
伊図透は、すでに今年2月の本欄で取りあげたマンガ家です。そこでは短編集『分光器』をご紹介しましたが、今回はうって変わって、『オール・ザ・マーブルズ!』(KADOKAWA)という大長編(たぶん?)の刊行開始です。
すでに2019年から20年にかけて「月刊コミックビーム」に連載されていた作品ですが、その分を加筆修正して、第1巻、第2巻の同時発売となりました。そして中断されていた連載もめでたく再開されたのです。
『オール・ザ・マーブルズ!』は、題材も一転して、女子硬式野球です。これまで伊図透が一度も扱ったことのないジャンルです。
とはいえ、このジャンルにありがちな「熱血スポ根」ものではありません。もっとクールな美学に貫かれている点で、私の知るかぎり、ちょっと類例のない野球マンガなのです。
ヒロインのひとりは、草吹恵。長身を活かしたダイナミックなフォームで超速球を投げる天才投手です。伊図透は、草吹の投球フォームの独創性を表現するために、しばしば大ゴマで抽象的な図柄を用います。そのとき、彼女の腕はしばしば流線の束となり、水の奔流か空気の渦のように空間を走ります。その鋭い美しさがまずは見どころです。
もうひとりのヒロインは、結城愛(めぐみ)。みずからデブと称するがっちりした体形の、打撃に秀でた内野手で、天才だが折れやすい性格の草吹とは異なって、天真爛漫で、柔軟で、努力家です。
この対照的な草吹と結城が友情で結びついて、本作がいわゆる「バディ」ものに成長していくことはいうまでもありません。
2011年春、草吹と結城は、日本全国でも珍しい女子硬式野球部のある神北(しんきた)高校にたまたま一緒に進学します。そこで、野球に自分のすべてをかける、ほかの4人の新入生と出会うのです。
女子硬式野球の特異性は、高校卒業したあと、女子であるかぎりほとんど野球で生きていける未来がないということです。逆にいえば、そこは、不安な空しさをのり超えて、いまその瞬間だけの燃焼にかける覚悟のある者だけが参入を許されるサンクチュアリなのです。『オール・ザ・マーブルズ!』を支えているのは、その修道女のような禁欲性です。そこが、なんともいえない魅力なのです。
第1、2巻で話の中心に据えられるのは、女子硬式野球の高校全国大会です。この女の甲子園は小さな山の中の球場でささやかに開かれるのですが、草吹と結城は、1年生ながら学校のレギュラーメンバーに選ばれ、大会の準決勝から決勝へと進みます。
大小の波乱と感動をちりばめながら、物語はきわめてよく計算されたドラマトゥルギーによって進められます。とくに見事なのは、準決勝のラストをほとんどサイレントのコマだけで運ぶ20数ページで、心が震えます。
その年一杯で引退する3年生のエースの投手のドラマもひどく感動的です。
今後の展開からけっして目の離せないマンガがまたひとつ増えました。
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