
天井を見ていた。光に吸い寄せられた甲虫がベランダに集まり、網戸に突進する。今頃メンバーは野湯にいるだろう。川の中に湧いた温泉に浸かりながら、億千の星を見上げているだろう。わたしは首の痛みに耐えながら、島根という最も楽しみにしていた夜のコテージの天井を見つめていた。体の不調は全てサインなのだとしたら、わたしに号令を出すのは誰なのだろう?カート・コバーンやエイミー・ワインハウスが死んだ魔の27歳という年齢を飛び越えた時、足元に引かれた線の前でたじろぎ足がすくんだわたしを感じた。今でもどこか生きながらえた後ろめたさが胸の中にある。
翌日の鳥取米子のライブに行くと、カコやデミなどオライビの森の住人がゾロゾロと集まってくる。コムアイとfatherもそう。オラと仲良しだった友人の会であるのがこの日の裏テーマだった。八月の不思議な空気も手伝ってくれて、身体は重いのにステージに立つと動き出す。ライブにはやっぱり不思議な魔力がある。ライブ後、オラの森に向かう車内、一緒に鳴らした録音を流しながら、心の中でそれぞれが遠くにいった友と再会し、線香をあげた。森の家では息子のアナンがコーヒーを淹れてくれて、スラムそうめんなるバカみたいな遊びをしながらその笑い声の渦の中にオライビの声が混じってた気がして、懐かしかった。いなくなることなんて誰もできない。
八月九日、福島ソニックに行く。風船で装飾された箱が出迎えてくれる。わたしはこの箱が好きだった。ゆみの企画による、鎮くん、ユザーン、環ROYによるライブが夏の襖から入る最初の風のような軽快さで抜けていく。なんて軽やかで、自由なんだと風の尻尾を撫でながら思う。同じメンツでも違う形になるのはゆみと紡いできた時間のせいだろう。出会い紡いでしまった時間は情報には入りきらない不思議な効力を持つ。それは想いや情熱と呼ばれるものよりも確かな気配を含んでいる。
翌日、山形酒田に向かう。このライブは冷房が壊れたことで直前にお座敷に会場が変更になり、アコースティックセットで迎えることになる。テニスコーツと山形にいることもあり、ドラムのシャークが抜けてマヒトゥ・ザ・ピーポーwith never endrollersというダサい名義で回った時のことを思い出す。崩れたバランスの歪な時間のことをテニスは美しいと呼ぶ。たくさんの贈り物を二人からは貰った。ライブの中で時間はいつも巻き戻り、先行する。そんな仕掛けを即興でかましてくるのがテニスコーツだ。白崎映美さんは一声目から胸を鷲掴みにする。いっさいそらさない視線から、空間と対峙する覚悟を感じる。アングラなんて都合のいいスペースは彼女の中には用意されていない、まっすぐな姿勢に気づけば恋していた。最後入り乱れて平成狸合戦ぽんぽこのテーマ曲である「いつでも誰かが」を演奏すると会場に張っていた緊張は奇跡として溶け出し、夜が濡れていく。こんな夜をわたしはずっと探してた。
仙台のMACANAに移動し、ASOUNDと合流する。ARIWAの素直で飾らない姿には嘘がなくて、目的なく咲く道端の花を思わせた。仙台のillinaiのDJで踊り、街に繰り出すと帰り道、大雨に打たれる。雨宿りしながら、道路に反射する光の行方をどこまでも追いかけた。
お盆の橋の下音楽祭を挟み、ロングドライブをへて、宮崎のLAZRUSに向かう。前日の夜に着くとCLASSROOMのコロコロアニキが迎えてくれて鳥を食う。再始動した現在地を交えながら、宮崎に来たのだと、認識する。わたしにとって彼は実際の街以上に街なんだ。
その日から3日間回るTexas 3000はとても美しいバンドで三人の立ち振る舞いにはハッタリも虚勢もなく、ステージの上で楽器でのコミュニケーションが生々しい軋轢と共にある。何にも汚されず、綺麗なまま高いところに飛んでいってほしいと何故か祈りたくなるのは何故だろう。それくらい尊いものを見ていると細胞が直感するのだろう。打ち上げはカラオケのりがだるくなって速攻帰った。
翌日の鹿児島はno edgeが迎え入れてくれた。ドラムが変わったその一発目の音に意志があった。しばらく会話なんてしなくても音楽が間の時間の全てをスキップした瞬間だった。音楽は全てを語る。隠したいものも隠すべきものも同様に全て語ってしまうんだ。
打ち上げでドラムの崎山と言い合いになる。議題は難波ベアーズについて。わたしの唯一の故郷に突っかかれるの凄いと思うし、これは目を逸らしてはいけないやつだと思い、ラストオーダーの後に追い出された我々はローソン前に会場を移し、朝までロング缶にて言い合いの続きを行う。愛があるケンカは好きだ。
最終日は熊本NAVAROでTEXAS 3000とツーマンだった。渦巻いた3日の最終日らしく、燃え上がった。バンドってなんて美しいのだろうと舞台袖で見惚れていると、まだ手垢のついていない詩がぷかぷかと浮かんでいたので思わず右手で掴まえた。
