いまから2年前、1巻と2巻が同時発売された伊図透の『オール・ザ・マーブルズ!』(KADOKAWA)を本欄で取りあげました(2022年8月2日公開)。女子の硬式野球を題材にしたマンガです。
そこで私は、このマンガの特長を4点にまとめました。
1点目は、野球マンガによくある熱血スポ根ものという王道を外して、クールな美学を貫いていること。
2点目は、ヒロインの投手、草吹恵の投球フォームを、大ゴマを駆使して、抽象的な図柄で描きだすグラフィックな野心。
3点目は、天才・草吹と対照的に、天真爛漫な努力型の打者・結城愛を造形し、いわゆる「バディもの」の物語を紡ぎだしていること。
4点目は、女子硬式野球にはプロになる未来が存在しないことを強調し、それでも、いま・この瞬間だけの生命の燃焼に賭ける、まるで修道女のようなストイシズムを浮き彫りにしたところ。以上の4点です。
今回、第6巻が出て、『オール・ザ・マーブルズ』がついに完結しました。
当然、物語の予期せぬ紆余曲折があり、私のまとめた4点の特長も変化していきました。
第2巻のラストでは、草吹と結城の属する高校のチームが女子硬式野球の日本全国大会に出場し、決勝に進むところまでが描かれました。
その後、草吹は、日本代表チームに入って女子野球ワールドカップに出場し、アメリカと対戦するところまで行きますが、突然、失踪してしまいます。
そして、日本のプロ野球が女子を採用するという歴史的な激変が起こって、失踪から復帰した草吹は、リズンズという日本のプロチームに採用され、ベアーズというチームとの日本シリーズに出場することになるのです。
つまり、この時点で、プロになる未来のない完全燃焼の潔さという主題は解消され、また、結城との友情の物語も後景に退きます。
その代わり、草吹の投球フォームが、全力を振りしぼるオーバースローから、男性中心的な肉体の力学に支配される世界で生き延びるために、戦略的なサイドスローへと変化するという出来事が起こります。
そして、日本シリーズでの見どころは、アメリカ大リーグ出身の伝説的強打者スタン・スミスとの心理的駆けひきを含んだ対決になるのです。そのドラマティックな興奮はまことに強烈かつ見事なもので、全6巻のクライマックスにふさわしいものです。
しかし、最終話でふたたび物語が女子高校野球に戻っていくところを見ると、伊図透が本当に描きたいのは、野球という戦いのドラマよりも、やはり、青い空を駆ける白球の美しさに賭ける修道女的なストイシズムではなかったか、などと思ってもいます。
なお、最終話が「天国の日々」と題され、連想で「天国の門」という言葉が呼びおこされ、ジグモンドとアルメンドロスという固有名詞が浮かびあがるシーンには、作者の映画狂ぶりが反映されていて、同じ映画好きとしては思わず微笑んでしまいます。
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