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知られざる北斎

2018.03.31 更新 ツイート

北斎の誕生(3)

唐辛子を売り歩きながら画力を磨いた神山典士

「神奈川沖浪裏」「北斎漫画」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、ジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した、気鋭のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。(前回まではこちらから)

「濤図(なみず)」の「男浪・女浪(おなみ・めなみ)」一対

 

 春章のもとで修業する春朗[しゅんろう](のちの北斎)は、役者絵や相撲絵を描いていた。だが32歳の頃、師匠の春章が死んだことで波乱が起きる。ある時春朗は、絵双紙問屋の頼みで絵看板を描いた。それを見とがめた兄弟子の春好に、「この絵は勝川の名に泥を塗る」と酷評され、あげくに面前でびりびりに破られてしまった。春好の中には、師匠の覚えめでたい春朗に対する嫉妬があり、師匠の死でそれが一気に吹き出したと言われている。


 この仕打ちに春朗は腸が煮えくり返る思いだったが、兄弟子だけに言葉も返せない。じっとこらえて引き下がったが、この時春朗の心の中に「いつか必ず日本一の画工になって今日の恥をすすいでやる」との思いが固まった。


 もはや勝川派には居場所のなくなった春朗は、浜町にあった狩野派五世寛信の門を叩いた。室町中期に起こり将軍家御用達の絵師であった狩野派は、江戸中期以降は全国諸大名のお抱え絵師の総元締めとして、その画風を全国に普及させていた。


 この時の春朗の心情は「絵を学ぶのであって古人を学ぶのではない」。


 狩野派の画風は学ぶに相応しいものではあったが、この時五世寛信は春朗より18歳年下の17歳。完全な世襲の一門であり、春朗は門弟であることには何の意味も感じていなかった。


 のちオランダ商館長カピタンが連れてきた医師が、発注した絵を値切ろうとすると、「約束が違う」と全て引き上げてしまったほど一本気の春朗のこと。じきに師匠とトラブルを起こして狩野派も破門となり、以降雲谷派、琳派、土佐派と渡り歩くことになる。同時に勝川派からも「春朗」を名乗ることを禁じられ、ここからが新生北斎のスタートとなった。


 狩野派を飛び出したのち画法修業として門を叩いたのは、のちの読本挿絵や肉筆画に成果を見せる中国の沈南蘋(ちんなんぴん)派の花鳥画、文人画、円山派。やがて36歳の時に大和絵装飾画の俵屋宗理に学び二代目宗理を襲名。この頃は衣装文様の細密な肉筆美人画を残している。


 とはいえ34歳で勝川を離れてから38歳で北斎辰政と称するまでの4年間。北斎は師匠もなく名もなく地本問屋を納得させる代表作もなく、苦悩の時代だった。極貧の中で唐辛子や柱暦を売り歩いたことすらあったという。


 江戸期15人の将軍の平均寿命は51歳というデータがある。40歳になると初老と呼ばれ、隠居する者も珍しくない。この時代に30代半ばといえばもはやベテランだ。大看板の一門に入っていればそれなりの収入はあったはず。世襲により師匠を継いでもおかしくない。勝川派にしても狩野派にしても、時代を代表する一門にすぐに入れたのだから、画力は認められていたのだ。


 だが北斎は群れることを潔しとせず、常に孤高にして赤貧。多流派を渡り歩き画法だけを貪欲に漁っていた。


 ようやく絵師としての地歩を得られたのは、二代目宗理時代の美人画だった。世間からは宗理型美人と呼ばれるロマンチックな女絵を描いた。その表情には女の機微が含まれていると評判になり、絵双紙屋からも注文が舞い込むようになる。


 つまり北斎は、遅咲きなのだ。不惑を前にした39歳の時に不染居北斎と号し、狂歌本の挿絵を描いて評判をとる。翌40歳の時には画狂人と号し、洋画の画法を取り入れた風景画で注目を集める。江戸名所を描いた作品は傑作と賞された。
 

 思えば勝川派に居たころ、兄弟子の春好が作品を足げにしてくれたお蔭で、北斎は様々な画法と画力を蓄えることができたのだ。

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知られざる北斎

「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。

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神山典士

ノンフィクション作家。1960年埼玉県入間市生まれ。信州大学人文学部卒業。96年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて第三回小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞。2012年度『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』が青少年読書感想文全国コンクール課題図書選定。14年「佐村河内守事件」報道により、第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。「異文化」「表現者」「アウトロー」をテーマに、様々なジャンルの主人公を追い続けている。

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