3日連続ライブの翌日は一日オフがあり、温泉に整体に英気を養う。友人におすすめされて行った整体師が四人くらいから同じようにマヒトを診てくれと打診があったそうで、信頼できる友人たちの頼もしさにあったかくなる。
福岡のBEAT STATIONは原田郁子さんとかつての下山のドラマーであるシャークのDJだった。絶縁していたものの未来がこんな風に広がってるとは当時別れる時のわたしには思いもよらなかった。DJはいきなり四つ打ちでかっ飛ばしていて、郁子さんは少しやりにくかった気もするけど笑 シャークってそういうとこあったななんてことを思い出した。郁子さんと「i ai」のテーマを演奏できたのはよかった。自然とこの日だけの言葉が溢れ、光に擦り寄って数分後に決壊した。シャークとはたくさん言葉は交わさなかったけど、一緒の時間を過ごせたことで十分で、思ったより気を張っていたのだろう。この日は久しぶりによく眠れた。
長崎に移動し、郁子さんとスタッフの山田とコーヒーを飲みにいく。道路に転がる爆竹の痕がお盆での喧騒を想起させる。「暖房が出てる」とライブ終わりの郁子さんが言う。まさか、こんな夏に?と思ったけど本当で、店長に聞くと、冷房をつけると何故か、室外機の風が中に吹き込むらしく「うちはこんな感じなんで」という開き直った態度にかなりぐったりする。無論、暑いのが嫌なわけではない。
佐賀に前乗りすると、駅前には何もない。最近作られたようなデフォルトのチェーンの居酒屋ばかりで「何もない」と聞かされてた噂通りの街に足どりが重い。助けを求め友人に聞くと街の底で張ってるいくつかの店を教えてもらう。その中の一つ、キサックBANKOに行ってみると確かな時間の経過を刻んだ宿り系の内装と愛しき変人を隠さないマスターに圧倒される。筋を通し生き抜いている人はどの街にもきっといる。地球が滅亡するその日まで淡々と自分を生き抜くこだわりの店は。
その入り口やきっかけ一つで、景色が一変して見えた。駅から離れ、佐賀の街並みを進むと広がる古い通りには確かな暮らしが息づいている。佐賀は、東京は、日本は、地球は、色んな大小のカテゴリーを使い分け、わたしたちはその輪に勝手に入れられ、まとめられる。キッカケの一つを育てて、膨らんだバイアスで輪郭を引き生きることは避けられないなら、さらにはどうせ人と関わる仕事をしているなら、その入り口にポジティブな風を贈りたいと思うようになったのは海外に出て、自分たちの国を外から見たからかもしれない。そのくらい佐賀のイメージはBANKOによって方向づいた。
鎮座DOPENESSと翌日も大分に行く。息子をワンオペで連れての子連れ狼スタイルの旅は微笑ましく、今まで知らなかったちんくんの顔があった。下山のライブは懐かしい狂気に見舞われ、頭のネジが吹っ飛んだ。ライブ後、別府に移動し、温泉に浸かると、収まりがつかずに立っていた狂気がねじれて、立ち上がれないほど酩酊する。大地の芸術はとんでもなく真顔でそれでいてサイケデリックだ。
翌日、山あいにある野良湯に浸かりに九州に別れを静岡の磐田に向かう。And ProtectorとGUAYSとFM STUDIOへ。お互いのバンドの始まりを知っているGUAYSといると、最初の気持ちがいつでも秒で起動する。もうこの先こんな関係のバンドは二度と現れることはないだろう。弦を初めて張る時を横で見ていた歴史は誰も取り戻せない。そんなことを思えるためにも走り続けていなくちゃいけないのは、この友情は速度の上で唯一成り立つ体。どちらかが足を止めたら終わりの残酷なゲーム。思い出話で一晩を開かせるほど、現在に退屈してない。
翌日は名古屋UPSET。名古屋の至宝Climb The Mindとだった。アンサンブルの妙に発明がある。付け焼き刃のオリジナルではなく、手がかりなき旅路で見つけた発明だ。ジアクトのごみくんがDJで銀杏BOYZをかけ、「クライムの前にかけてやろうと思ってたんだけどね」と笑っている。オカくんや武部がいる。ぬ組のあつしさんがいる。アップセットのシャツは赤く、楽屋には別れたはずの残像が幽霊になる数センチ手前の格好で揺れている。この街に帰ってきたと思う。そんな故郷をいくつも作るために内臓を引きずり、発光を毎晩こなし、喉を枯らして呼びにきたのだと言い切れる。
目的地はいつもスピーカーとあんたが騒ぎ立てるあの喧騒の中だった。いつかあの煙の中に住みたいと考えている。その時、肉体は随分と邪魔だな。だから、才能ある人は急ぐのかい?赤い照明と発汗した汗が飛び散る間だけ正しく生きている感じがする。現実を焼き切るために世界の中心とこの世界の片隅にいくつもの故郷を作る。
(photography Shiori Ikeno)
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)