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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

2019.04.01 更新 ツイート

会うための口実がやっといらなくなったのに林伸次

忘れられない恋を誰かに語りたくなることがありませんか? その相手にバー店主は時々選ばれるようです。バー店主がカウンターで語られた恋を書き留めた小説『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』より、今週のお話。

*   *   *

十二月二十四日、深夜十二時を過ぎた頃、お客様たちも帰り、さっきまで騒がしかった店に静寂がおとずれた。

私はシンガーズ・アンリミテッドというコーラスグループの歌うクリスマス・アルバムをかけ、お店を片づけ始めた。

 

音を駆使し、何十人分もの声に重ねあげて、見事なコーラスワークを聴かせた。文字通り、「制限のない歌手たち」というわけだ。

当時のアメリカの音楽ビジネスは、アルバムを発表後、全米ツアーをするというのが一般的な売り方だったのだが、シンガーズ・アンリミテッドはレコードの録音をステージ上では再現出来ないため、ツアーが不可能だった。実は彼らは「制限がある歌手たち」だった。

その全米ツアーが出来なかったことが理由で、シンガーズ・アンリミテッドはアメリカではあまり売れなかったといわれている。一般的なアメリカ人は、目の前に存在する、まるで手で触れられるような音楽を好んだのだけど、シンガーズ・アンリミテッドはそうではなかった。彼らは、レコードの中という架空の世界だけに存在する幻の音楽を作ったのだ。

世の中には手に触れられないけど、幻の世界にはちゃんと存在しているものもある。

そんなシンガーズ・アンリミテッドが歌う、クリスマス・ソングをかけていると、編集の仕事をしている青木さんという男性が突然扉を開けて入ってきた。

青木さんは三十代前半くらいだろうか。どんな遅い時間でもくたびれていなくて、ベージュのダッフルコートがよく似合った。黒縁の細いメガネの向こうから優しそうな目でいつもこちらをじっと見つめる。

コートを脱ぎ、カウンターに座ると青木さんは「マスター、もしかしてもう閉めるところでしたか?」と私に聞いた。

「いえ、まだまだ夜の時間はたっぷりとありますよ。ゆっくりしていってください」

「そうですか。ありがとうございます」

「お飲み物はどうされますか?」

「マスター、恋人たちにぴったりのお酒ってあるのでしょうか?」

「ありますよ。レザムルーズ、『恋人たち』という名前のブルゴーニュのワインなのですが、いかがでしょうか」

「ではそれをいただけますか。もしよければマスターも一緒に飲んでほしいのです」

「ありがとうございます。でも、残念ながら私は勤務中は飲まないことにしていまして。グラスに注いでカウンターに置いておくだけでしたらお付き合いしますが」

「それで結構です」

私は二〇〇三年のレザムルーズを開け、青木さんのグラスに、そして私のグラスにも注いだ。店中にワインの香りが漂った。

「どうして今日、恋人たちにぴったりのお酒を飲みたいと思ったんですか?」

「ちょっと聞いていただけますか?」

青木さんはこんな話を始めた。

「僕が付き合っていた女性のことなんです。美恵さんというフリーのイラストレーターだったんですけど、僕が関わった週刊誌のイラストをお願いしたのがきっかけで知り合いました。ちょっと小柄で、服はいつもお洒落で小さな目をくるくるさせて楽しそうに笑う人でした。僕は完全に恋に落ちました。

それからは職権乱用なんですけど、彼女と会う理由を作るために、彼女のイラストにあいそうな本ばかり企画するようになってしまいました。

彼女にどうしても会いたくて、資料なんてバイク便で送ればいいのに彼女の自宅の近くのカフェで待ち合わせをしたりして。

僕の彼女へのメール、【先日お願いしたイラスト用の写真の資料をお渡しするので美恵さん家の近所のカフェでお待ちしております】とか【今度、新しい企画があります。お会いして一時間くらいお話し出来ませんか?】とか、彼女に会う理由を無理矢理こじつけているのばかりだったんです。

もうこれはさすがにバレてるだろうなって思って、ある日、彼女にこう言いました。

『美恵さん、もうバレてるとは思いますが、好きです。美恵さんに、ただ会いたくて、一生懸命、会える理由を作ってました』

『ありがとうございます。私も青木さんのこと好きですよ。私も【写真の資料をお渡しするので美恵さん家の近所のカフェで】ってメールが来たら、嬉しくてどんな服着ていこうかな、でも近所のカフェだし着飾りすぎても不自然だなとかいつも悩んでました』

『そうなんですか? 嬉しいです。思い切って言って良かったです。じゃあ今度から無理して仕事で会う理由を考えなくて良いですか?』

『あはは。そうですね。もう必要ないですね。職場でも私のイラストばっかりで変な目で見られてたんじゃないですか? じゃあ、今度からは普通に【今度、デートに行きませんか?】っていう件名でメールくださいね。そっちの方が私も嬉しいです』」

