今回は、近藤ようこの最新作を取りあげます。

近藤ようこは1980年代から着実な制作を続けるベテランのマンガ家ですが、題材の大きな柱は2本ありました。
1つは、現代に生きる女性をヒロインに、家族と恋人・夫婦の関係について繊細かつリアルな心理劇を紡ぐもので、『見晴らしらしガ丘にて』をはじめ、『あけがたルージュ』や『アカシアの道』など、多様な秀作があります。
もう1つの柱は、日本の主に中世を舞台にした時代劇で、こちらは現代ものより幻想的な色あいがぐっと濃くなるのですが、『水鏡綺譚』を筆頭に、独自の世界を確立しています。
しかし、この10数年、近藤ようこは日本近代文学から小説を原作に選ぶことが多く、まことに見事な成果を上げてきました。
坂口安吾の『戦争と一人の女』、折口信夫の『死者の書』、夏目漱石の『夢十夜』、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』などが、その新たなフィールドを豊かに彩っています。
最新作の『家守綺譚』(新潮社)は、この第3の領域に属するもので、梨木香歩の同名の掌編連作をマンガにしています。
このマンガを読んで、私はあまりの素晴らしさにしばしば本を伏せてため息をつきました。
舞台はいまから百年すこし前の明治時代。主人公の綿貫征四郎は、湖で死んだ親友の高堂の実家で家守をすることになります。場所は、高堂が死んだとされる琵琶湖の近くの、京都・山科のあたりと推測されます。
この家には池があって水が巡り、植物が豊かに茂っているので、鳥獣虫魚も親しく登場し、しかも河童や狐狸妖怪のたぐいまで出没します。おまけに、死んだ高堂まで壁の掛け軸からこの世へと出入りするのです。
つまり、アニミズムがまだ日本に生き残っていた時代の話なのですが、この雰囲気の醸成がなんとも絶妙で、毎回、ちょっとした変異が主人公を訪れ、また、何事もない日常に回帰するというくり返しが物語の定型ですが、まったく飽きさせません。
そして、日本人好みの季節の推移がじつに精妙に描かれ、火を除く四大(水・土・風)が懐かしい文明以前の感覚をひき寄せて、なんとも懐かしく、やさしく、妖しい作品世界に私たちをいざなってくれます。
原作小説との比較でいえば、このマンガは物語の大筋はもちろん、使われている言語表現まで、ほとんど、といっていいほど、梨木香歩の作品のそれを忠実に再現しています。そこには、ひとりの作家の小説に魅せられたマンガ家の、原作への確かな敬意が現れています。
しかし、近藤ようこのマンガ版は、原作の小説よりも、はるかに茫漠とした空間の広がりを感じさせ、ゆったりとした時間の流れを実感させてくれます。読む者の身心が解放されるようなその印象は、つねに画面に白い空白を残し、コマの分割によって時を宙吊りにするマンガ独自の表現によって作りあげられているからです。
いつまでもこの世界に漂っていたいと思わせる、蠱惑的なマンガなのです。
マンガ停留所

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