と案内すると、彼女はカウンターの真ん中に座りこう言った。

「私、よくバーで飲むのですが、そう言えばマティーニって飲んだことないのに気がついたんです。バーテンダーの腕前はマティーニを頼めばわかるって言いますよね。マティーニってそんなにすごいんですか?」

「『007』の映画や、『アパートの鍵貸します』でも印象的なマティーニが登場しましたし、チャーチルやルーズベルトが愛した格式の高いカクテルでもあります。

二十世紀前半の若者にとっては『マティーニを飲んでおけば間違いない』という飲み物でした。それを『ステータス・ドリンク』と呼びます。

一九六〇年代に入り、若者はそんな『ステータス』に反発し始めます。

若者たちにマティーニは飲まれなくなり、ある者はワインやペリエに、ある者はLSDやマリファナへと向かったわけです」

「なるほど。マティーニはある時期の『ステータス』だったわけなんですね。マスターはマティーニはお好きですか?」

「正直に申し上げますと、味わいはとてもクラシックな印象なので、現代の普通の日本人が何も知らずに飲むと『強くて飲みにくい』と感じるでしょう。しかしこういうカクテルを背筋を伸ばして飲むというバーの文化は絶やすべきじゃないと思っています」

「じゃあ、私の初めてのマティーニ、お願いします」

私は凍ったミキシング・グラスに氷を入れ、ボンベイサファイアとノイリー・プラットを注いでステアし、オリーブをのせたアンティークのショートカクテル・グラスに注いだ。最後にレモンピールで香りをそえて、彼女の前に出した。

「うわ、アルコールが強い。でもおいしいです」と言って、こんな話を始めた。

「十二月の二十四日のことなんです。私は仕事が終わって、井の頭線の最終電車に乗って帰宅中でした。電車は最終なのにかなりすいていて、私は座席に座ってぼんやりしていました。すると目の前に立っている男性が突然、隣の女性に話しかけたんです。

男『あ、なんか目があっちゃいましたね』

女『あ、ええ(笑)』

男性はジーンズに細身の紺色のダッフルコートで、手にはヘッセの岩波文庫を持っています。女性はショートカットでちょっと不思議な形の帽子が印象的です。

私は『え?』とか思いこっそり注目していたら、

男『今日は今までお仕事だったんですか?』

女『ええ、ちょっと残業が長引いちゃって』

って感じで世間話が始まりました。

男『どちらまでですか?』

女『富士見ヶ丘までです。どちらまでですか?』

男『下北沢です』

なんて会話もしています。

下北沢は渋谷から四つ目の駅ですぐ近くです。富士見ヶ丘は渋谷から十二個目の駅でずっと遠くになります。

電車が下北沢に到着しました。男性が爽やかな笑顔を見せながら『あの、握手しませんか?』と言って女性に手を差し出しました。女性もそれに応えて手を出しました。すると男性がその手を握るとぐっと引っ張って、なんと女性を下北沢の駅のホームへと連れ去ったんです。

最終電車ですよ。女性、クリスマス・イブという魔法にかかっていたのか、運命を感じたのか、そういう強引さもありなんだなあって思いました」

「映画のワンシーンみたいですね」

「マスターも何かそういうの見たことありますか?」

「そういう映画のようなワンシーンですか。

この話はどうでしょうか?

ある日、渋谷駅の東横線の改札で人を待っていたら、私の隣にも、誰かを待っている女の子がいたんです。

身長は百五十センチ弱くらいでしょうか。年齢は二十代半ば、前髪は真っ直ぐに揃えていて、目はくりっとしていて、服もふわふわしていておっとりした感じです。そして、その彼女、すごく大きいヘッドフォンをして、スマホをずっと見てたんです。

私は『この人の待ち合わせ相手ってどんな人なんだろう』って、頭の中で想像しながら、相手が登場するのを待っていました。

そこに現れたのは、身長百八十センチ弱くらいの男性で、年齢は二十代後半くらい、目立ちすぎない黒縁のメガネをかけていて、髪の毛はこざっぱりと短く、パンツは細身でぴっちりとしています。どこかの百貨店の靴売場とかにいそうな爽やかでお洒落な感じです。

私は『そうか。彼女もアパレルで職場で知り合ったのかな。そんな感じだなあ』なんて想像したりしてました。

彼が微笑みながら彼女に近づいてきたのですが、彼女はスマホと音楽に夢中になってて、全然気がつきません。

彼が、彼女を驚かそうとして、彼女の後ろにまわって肩越しから彼女のスマホをのぞき込んだりしてるのですが、彼女、やはりまったく気がつかないんです。

もしかして、彼女、ちょっと怒ってて、無視してるのだろうかと、私も心配になってきたら、彼が自分のスマホを取り出して、彼女にメールか何かを送ったんです。

すると彼女はスマホから突然、顔を上げて、彼に気がついたのですが、ヘッドフォンをしてるからちょっと大きめの声で『わー、びっくりした!』って叫んでしまいました。

彼が、彼女のヘッドフォンを耳からずらして、すごく優しい話し方で『このヘッドフォン買ったの?』って聞きました。

『そう。秋葉原で選んで買ったんだけど、三万円もしたの』って彼女がヘッドフォンを頭から外して、彼に見せながら嬉しそうに答えたんです。

彼がそのヘッドフォンを手にとって、触りながら、彼女に言った言葉がこうでした。

『すごく良い買い物したね』

とても素敵なリアクションだと思いませんか?

『すごく良い買い物したね』

ちょっと私には思いつけない言葉ですね」

「私、今からその百五十センチ弱の女の子になって、百八十センチの彼に『すごく良い買い物したね』って言われたいです」

「ですよね」

後ろではビル・エヴァンスの演奏する『マイ・フーリッシュ・ハート』が流れていた。

関連書籍

林伸次『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』

誰かを強く思った気持ちは、あの時たしかに存在したのに、いつか消えてしまう――。燃え上がった関係が次第に冷め、恋の秋がやってきたと嘆く女性。一年間だけと決めた不倫の恋。女優の卵を好きになった高校時代の届かない恋。学生時代はモテた女性の後悔。何も始まらないまま終わった恋。バーカウンターで語られる、切なさ溢れる恋物語。

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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

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林伸次

1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDをオープン。選曲CD、CDライナー執筆多数。著書に『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』(ともにDU BOOKS)、『ワイングラスの向こう側』(KADOKAWA)、『大人の条件』『結局、人の悩みは人間関係』(ともに産業編集センター)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)などがある。

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