「それは良い展開ですね。その後はどうしたんですか?」と私が言うと青木さんはこう答えた。

「はい。もちろんそれからは何回もデートしました。休日に車に乗って湘南の方の海を見に行ったり、青山でライブを楽しんだ後、おいしいレストランに行ったりと、それはとても幸せな日々でした。でも、十一月を過ぎると、仕事上、年末進行というのがあります。深夜までの残業や休日出勤が重なって年末はクリスマス・イブまでしばらく会えなくなってしまったんです」

「なるほど。青木さんのお仕事は他の人たちが忘年会をしている時期が一番忙しいんですね」

「はい。毎日のようにメールだけはしていて、【クリスマス・イブはどうしようか? レストランや街は混んでいるしね、やっぱりどっちかの部屋で二人で料理を作って、映画なんかを観ながらゆっくり過ごそうか】なんて話だけはずっとやり取りしていました。それが……、クリスマス・イブの一週間前のことです。彼女が交通事故で亡くなってしまったんです」

「え。そうだったんですか」

「彼女からの最後のメールの件名が【会いたい】だったんです。メールの内容はこんなものでした。

青木さん

会いたいです。一ヵ月前の最後のデートの後、別れないでそのまま青木さんの家に行って帰ってこなければ良かったって後悔しています。明日にでも青木さんの家に押し掛けちゃおうかなって思ってます。 美恵」

「その美恵さんからの最後の【会いたい】というメールの後、彼女は青木さんの家に来たんですか?」

「いえ。会えていないんです。彼女がそのメールを送信して数時間後の事故でしたから。

僕、ちょっと変ですがその彼女の最後のメールへ返信で【僕も会いたいRe:会いたい】という件名であれから毎日、今はもうこの世にいない彼女にメールを出してたんです。こんな風に。

【僕も会いたいRe:会いたい】

美恵さん

僕も会いたいです。仕事なんて休んで、もっと何度も何度も会っていたら良かったです。そして美恵さんに会ったままで目を離さなければ良かったのにって後悔しています。 青木

ちょっと危ない精神状態だったとは思うのですが、もしかしてどこかで彼女がこのメールを見てくれているかもしれないと思ってたんです」

「そのメールは誰も読めないですよね」

「それが今日十二月二十四日、クリスマス・イブの昼に突然返事が届いたんです。

【美恵の母ですRe:僕も会いたいRe:会いたい】

青木さん

驚かせてごめんなさい。美恵の母です。

美恵の遺品を処分している時にPCのメールを開けてしまいました。

青木さんのお気持ち、母親としてとても嬉しいです。

美恵が事故で亡くなる三日前に電話で話したんです。

『お母さん、私、初めて結婚したいなって思う人ができちゃった。もうその人のことを思うといつも会いたい会いたいって思っちゃうの。もうこんなに毎日会いたいんだから、ずっとこのまま毎日会ったままでいられると幸せかもなあって考えてたら、それって結婚のことじゃないかって気がついて。ねえ、お母さんもお父さんに会いたい、ずっと死ぬまで会ったままでいたいって思った?』

美恵へのメール、ありがとうございます。たぶん、美恵も天国で読んでくれていると思います。青木さんも幸せになってください。最後になりましたが、よいクリスマスを」

青木さんはそう話し終えるとレザムルーズを口にし、「マスター、このワイン、香りが華やかで時間も何もかもを包み込んでくれますね。僕たちが幸せだったあの頃のことを思い出します。恋人たちという名前のワインなんですよね。やっぱり一緒に飲んでいただけませんか?」と言った。

「そうですか。勤務中ですが少しいただきますね」私がそう言うと、青木さんはうなずき、グラスを合わせた。

バーではシンガーズ・アンリミテッド、制限のない歌手たちという名前のコーラスグループがクリスマス・ソングを歌い続けていた。

*   *   *

続きは、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』をご覧ください。

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関連書籍

林伸次『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』

人はなぜバーテンダーに恋の話をするのだろう? cakesスタート以来、常に人気ナンバー1の恋愛エッセイの名手にして、渋谷のバー店主が綴るカウンターの向こうのラブストーリー 恋はいつか消えてしまう。ならば、せめて私が書き留めて、世界に残しておこう――。 スタンダードナンバーの音楽とお酒のエピソードとともに綴られるのは、 燃え上がる恋が次第に冷め、恋の秋がやってきたと嘆く女性。 1年間だけと決めた不倫の恋。 女優の卵を好きになった高校時代の初恋。 かつての彼女とよく通ったパン屋さんを訪ねた男性。 学生時代はモテた女性の後悔。 などなど、世界の片隅に存在した恋のカケラたち。 誰かを強く思った気持ちは、あのとき、たしかに存在したのだ。切なさの記憶溢れる恋愛小説。

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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

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林伸次

1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDをオープン。選曲CD、CDライナー執筆多数。『カフェ&レストラン』(旭屋出版)、『cakes』で連載中。著書に『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』(ともにDU BOOKS)、『ちょっと困っている貴女へ バーのマスターからの47の返信』(アスペクト)、『ワイングラスの向こう側』(KADOKAWA)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)がある。

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