
今回は、柳沢きみおの最新刊をご紹介します。
初めて読んだ柳沢きみおのマンガは『翔んだカップル』でした。といっても、『翔んだカップル』は映画化版のほうが先でした。
相米慎二の監督第1作が、薬師丸ひろ子主演の『翔んだカップル』で、当時20代の私はアイドル映画に興味がなかったのですが、映画ファンのあいだで徐々にこの映画は面白いという評判が立ち、たしか東京・新宿の二番館で、アニメと一緒に見たように思います。
実際、物語はいわゆる「ラブコメ」ですが、被写体を捉えるクールな距離感と、不思議に躍動するカメラワークには映画的な快感があり、この監督はすごい、と魅了されました。
次に相米が撮った『セーラー服と機関銃』は封切り日に2度続けて見るほど夢中になり、相米が1980年代の日本に現れた最も独創的な監督であるという確信が生まれました。
話を『翔んだカップル』に戻すと、映画版があまりによかったので、マンガの原作も読んでみました。これが、柳沢きみおとの出会いです。マンガの『翔んだカップル』も面白いと思いましたが、柳沢作品を追いかけるところまでは行きませんでした。
その後、柳沢が自分自身をモデルとした『大市民』シリーズが始まり、こちらは頑固者の主人公・山形鐘一郎に奇妙な愛嬌があって憎めず、機会があれば読んで楽しんできました。
今回取りあげる柳沢マンガは、その『大市民』シリーズの最新作、『大市民 がん闘病記』(小学館)です。
『翔んだカップル』で瑞々しい青春ラブコメを描いた柳沢も、いまや76歳(作中の山形は75歳)で、本作の内容も、副題どおり「がん闘病記」なのです。
ただ、直腸がんとの「闘い」だけが題材ではなく、いつもどおり、山形の日常生活のあらゆる細部が、かなり独断的な価値観と美意識にもとづいて、くり広げられていきます。
『大市民』が一部でマンネリと評されながらも、いつ読んでも引きこまれてしまうのは、この独断的な世界観を、妙に憎めない主人公のキャラクターが説得力豊かなものにしているからです。めちゃくちゃに文字数の多い主人公のモノローグを読みながら、私たちはつい頷いたりしてしまうのです。
そこには、作者・柳沢が主人公・山形を見つめるやさしくも厳しいまなざしがあって、人間のどうしようもなさに対する寛容と諦念のバランスがよくとれているため、読者は読んでいてけっして嫌な気持ちにならないのです。
今回の第1巻でも、病気との闘い(検査、入院、手術など)が主な話題になりながら、ほぼ同じ比重で、日常生活(酒、排泄、睡眠、食事、筋トレなど)が克明に語られて、病気を日常の一部として取りこんでいきます。
主人公ががんという病気に触れあっていくなかで、読者もがんへの無用の恐れを捨てることができるような、そういう慰撫の効果が生まれてくるのです。数多く存在する闘病マンガのなかで、そうした効果が、このマンガの得がたい特色といえるでしょう。
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